ハリウッド・スターのブルース・ウィリスが認知症であることを彼の家族が公表した。このニュースにショックを受けたファンは多いだろう。が、年をとれば誰でも認知症になってしまうリスクはある。家族が、あるいは自分が認知症を発症したらどうなってしまうのか? 今日はその疑問に迫る一冊を紹介しよう。
『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子・著/河出書房・刊)は、脳科学者である恩蔵さんの母親がアルツハイマー型認知症と診断され、その後2年半にわたってその様子を記録し、考察したものだ。認知症になっても最後まで失われることのない脳の可能性に迫った本書は、”認知症の見方を一変させる”と各メディアで話題になった。
65歳という若さで認知症を発症
恩蔵さんのお母様は65歳というまだまだ若い年齢でアルツハイマー型認知症を発症してしまった。認知症を治す薬は今のところない。しかし、恩蔵さんは治療はできなくても、やれることはたくさんあると気づく。彼女は、母親の様子を観察し、現れる行動とその原因を脳科学の見地から考えてみた。症例としてではなく、母親という個人に向き合うことによって、認知症という病の普遍に触れようと試みたのだ。
「記憶を失うと、その人は”その人”でなくなるのか?」という一文がこの本のサブタイトルにあるが、結論からいうと、その答えはNOのようだ。
認知症になっても、母の母らしさは損なわれることはなかった。認知症はその人らしさを失う病ではなかったのだ。
(『脳科学者の母が、認知症になる』から引用)
正常な脳でも記憶は編集されていく
人間の記憶とは実に曖昧なものらしい。認知症患者ではなく、正常な人であっても記憶は常に上書きされるのだそうだ。誰にでも「絶対に忘れない」と自信のある記憶があるだろう。が、鮮明に蘇る記憶でさえも、実は新しい経験と共に再び思い出すと、変化を受けるのだという。出来事の直後に語った内容と、一年後に語った内容を比べると食い違いが出ることがある。にもかかわらず、その記憶に対する自信や、記憶の鮮やかさは変わらないのだ。
内容はすっかり変わってしまっているのに、「これだけははっきり覚えている」と感じているし、事実でない状況を、ありありと思い出すことができるのである。なぜこのようなことが起こるのか? 全部覚えている方が良い、記憶は正確である方が良い、と思う人もいるかもしれない。しかし、脳のサイズが有限だからこそ、膨大な量の情報の中から少しでも有用なことを抽出しようと、脳は記憶を編集し続けるのだ。記憶内容が変わることは、脳が私たちがうまく暮らすために工夫した結果なのである。
(『脳科学者の母が、認知症になる』から引用)
つまり、私たちがずっと忘れていないと信じている古い記憶などは、鮮やかに蘇っているようでいて、実はかなり変化してしまっているというわけだ。
アルツハイマー型認知症とは?
さて、話を本題である認知症に戻そう。一口に認知症といってもいろいろな症状がある。認識に異常が起こるのは同じだが、最初に冒される脳の部位により症状も異なるのだ。最も多いのがアルツハイマー型認知症で、初期に記憶を司る”海馬”の萎縮が起こり、新しいことが覚えにくくなるのが特徴だ。
大脳皮質の後頭葉という視覚を司る部位に問題が起こるのがレビー小体型認知症で、症状としては幻覚が出る。脳血管性認知症は血管が詰まったり、破れたりすることにより酸素が送れなくなり脳の中の神経細胞が死んでしまうことから引き起こされ、その症状は部位によって変わってくるのだそうだ。
いずれの認知症も神経細胞の死滅が引き起こすもので、一度死んでしまった神経細胞は元には戻せないため、今のところは治療不可能な病気と言われている。患者の数が最も多いアルツハイマー型認知症は加齢により誰でもなる可能性があり、85歳以上ではなんと2人に1人がかかるリスクがあるという。アルツハイマー型の困った症状としては”攻撃性”と”徘徊”がある。これについて恩蔵さんは、こう解説している。
感情の抑制に関係している「前頭葉」がひどく損傷してしまえば、衝動を抑えられなくなり、緩和の難しい攻撃性が出る場合もあるのは事実である。しかし、実は、このような前頭葉の損傷によるよりは、海馬の損傷により「今ここ」のことを覚えられないせいで、何をやるにも助けを求めなくてはならず、自立した生活ができなくなり、患者の自尊心が保てなくなることから現れる攻撃性の方がずっと多いのだ。(中略)また「徘徊」も、様々な原因があるが、攻撃性と同じように、自分の役割、自分の居場所を感じられなくなることが大きな原因であると言われている。
(『脳科学者の母が、認知症になる』から引用)
周囲の人間も患者本人と同じように戸惑うので、それが悪循環となってしまうのだという。
感情面のケアができるかどうかが鍵
恩蔵さんの母親も、得意だった料理が作れなくなったり、また昔の思い出に支配されたりするなど症状は進んでいったという。もともとは家族のためにと動き回っていたのが、認知症になり、自分が何をしたいのか思い出せなくなったり、計画を立てたりすることも出来なくなってしまったのだ。最初は恩蔵さんも母が母でなくなってしまったと落ち込んだそうだが、今は違う気持ちになっていると記している。
「誰かのために動きたい」という感情は、今も変わらず残っていることに注目しなくてはならない。アルツハイマー病の人たちには感情が残っている。物事が正しく彼ら・彼女らに伝わったときには、彼ら・彼女らは以前と同じような感情的反応をする。そのようなとき、確かに私は「母はここに居る」と感じる。(中略)できなくなっていくことと同時に、生物として大事な「感情」というシステムを使って、その人がどう生きるか、私はそれを見守っていこうと思う。結局母は生涯、母なのだ。
(『脳科学者の母が、認知症になる』から引用)
認知機能が作る「その人らしさ」とは別に、感情が作る「その人らしさ」があるということを私たちは覚えておくべきなのだ。
本書には、家族を戸惑わせる認知症患者のさまざまな症状とその原因、対処法がくわしく解説されている。そして、認知症になったとしても最後まで失われることのない脳の可能性があることを私たちに教えてくれる。現在、認知症患者を抱えているご家族、あるいは将来、認知症になったらどうしようと不安に思っている人も、ぜひ読んでおきたい一冊だ。
【書籍紹介】
脳科学者の母が、認知症になる
著者:恩蔵絢子
発行:河出書房新社
六五歳の母が認知症になったー記憶を失っていく母親の日常を二年半にわたり記録し、脳科学から考察。得意料理が作れない、昔の思い出に支配されるなどの変化を、脳の仕組みから解明してみると!? アルツハイマー病になっても最後まで失われることのない脳の可能性に迫る。メディアでも反響を呼んだ「認知症の見方を一変させる」画期的な書。