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2021/7/29 17:30

今、人生がつまらない人へ。掃除用具入れで授業を受けていた落語家・笑福亭羽光の不安との付き合い方

「かわいそうな新真打と呼ばれても、僕はかまいません」。落語家にとっての晴れ舞台、真打昇進の披露興行がスタートするはずだった5月1日、都内の寄席はすべて営業休止に。コロナ禍に翻弄され、ひと月遅れの興行を開催した落語家・笑福亭羽光(48)に、心境を聞いた。

(取材・構成・撮影:樋口かおる)

 

↑笑福亭羽光。浅草演芸ホール前にて

 

緊急事態宣言と同時に、真打へ

――披露興行の延期は、いつ聞いたんですか?

 

笑福亭羽光(以下羽光) 4日くらい前ですね。客席を減らすことは想定していたんですけど、延期には驚きました。

 

――ショックですよね。

 

羽光 大変なことになったなという感じです。それで実際、師匠方が出演できない日もありましたし。のぼりも後ろ幕も、その日に間に合わせるためにみなで準備してきて。

 

――4月には同時に昇進する4名(三遊亭小笑、春風亭昇々、春風亭昇吉、笑福亭羽光)で新真打披露目パーティーが開かれました。こちらも延期や中止の可能性があったんですか?

 

羽光 パーティーを開催するかどうかは僕ら新真打で話し合って決めました。ギリギリまで悩んだので、準備が大変で。ゲストリストをExcelで共有しているのに小笑さんだけExcelを開けなかったり、入れ物の用意がなくてお祝いの樽酒が無駄になりそうになって、新宿中で容器を探してもらったり。それは連絡の行き違いと考えていたんですけど、後で聞いたらみんな僕のせいやと思っていたそうです。

 

――新真打のみなさん自らが準備するんですね(笑)。

 

羽光 落語家は元々自分で落語会を企画したりチラシを巻いたりなんでもやります。仕事ができる人はすごくできるんですね。それに、コロナ対策のノウハウが少しは培われていた。1年前はわけがわからなくて中止にするしかなかったけれど、2021年の今は「ここに気をつける」という知識があった。

僕らもお客様も水すら飲めないパーティーでしたが、不思議と「困難を乗り越える」一体感を持てた気がします。

 

↑京王プラザホテルで開催された真打昇進披露パーティー。笑福亭鶴光と(撮影:橘蓮二)

 

かわいそうな新真打”と呼ばれて

――パーティーのあと披露興行が延期になってひと月余り。その間はどう過ごしていたんですか?

 

羽光 寄席の休業中は、披露興行のためにあけていた予定がすべてなくなって、空白の時間ができました。妻の実家がある三島で買い物して料理して、新作落語をつくる毎日。寄席の再開が急に決まったとき、家族は「自分たちのご飯はどうなるんだろう」と心配していましたね。

 

――真打になった実感が持てないとか、先が見えない不安は……。

 

羽光 実感はよくわからなかったですね。5月1日から真打になりまして、通常は披露興行の期間に真打としての自覚ができるはず。その流れはないまま、気づくと前座の動きがちがう。着物の畳み方がていねいになっているんですね。それを見て「あれ? 本当に真打になったんか」と思いました。

 

――他の新真打の方々はどうだったんでしょう。

 

羽光 披露興行が延期になって4人で取材を受けたとき、僕らは「コロナ禍で翻弄されるかわいそうな若手落語家」として扱われることが増えていました。でも、“笑わせるのが落語家、かわいそうだと思われたくない”という意見もあって、寄席の前ではなく、すべり台の上で撮影することになりました。僕にはこだわりがないので笑われてもいいし、かわいそうな新真打と思われてもかまいません。

 

↑新宿末廣亭での口上。左から三遊亭笑遊、三遊亭小笑、春風亭昇々、春風亭昇吉、笑福亭羽光、笑福亭鶴光、笑福亭昇太(撮影:春風亭昇也)

 

下ネタも基本とシミュレーションが大事

――羽光師匠にもこだわりはありそうですが……。不安があるのかないのかもわかりません。

 

羽光 左右盲というそうですが、僕は右と左がすぐにわからないし、複数のことがいっぺんにできません。いろんなことが器用にできるわけではないし、お金も使いたくないのでこだわりは持てないですね。めんどくさいことも苦手なので、以前は破れたスリッパにガムテープを貼って外出していたくらい。

気が小さいので不安はいつもあるし、誰かに悪口を言われているのではと常に気にしています。寝ても小さな音ですぐに起きます。

 

――不安に対して準備するタイプなのでしょうか……。去年NHK新人落語大賞を受賞したときも、持ち時間きっかりの11分ジャストになるよう、何度もシミュレーションしたそうですね。

 

羽光 年もとっていてカンでは乗り切れないし、できることは準備します。僕は下ネタが芸風ですが、披露興行では紺野ぶるまさんに先に出ていただいて、「今日の客席はどの程度下ネタに耐性があるのか?」を計っていました。

 

――芸人さんはカンがすぐれていそうですが。

 

羽光 得意でも、カンには限界があると思います。つまらなく聞こえるでしょうが、どんなことでも基本は大事。基本とは僕の場合落語の所作や、「不動坊」の登場人物の複雑な配置を人に説明できるレベルで言語化するとかですね。アクシデントでカンが飛んでしまったとき助けてくれるのは基本で、そのうえでカンもまた生きるのかなと。

それが落語のいいところでもあります。すごく性格が悪いとか花がない落語家でも、きちんと練習していることは伝わるし、「いい落語やな」と感じます。

 

↑私小説落語は、自分のエピソードからつくっている(撮影:春風亭昇也)

 

「つまらない人生」を落語にしたい

――不安がある場合、対策をたてるより、ふつうは目をそらすほうが多いですよね。「対策」を選べるのはなぜですか?

 

羽光 それは目的によるんやないですかね。「落語をやり続けたい」目的があるので、準備しないと「失敗するかも……」と恐怖を感じ、できるだけ対策します。「誰からも好かれたい」目的はないので、「誰かが僕の悪口を言っている」不安があっても対処しません。めんどくさいので最近は笑顔をつくることもやめましたし、付き合いのための飲み会にもあまり参加しないようにしています。

 

――職業柄、コミュニケーションも必要かと思いますが……。

 

羽光 僕には向いていないので、無理はしないということで。脳の病気もしましたし、「この先どれだけ新作落語を残せるだろう?」と考えると、苦手なことでがんばる時間はないと感じています。飲み会で仕事をうまく進められるとか、楽しめる人にはいいんじゃないでしょうか。

今は選択肢がたくさんある時代。何を選んでもダメってことはない。だからといって良いものを全部取り入れるのは無理なので、必要なものから優先的に選んで、それ以外は捨てることが必要かもしれませんね。

 

――落語家さんもいろんな活動をする人がいますけど、SNSではあれこれ活躍してキラキラした人が目に入り、ストレスを感じる人もいます。

 

羽光 そもそも人生に、キラキラする必要がないですよね。僕が陰キャでできないというのもありますけど。

高校時代は掃除用具入れに押し込まれて授業を受けていましたし、イケてない青春時代を過ごしました。でも、私小説落語をつくるようになって自分の過去を振り返り、「輝いていないからこそ、ふつうの人のための落語ができる」と気づくことができました。

被災地で笑ってくれてやさしくしてくれる人たちに会って、「大変なことがあった人に、僕らは何ができるんやろ?」と思うこともあります。でも、自分もしんどいとき落語に救ってもらいました。「ペラペラ王国」のようなメタフィクションは、今つまらなくて辛い現実がある人がちがう視点で世界を見ることで、楽になれるかもという落語でもあります。これからも少しでも多く、楽しんでもらえる作品をつくっていけたらいいですね。

 

↑新宿末廣亭にて初主任のあと疲れ切った羽光

 

 

令和3年真打披露興行は6月11日新宿末廣亭からスタートし、観客を入れての開催となった。羽光の初主任(トリ)の演目は「私小説落語~思い出のプリクラ編」。青春時代の輝かない思い出は甘酸っぱい物語となり、客席へと届けられた。

 

【プロフィール】

笑福亭 羽光(しょうふくてい・うこう)

1972年大阪府高槻市出身。落語家。お笑い芸人、漫画原作者を経て2007年笑福亭鶴光に入門。新作落語『ペラペラ王国』にて2018年渋谷らくご大賞創作大賞、2020年NHK新人落語大賞受賞。2021年5月真打昇進。

Twitter@syoufukuteiukou
公式サイトsyoufukuteiukou.com