こんにちは、書評家の卯月 鮎です。定番の観光地に行くのも楽しいですが、自分だけの目的を持ってあちこち回る旅というのも達成感があっていいものです。
知り合いに、使っている路線のすべての駅で降りて、駅前の一番近い定食屋や喫茶店に立ち寄るというチャレンジを週末ごとにしている人がいました。これもオリジナルなプチ旅行と言えるでしょう。弟子の曾良とともに、俳句を詠みながら東北、北陸を歩いて巡った松尾芭蕉も、またオリジナル旅行の達人かもしれません。今だったら旅行系YouTuberとして人気が出たかも!?
松尾芭蕉はどんな想いを胸に旅をしたのか?
今回紹介する新書は『「おくのほそ道」をたどる旅 路線バスと徒歩で行く1612キロ』(下川 裕治・著/平凡社新書)。著者の下川 裕治さんは、新聞社勤務を経てフリーランスとなった旅行作家。主にアジアや沖縄をフィールドにバックパッカースタイルで旅を続けています。
特にディープなトラベルエッセイ『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』は、非日常な現地に飛び込んで目の当たりにする日常と、そこから見えてくる暮らし方の違いが肌で感じられる一冊でした。
今回の『「おくのほそ道」をたどる旅』は、旅行先が日本ということもあって落ち着いたテイスト。もともと下川さんは昔から「おくのほそ道」の書きだし「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」(「月日は永遠の旅人であり、来ては去っていく年もまた旅人である」という意味)があまりにもかっこよすぎると引っかかっていたそうです。
旅の文章を何回も書いてきた身にすれば、旅への思いはもっと雑駁なもので、今の暮らしからの逃避でもある、と下川さん。一体芭蕉はどんな想いで旅をしていたのか? 各地を巡って芭蕉の気持ちを考えることも、この本のテーマになっています。
賑やかになった寺、寂れていった街……
「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」。これは出羽国の立石寺(山形県山形市)に参詣したときに芭蕉が詠んだ句。当時は静かな山寺だった立石寺ですが、今では長い1000段を超える石段に渋滞が起こるほど観光客が押し寄せているそうです。
石段の手前には土産物屋や食堂が建ち並び、終点の奥の院では遠足であろう幼稚園の子どもたちが「ヤッホー」と叫ぶ……。下川さんは「ヤッホー」の妙な響きの良さに、かつてここに満ちていたセミの声を重ね合わせ、逆にそのうるささが「しずかさ」に通じるかもしれないと想像します。
先人に思いを馳せるのは、紀行文を追いかける旅の醍醐味でしょう。変わってしまったものと受け継がれているもの、両者がリンクしてタイムトラベル的な面白さもあります。
下川さんが「おくのほそ道」のなかでも一番気に入っているという句が「暑き日を 海にいれたり 最上川」。真っ赤な夕陽が海に沈んでいく暑さと川の涼しさが鮮烈なイメージとして、私の記憶にも残っていた句です。
この句が詠まれた山形県酒田市の日和山公園を訪れた下川さん。しかし、11月だったため寒風が吹きつけ、気持ちも沈む。芭蕉の頃は西廻り航路の北前船が立ち寄る港として賑わっていたという酒田ですが、下川さんが商店街で見た光景は……。
派手な観光地ではなく、路線バスやコミュニティバスを乗り継ぎ、芭蕉が通った旧街道があれば歩く。全体から漂うもの哀しい情緒が本書の味として染み出していて、じわじわと引き込まれていきます。芭蕉や曾良が句に托したであろう想いを、下川さんならではの少し斜めの視点から解釈しているのも読みどころ。「おくのほそ道」をたどって見えてきたものとは?
【書籍紹介】
『「おくのほそ道」をたどる旅 路線バスと徒歩で行く1612キロ』
著者:下川 裕治
発行:平凡社
世界を旅する著者が1日に1時間歩くことを目標に、路線バスを乗り継いで、「おくのほそ道」をたどる旅に出た。「おくのほそ道」は、1689年に松尾芭蕉が門人の曾良を従えて、東北・北陸から大垣に至るまでの旅を記したものである。
ある夏の日、両国から船に乗って旅のスタートを切ったのだが……。時代や文化・社会も大きく変わったなかで、はたして、何を感じ、何を思うのか――。新たな出合いや発見を求め、いざ出発!
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。