「皆さんが『一刻者』だと思うんです」。そう語るのは、俳優・写真家として活躍する永瀬正敏さん。宝酒造の全量芋焼酎「一刻者」ブランド初のアンバサダーも務めているが、共通点のひとつに“宮崎生まれ”が挙げられる。
今回は、永瀬さんに宮崎での幼少期の思い出や俳優としてのこだわり、そして愛飲している「一刻者」への想いなどについてたっぷり語って貰った。また、インタビューを行ったのは宮崎県高鍋町の宝酒造黒壁蔵工場内にある石蔵。一刻者の貯蔵に使われるこの蔵は、普段は公開されることのない場所だ。そんな特別な場所での特別なインタビューをじっくり堪能してもらいたい。
宮崎県人の気質はゆるいがこだわりは強い
永瀬さんが生まれ育ったのは、全量芋焼酎「一刻者」の故郷である宮崎県高鍋町から南西に車で約1時間強の場所に位置する都城市。少年時代は、家のなかより外で遊ぶことが好きで、竹藪に秘密基地を作ったり、独自の遊びを発明したり、なんでもないものを集めたりしていたそうだ。
「両親が共働きだったということもありますかね。家ではおじいちゃん、おばあちゃんによく遊んでもらってました。どちらかというと、わんぱくだったかもしれません。近所のおじさんにすごく怒られたこともありましたし。でもいま振り返ると、家族にも地域の方々にも恵まれた環境だったと思います」(永瀬さん)
宮崎で「一刻者」とは頑固者、自分を曲げない人という意味。同様に、全量芋焼酎「一刻者」には、米麹(こうじ)を使わず、造りが難しい芋麹を使用し、頑固なまでの味へのこだわりが込められている。宮崎はこだわりを持った人が多い土地なのだろうか。
「気質はあったかく、ゆるい人が多いと思います。『てげてげでよかが(大体でいいよ)』という方言もありますし。でも、こだわるところはこだわる。仕事に関しては特に、真面目に突き詰めて。僕の家族もそうでした」(永瀬さん)
敬愛する祖父は「素敵な一刻者」だった
上京のため、若くして故郷を離れた永瀬さん。歳を重ねるごとに宮崎への想いが深く募るという。そのぶん帰ってくれば癒されるとともに力をもらえ、また東京で頑張ろうという気持ちになれる場所なのだとか。
「僕をつくった原点ですからね。表現者という意味では、おじいちゃんの影響が大きいです。特に写真に関しては“DNAのリベンジ”と言ってるのですが。というのも、おじいちゃんはもともと写真館を営む写真家だったんです。でも戦争になって、家族で生きていくためには写真を撮っている時代じゃないと。大事なカメラも騙されて持ち逃げされてしまい、写真への志を絶たれてしまったんです。世の中が平和だったら写真家を続けていたでしょうし、形見のなかには写真を撮りたかったんだろうなと思わせるものがたくさんありますから。僕はその志を引き継いでいるんです」(永瀬さん)
お祖父様は、薩摩琵琶の演奏や絵を描くのも上手だったとか。そのクリエイティビティが永瀬さんにも受け継がれているのだろう。たたずまいは凛としていた一方、チャーミングな一面もあったとか。永瀬さんはそんなお祖父様を「素敵な一刻者」だと語る。
「僕が幼稚園から帰る時間になると、決まってほうきを持って道路に出ていました。これ、無事に帰ってきたかを確認するための掃除のふりなんです。僕の姿が見えると家に入って、見えなければ探しに来てくれる。多くは語らないけど、人として大切なことをおじいちゃんからたくさん教わりました」(永瀬さん)
役作りにおける「一刻者」な哲学
1983年のデビュー以来、映画界の第一線で活躍し続ける永瀬さん。国内外から高い評価を受ける所以は、役づくりにおける「一刻者」な哲学が反映されているからだろう。表現者としてのこだわりについて聞いた。
「ドキュメンタリーを除けば、映画は作りものの世界。芝居も、作られたキャラクターを演じるという点では、ある意味嘘なんです。だからこそ徹底的に役になり切ることで、100%の嘘を演じたい。嘘に嘘を重ねてしまえば、その違和感が観ている方に伝わってしまい、失礼に当たりますから。これは僕だけじゃなくて、映画人はみな頑固にこだわっている部分です」(永瀬さん)
数え切れないほど多くの作品に出演している永瀬さんだが、いまだに新しい仕事が決まると初めてのような気持ちになるのだとか。確かに、続編をつくる場合でも演者やスタッフ、シチュエーションなどがまったく同じということはないだろう。ただ、永瀬さんが初心に立ち返る理由には、原点となった作品の影響が大きいという。
「僕のデビュー作『ションベン・ライダー』の監督は相米慎二さんなんですけど、実は現場で一度もOKとは言ってもらえなかったんです。『そんなもんだろう、じゃあ次いくか』みたいな。だから僕が目指したのは、相米監督に思わずOKを言わせる役者だったんです。でも、叶える前に監督は鬼籍に入られ、永遠に“そんなもんだろう”になってしまいました。デビュー作って、どの役者にとっても思い出深いと思いますが、僕の場合は特に強いのかなって。でもだからこそ、ワクワクしたあの時の気持ちに戻れる。そして、ずっと映画人として現場に関わっていたいとも思うんです」(永瀬さん)
世の中にはさまざまな一刻者がいる
宮崎を代表する俳優であるとともに、宮崎の銘酒「一刻者」の代弁者ともなった永瀬さん。アンバサダーになる以前からファンだったが、就任によってさらに魅力を知り、愛着がいっそう深まったという。
「想像以上に手間がかかっていて、麹がすべて芋の焼酎を造ることの難しさも学びました。おいしさにかける信念、情熱はまさに職人技。さすがに『一刻者』の造り手はこだわっていますよね。僕の飲み方はロックが多く、冬はお湯割りでも楽しんでいますが、どんな飲み方でも豊かな個性を感じられる点も『一刻者』の強みだと思います」(永瀬さん)
「皆さんが『一刻者』だと思うんです」と語る永瀬さんは、アンバサダーになって改めて、「世の中にはさまざまな一刻者がいる」と感じたという。焼酎や映画の世界をはじめ、あらゆる場面で人のこだわりが共鳴し合い、ひとつの作品になる。そこにはそれぞれの生き方と、それぞれの「こだわり」が込められているはず。だからこそ、味わい深いのだ――。「各人がそれぞれの想いを巡らせながら、じっくり味わっていただきたいですね」。その温かなまなざしに、「素敵な一刻者」だったというお祖父様のおもかげが見えた気がした。
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【PROFILE】
永瀬正敏(ながせ・まさとし)
1966年宮崎県生まれ。1983年、相米慎二監督の「ションベン・ライダー」で俳優デビュー。1989年、ジム・ジャームッシュ監督 の「MISTERY TRAIN」で注目を浴び、1991年の「息子」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞と新人俳優賞を受賞。2015~16年には出演作が3年連続でカンヌ国際映画祭に出品される。写真家としてのキャリアは長く、2001年の映画「贅沢な骨」ではイメージ写真の撮影を担当し、オリジナル写真集も出版した。宮崎で開催した「Memorie of M ~Mの記憶~」をはじめ、展覧会も多数開催
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取材・文/中山秀明
写真/村田 卓(go relax E more)
HAIR&MAKE/ KATSUHIKO YUHMI(THYMON Inc.)
スタイリスト/ Yasuhiro Watanabe(W)
衣装/ YOHJI YAMAMOTO