日本の政府開発援助(ODA)を実施する機関として、開発途上国への国際協力を行っているJICA(独立行政法人国際協力機構)に協力いただき、その活動の一端をシリーズで紹介していく「JICA通信」。東京2020パラリンピックイヤーを迎え、今回はアフリカ・パラリンピック委員会事務局長にお話を伺いました。
「JICAの研修に参加して、そこからすべてが変わりました」と熱く語るのは、大西洋に浮かぶアフリカの島国カーボベルデのパラリンピック委員長で、アフリカ・パラリンピック委員会事務局長も兼任するホセ・ロドリゴ・ベハラノ氏。アフリカ全体のパラスポーツの発展を後押しするホセ氏が「自らの原点である」と話すのが、1998年に参加したJICAの「障害者スポーツリーダーの養成」研修でした。
今年9月、21年ぶりに来日したホセ氏に、JICAの研修に参加して芽生えたパラスポーツへの情熱、そして、インクルーシブな社会の実現に向けて歩み続けてきた20年間について聞きました。
パラスポーツが社会のタブーを変えていった
「日本には車いすや全盲の方もアクセスできるインフラ設備や施設が整っていたり、障害者自身も一緒に働いている組織があったり、スポーツにおいては障害者もアスリートとしてプロ意識をもって取り組んでいたりなど、母国との違いに人生観を変えるような衝撃を受けました」とホセ氏はJICAの研修に参加したときのことを振り返ります。
カーボベルデでは当時、障害者が社会のタブーとして扱われ、「障害者がスポーツなんかできるわけない、成功できるはずがないと考えられていた」とホセ氏は言います。そこで、日本から帰国した彼がまず取り組んだのが、障害者とその家族の意識改革でした。パラスポーツに取り組む障害者の家へ何度も出向き、障害者が社会参加をするうえでスポーツの果たす役割がいかに大きいかを啓発し続けました。
最初は、聞く耳をもたなかった家族も、長い年月をかけて情熱的に語られるホセ氏の話を聞き、次第に考え方が変わっていきました。
「私にそれだけの情熱をくれたのが日本での日々なのです。パラスポーツを普及させるためには、競争や結果だけを求めるのではなく『スポーツを通じて誰もが参加できる平等な社会に変えていくのだ』というビジョンを信じることが大事だと気づかせてくれたのです」
カーボベルデ初のパラメダリストが誕生
ホセ氏の熱意ある地道な活動が形となったのが、2016年に開催されたリオデジャネイロパラリンピックです。カーボベルデの選手が陸上男子400mで、同国ではパラリンピック初となる銅メダルを獲得しました。
「グラセリノ・バルボサ選手が表彰台に立ったとき、国民はみんな泣いて喜びました。障害の有無など関係なく国民が一つになったのを見て、改めてパラスポーツの力を感じました。2020年は東京でパラリンピックが開催されます。カーボベルデに限らず、アフリカの各国から1人ずつでもパラリンピックに出場できるように願っています」
カーボベルデは東京2020オリンピック・パラリンピックへの参加にあたり、沖縄県中頭郡中城村とホストタウン協定を締結しました。今回の来日では、JICA沖縄を訪問し「地域に根ざしたインクルーシブアプローチによる障害者の社会参加と生計」研修の車いすバスケット体験に参加し、研修員を激励しました。
今では大統領が「インクルーシブな国(社会)を目指す」と述べ、障害者を取り巻く環境も少しずつ変わってきたカーボベルデ。「しかし、障害者たちはまだまだ二流、三流の市民という扱いを受けています。これからも、教育やスポーツの平等な機会が保障される社会の実現が必要だということを社会に説得し続けていきたいと考えています」と、ホセ氏は語り、「障害者にも社会を構成する一員としての能力と権利があることを世の中に伝えていくために、これからもパラスポーツを普及していきたいです」と言葉に力を込めました。
現在も続く「スポーツを通じた障害者の社会参加の促進」に向けた研修
カーボベルデの社会全体の意識改革にも取り組むホセ氏に影響を与えたJICAの研修「障害者スポーツリーダーの養成」は、その主旨と精神を受け継ぎ、「スポーツを通じた障害者の社会参加の促進」に向けた研修として現在、JICA東北で実施されています。
今年もエジプト、エルサルバドル、イラク、パプアニューギニア、サモア、セネガル、タイ、チュニジア、ウズベキスタン、バヌアツなど10か国から11人がこの研修に参加。今後、母国で障害者スポーツの理解促進やパラスポーツの普及に取り組み、未来のホセ氏のような存在になってくれることが期待されます。
ホセ氏と志をともに、JICAはこれからもパラスポーツの普及を支援していきます。
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