インターネットを使うようになって早い時期に、おそらく誰もが一度は試すであろう検索ワードがある。自分の名前だ。
いや、自分の名だけではない。小学生の授業でパソコンがある今日日、親の名前を調べる子どもも多かろう。先日、息子の友達に「○○くん(息子)のお母さんの記事、見つけたよ」と言われ、こりゃ下手な記事は書けないぞと内心震えた。当然、息子も検索しているに違いない。
ちなみに私は、本記事のようなコラムはペンネームで、取材記事などは本名で書いているのだが、ペンネームは私以外ヒットしない。一方、本名の方は著名なソプラノ歌手の方がいらっしゃるようで、「○○○○ ソプラノリサイタルのご案内」などというページが多数ヒットする。
さら旧姓で検索すると、舞台女優の方やら起業家の方やら、結構な数の(かつての)同姓同名が出てきて驚いた。
私にとってこの名前は唯一無二だけれど、同じ名前でまったく別の人生を送っている人がいる。なんとも不思議な感覚である。
もしも、同姓同名の人物が悪事に手を染めたら……
先日読了した小説『同姓同名』(下村敦史・著/幻冬舎・刊)は、そんな自分の名前を検索した経験がある人ならば、誰でもハマってしまう一冊だ。
物語の登場人物は、大山正紀(おおやま まさのり)。といっても、主人公だけではなく、物語に関わってくるほぼ全員が大山正紀なのだ。
ある日、女児惨殺事件の犯人として捕まった「大山正紀」。日本全国、それぞれの場所でそれぞれの生活を送っていた大山正紀たちは、一夜にして「殺人犯と同じ名を持つ者」という十字架を背負うことになった。
7年後、刑期を終えた大山正紀が帰ってきたことで、同姓同名の大山正紀たちの人生はさらに狂い出す。そして、『”大山正紀”同姓同名被害者の会』を発足、本物の大山正紀を探し出そうとするが……というストーリー。
あらすじを読むだけで、すでに鳥肌モノである。なんせ、どのページを開いても大山正紀だらけなのだ。その数、10名以上。いま語られている大山正紀は、どの大山正紀!? と多少混乱しつつも、ストーリーは確実に、明確に進んでいく。なんでも下村氏のインタビューによると、着想から3年半の勝負作とのこと! その言葉にも納得の超大作である。
SNSの闇。自分という存在とは。これは単なる小説ではない!
『同姓同名』は、ストーリー自体の秀逸さは言わずもがな、ふと現代社会や自分自身の人生に置き換えて、うーむと考えさせられるトピックがいくつも盛り込まれているから面白い。
たとえば、SNSに潜む闇。誰かの発言に噛みつき、集団で一気に攻め立て、「私刑」と称して個人情報を特定、拡散する「正義の皮をかぶった暴挙」。さらには、少年法や実名報道にも鋭く切り込んでいる。
名前というものは、早い者勝ちの争奪戦なのだ。
(『同姓同名』より引用)
という一文は、なかなかどうして、奥が深い。なぜならば、「先に有名になった者が、その名前を我がものにできる」のだ。つまり、「美人のアイドルと同姓同名なら、他人はその名前を聞いただけで期待感を持つ。ハードルは上がるだろう。差があればあるほど、人は落差でがっかりする。そして――所詮は名前が同じだけの偽者だと断じるのだ」と下村氏。
一見ただの記号であり、同時に一人ひとりのアイデンティティを示す側面もあわせ持つ名前というものの、不確かさと恐ろしさを思い知らされ、ゾクリとした。
秋の夜長にぜひ読んでほしい一冊。きっと寝不足になるに違いない。
【書籍紹介】
同姓同名
著者:下村敦史
発行:幻冬舎
大山正紀はプロサッカー選手を目指す高校生。いつかスタジアムに自分の名が轟くのを夢見て練習に励んでいた。そんな中、日本中が悲しみと怒りに駆られた女児惨殺事件の犯人が捕まった。週刊誌が暴露した名は「大山正紀」。報道後、サッカー推薦の枠から外れた高校生の大山正紀を始め、不幸にも殺人犯と同姓同名となってしまった“名もなき”大山正紀たちの人生に影が落ちる。そして7年後、刑期を終え大山正紀が世に放たれた。過熱する犯人批判、暴走する正義、炎上するSNS。犯人に名前を奪われ人生を穢された大山正紀たちは、『“大山正紀”同姓同名被害者の会』に集い、犯人を探し出そうとするが−−。大山正紀たちには、それぞれの秘密があった。どんでん返しどころじゃない! 前代未聞のノンストップミステリ。