僕の家の近くには、大きめのショッピングモールがある。徒歩3分ほどの場所だ。あまりにも近くにあるので、2日に1回は足を運んで、食材を買ったり食事をしたり、100円ショップや300円ショップを見たりしている。僕は心の中でそのショッピングモールを「冷蔵庫」と呼んでいる。
画一化されたショッピングモールに浮かんでくるストーリー
もはや自分の中で当たり前の存在になっているショッピングモールだが、それを題材にした写真集がある。『モール』(小野啓・著/赤々舎・刊)だ。
収められている写真を見る。どこにあるショッピングモールなのか記載されていないが、正直どこもほぼ同じようなイメージ。コンビニのように画一化されているから、それほど個性のようなものは感じられない。
しかし、そこにいる人たちが映り込んでいくと、無機質なショッピングモールにストーリーが浮かび上がってくる。ベンチに座る女性、通路に立ち尽くす女子高生、寝具売り場のベッドに寝転ぶ男の子、駐輪場にたたずむ高校生カップル……。
この写真集を見たあとに近くのショッピングモールに行ってみると、そこには驚くほどのストーリーがあることに気がつくだろう。買い物以外の楽しみ方がひとつ増えた感じだ。
何でも揃うショッピングモールは町そのもの
この写真を撮っている小野啓は、元々インターネットを通じて全国の高校生から依頼を受け、彼らを撮影するために日本全国を回っていた。撮影場所は彼らの思い出のある場所なのだが、近年はショッピングモールを指定されることが増えてきた。そこでショッピングモールそのものを撮影しようと思い立ったのだ。
巻末に、編集者/ライターの速水健朗の解説がある。そこにこう書かれている。
ショッピングモールは、日常の中にあるちょっとだけ特別な場所。とりたてて何をするでもなく出かけていく。“町”とよく似ている。
モールは、町の機能を集約した擬似的な町である。(『モール』より引用)
買い物もできるし、食事もできる。散歩することもできるし、大きめの郊外のショッピングモールなら映画館があったり、スポーツが楽しめる施設があったり。フードコードで勉強している高校生なども見かけるし、子どもたちが遊ぶスペースがあるところもある。ドッグランや猫カフェ、ミニSLが走っているところもあるだろう。
そう、ショッピングモールは“町”なのだ。僕らが暮らす町が凝縮されているのがショッピングモール。そう考えると、被写体としておもしろいなと思うし、撮影したくなる気持ちもわかる。
ショッピングモールなんて特別な場所ではない。でも、ちょっと視点を、考え方を変えると、そこには町と同じくらいストーリーがある。
僕が「冷蔵庫」と呼んでいるショッピングモールは、最近専門店エリアやフードコートに空きテナントが増えてきている。オープン当初のあのキラキラした感じはもうあまり感じられないが、なんかそんなところも町っぽさを感じる。
さて、今日もショッピングモールに行ってこよう。
【書籍紹介】
モール
著者:小野啓
発行:赤々舎
人の欲望やそれぞれの差異を覆い隠す、巨大な箱のような外観。その中に登場する人々の、日常と地続きでありながら少し浮遊するような振る舞い。ひとつの街でもあるモールは、地元の風景にどのように接続し、見え隠れするのか。そして時間の経過によって廃墟となるモールも現れ、しかし今日もどこかで建設が進む現場。20年にわたる撮影を通して、人々の共通体験となったモールを記録し、その内側と外側から、社会の循環と人の営みを見ようとする試みです。