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2023/3/4 21:00

あれから12年…大きく変貌する「仙石線」で震災の記憶をたどる旅

おもしろローカル線の旅109〜〜JR東日本・仙石線(宮城県)〜〜

 

東日本大震災が起きた2011(平成23)年3月11日から早くも12年を迎える。複数の鉄道路線が復旧を諦めバス路線に変更された一方で、一部区間の線路を敷き直して復旧を果たした路線がある。

 

仙石線(せんせきせん)もそうした路線の1つだ。震災から復旧したのみならず、歴史をたどると荒波にもまれた過去があることも分かった。路線に関わる謎解きと、あの日の記憶を改めて見つめ直した。

*2015(平成27)年9月5日〜2023(令和5)年2月26日の現地取材でまとめました。一部写真は現在と異なっています。

 

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【仙石線の旅①】仙石線と東北本線はなぜ並行して走るのか?

仙石線の旅を始めるにあたって昭和初期の絵葉書の謎から解いていきたい。下記は昭和初期の仙石線の絵葉書だ。仙石線の電車がクロスする線路は何線だろうか。現在、JR東日本の仙石線と東北本線は塩釜〜松島間を並行して走っていて、クロスする箇所があるものの、絵葉書の風景とはだいぶ異なる。調べたところ、下の線路は国鉄塩釜線と推測された。塩釜線は東北本線の岩切駅から塩釜港まで延びていた路線で、港湾部の区間は廃線となったが一部はその後の東北本線に流用された。

↑昭和初期発行の宮城電気鉄道の絵葉書。下を走るのは旧国鉄塩釜線で現在の塩釜港まで線路が延びていた 筆者所蔵

 

現在、塩釜〜松島間で東北本線と仙石線は並行して走っている。なぜ同じ企業の2本の路線がすぐ近くをほぼ同じルートで走ることになったのだろう。

 

実は太平洋戦争前まで東北本線は官設の路線で、仙石線は私鉄の路線だったのだ。並行する路線には両線の過去が隠されていた。まずは仙石線の概要を含め歴史を追ってみたい。

 

【仙石線の旅②】宮城電気鉄道により98年前に開業した仙石線

仙石線は宮城県の仙台と石巻を結ぶことから名付けられた。その概要は次のとおりだ。

路線と距離JR東日本・仙石線:あおば通駅(あおばどおりえき)〜石巻駅間49.0km、陸前山下駅〜石巻港駅1.8km(貨物支線)、全線電化(支線は非電化)複線および単線
開業宮城電気鉄道が1925(大正14)年6月5日、仙台〜西塩釜間を開業、1928(昭和3)年11月22日に石巻駅まで延伸され全通
駅数33駅(起終点駅・貨物駅を含む)

 

宮城電気鉄道により設けられた仙石線は、社名のとおり当時の最先端を行く直流1500ボルトに対応した新型電車が運行。仙台の郊外電車として、また観光地・松島が沿線にあるため利用客が多く、昭和初期には15分〜30分間隔で列車が走っていた。沿線の陸海軍の施設に向けての貨物輸送も盛んで、こうした背景のもと1944(昭和19)年5月1日に戦時買収され、国有化された。

 

一方、東北本線は現在、塩釜駅から松島駅まで仙石線とほぼ並行して走っているが、古くは利府支線の利府駅と品井沼駅(しないぬまえき)間21.2kmを結び走っていた。ちょうど現在の三陸沿岸道路が通る地域に重なる。旧線は山中を通るため勾配がきつく輸送のネックとなっていたために戦時下の1944(昭和19)年11月15日に、旧塩釜線の一部区間を利用した現在の海沿いの路線に改められた。なお旧線は1962(昭和37)年4月20日に廃止されている。

 

仙石線は、海沿いの東北本線の新線が開業した年に国営化された。戦時下とはいえ国に計画性がなかったことが透けてみえる。もし並行する仙石線と東北本線を直結させて列車を走らせたのならば、問題は一挙に解決し、無駄もないようだが、なぜそうした解決策を図らなかったのか謎である。

 

その後、1987(昭和62)年4月1日に国鉄分割民営化により仙石線はJR東日本に引き継がれ現在に至る。そして2011(平成23)年3月11日を迎えるわけだが、震災前後の様子は沿線めぐりの中で触れていきたい。

 

【仙石線の旅③】JR東日本では希少な205系が今も主力

仙石線を走る車両を見ておこう。現在、旅客用車両は下記の2形式だ。

 

◇205系電車

↑仙石線を走る205系3100番台。仙石線のラインカラーのスカイブルーの帯が入る

 

205系は国鉄が1985(昭和60)年に投入した直流通勤形電車で、国鉄分割民営化した後にはJR東日本、JR西日本に引き継がれた。

 

仙石線を走る205系は旧型の103系の置換え用に2002(平成14)年〜2004(平成16)年に導入された車両だ。新製車両ではなく、元山手線・埼京線を走った205系の車体や機器を流用している。4両編成で冬の寒さに対応するために耐寒設備も装着された。JR東日本の205系は徐々に減りつつあり、現在は仙石線と鶴見線、南武支線のみと希少な車両になっている。

 

なお、ロングシートがクロスシートに変わる2WAYシートを装備した車両も走っている。こちらはスカイブルーの帯を巻く主力の車両と異なり、沿線の観光イメージのアップを図るため多彩なラインカラーが車体に入っている。また沿線の石巻に縁が深い漫画家、石ノ森章太郎氏のマンガ作品がラッピングされた車両も走る。

 

◇HB-E210系気動車

↑仙石線内を走行するHB-E210系気動車。車体正面に「HYBRID(ハイブリッド)」の文字が入る

 

HB-E210系気動車はディーゼルハイブリッドシステムを搭載した一般形気動車で、仙台駅〜石巻駅間を走る仙石東北ライン用に2015(平成27)年に導入された。JR東日本の東北地域の電化方式は交流電化で、一方の仙石線は直流電化方式のため、両路線の間で行き来するため気動車が採用された。

 

ちなみに、仙石東北ラインは、仙台駅〜塩釜駅間は東北本線を走り、高城町駅(たかぎまちえき)〜石巻駅間は仙石線を走る。塩釜駅と高城町駅の間には連絡線があり、その連絡線を利用して東北本線、仙石線を行き来している。

 

そのほかにJR貨物のDD200形式・DE10形式ディーゼル機関車牽引の貨物列車も一部区間を走っている(詳細後述)。

 

【仙石線の旅④】日本初の地下路線&地下駅だった旧仙台駅

ここからは仙石線の旅を始めよう。現在の起点は地下駅のあおば通駅となる。ここから陸前原ノ町駅間の約3.2km間が地下鉄区間となっている。この仙台市街地区間の歴史も紆余曲折があり、謎も秘めている。

↑仙台駅の西側に位置する起点駅のあおば通駅。地上からの入口(右上)は市営地下鉄との共用で、入口には仙台駅と記されている

 

路線が誕生した宮城電気鉄道時代、仙台駅から東七番丁駅間で地下路線が設けられた。東北本線と立体交差し、仙台駅西口に駅の出口を設けるためだった。

 

日本の地下鉄道は浅草駅〜上野駅間を走った東京地下鉄道(現・銀座線)が最初だとされるが、仙石線はその開業より2年半も早く設けられた地下鉄道および地下駅だったのだ。しかし、単線で使い勝手が悪く1952(昭和27)年に廃止、その歴史はすっかり忘れられてしまった。宮城電気鉄道が消滅したため、当時の地下駅がどうなったかも謎のままである。

 

地下ホームが廃止された後、仙石線のホームは200メートルほど東に移され、地上ホームとなった。東口から市街を走る時代が長く続いたのだが、市街地には踏切が多く、開かずの踏切ばかりで不評だった。そこで連続立体交差事業が進められ2000(平成12)年3月11日に工事が完成し、今の仙石線の地下を走る区間ができあがった。

↑現在の仙台駅の東側に仙石線の地上ホームがあった。旧路線の東七番丁踏切跡には記念碑(右下)が歩道上に設けられている

 

【仙石線の旅⑤】地下駅の一つ宮城野原駅で途中下車した

仙台市街の地下駅の一つ、宮城野原駅(みやぎのはらえき)で途中下車してみた。この駅は楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天モバイルパーク宮城の最寄り駅。発車ベルは応援歌の「羽ばたけ楽天イーグルス」だったり、駅の2番出口にはヘルメットが乗ってるなど、なかなか凝っている。

 

この球場に隣接して仙台貨物ターミナル駅が広がる。仙台貨物ターミナル駅は東北地方を代表する貨物駅で、路線は仙台駅を通らず東北本線のバイパス線、東北本線支線(通称・宮城野貨物線)にある。貨物駅上には跨線橋がかかり、橋の上から貨物列車の入換えや、コンテナを積む様子を見ることができる。

↑宮城野原駅の一つの2番出口は楽天カラーでまとめられている(左下)。その出口から徒歩約10分の場所に仙台貨物ターミナル駅がある

 

仙石線は宮城野原駅の次の陸前原ノ町駅を過ぎると宮城野貨物線の下をクロスして走り、苦竹駅(にがたけえき)手前から地上部へ出る。

 

【仙石線の旅⑥】本塩釜駅までは大都市の郊外線の趣が強い

仙石線は起点のあおば通駅から本塩釜駅までは複線区間で列車本数も多い。北側を東北本線が沿うように走っているが、東北本線は駅間が長いのに対して、仙石線は駅間が短い。例えば東北本線の仙台駅〜塩釜駅間13.4kmに途中駅は4駅で所要時間が16分、対して仙石線は仙台駅〜本塩釜駅間15.5kmに途中駅が11駅で所要時間は約30分かかる。

 

東北本線の駅周辺よりも仙石線の駅周辺のほうが賑わっていて、沿線の住宅開発やマンション建設も進んでいる。列車本数が多く便利ということもあるのだろう。

↑複線区間が本塩釜駅まで続く。仙台市の郊外区間ということもあり、マンションも多く建ち並ぶ

 

仙台駅から約30分、本塩釜駅を過ぎると進行方向右手に塩釜港が見えてくる。筆者は震災前に訪れたことがあったが、今は港を取り囲むように背の高い堤防が築かれ、だいぶ趣が変わっていた。

↑塩釜港の西側を高架線で走る仙石線の下り列車。車窓からも港の様子を望むことができる

 

【仙石線の旅⑦】芭蕉も発句に懊悩した松島はやはりすごい!?

次の東塩釜駅からは海岸沿いを走る区間が多くなる。仙石線の線路に寄り添うように左手から近づいてくるのが東北本線の線路だ。しばらく並走するのだが、接続駅がなく両線の駅も遠く離れているのが不思議なところ。やはり私鉄路線と官設路線だった名残が今も続いているわけだ。

 

仙石線の車窓から大小の島々が浮かぶ海が眺められるようになると、間もなく松島海岸駅だ。この駅では多くの観光客が下車していく。

↑新装した仙石線の松島海岸駅。駅から景勝地、瑞巌寺五大堂(左上)も徒歩圏内にある

 

冬にもかかわらず、松島海岸駅は賑わいをみせていた。駅前から遊覧船の呼び込みが盛んで、松島名物のカキの殻焼きも香る。そんななかを歩くこと8分、瑞巌寺五大堂を訪れ、松島湾を見渡した。260余の島々が浮かぶ日本三景の松島には、かの俳聖、松尾芭蕉すら美しさに発句できなかったと伝わるが、いまも多くの観光客を魅了しているようだ。

 

松島には瑞巌寺(ずいがんじ)、瑞巌寺五大堂といった古刹や景勝地が集う。海岸に近い瑞巌寺だが、杉並木が枯れたりしたものの津波の影響もあまりなく、震災後は避難所として活かされた。松島湾に浮かぶ島々が津波から施設を守り、この場所ならば安全という長年の経験と知恵が役立っているようだ。

↑仙石線と東北本線との連絡線付近を走る仙石東北ラインの列車。松島の瑞巌寺のちょうど裏手にこの連絡線がある

 

【仙石線の旅⑧】丘陵部の野蒜駅の新駅から海へ散策してみた

仙石線は路線の68%が海岸部の近くを走ることもあり、震災時には津波の被害を受けた箇所も多かった。松島海岸駅周辺のように被害が軽微だった地域もあれば、大きな被害を受けた地域もあった。ここからはより海岸近くを走る区間の震災前後の状況を見て行きたい。

↑復旧した陸前富山駅。背の高い防波堤(右上)が設けられた。現在防波堤は入場禁止となっている 2015(平成27)年9月5日撮影

 

 

仙石線の沿岸で最も海岸に近いのは陸前富山駅(りくぜんとみやまえき)から陸前大塚駅付近。この区間は海が近いだけに風景が素晴らしい。一方で津波の被害を受けたため路線をかさ上げし、堤防を増強するなどした上で、2015(平成27)年5月30日に復旧に至っている。

↑県道27号線から松島湾と仙石線(陸前富山駅〜陸前大塚駅間)を眺める。近くの古浦農村公園では5月、菜の花畑も楽しめる(左上)

 

陸前大塚駅から東名駅(とうなえき)、野蒜駅(のびるえき)間の津波の被害は特に際立った。野蒜駅から東名駅へ向かっていた仙石線の上り列車が津波に押し流されて大破している。幸いにも乗客は近くの小学校へ避難して無事だった。

 

震災前の地図を見るとこの区間は海岸からだいぶ離れていた。そして海の先には宮戸島(みやとじま)という松島湾最大の島がせり出している。2つの駅は海岸から離れていたものの標高が低く平坦地が連なっていたこともあり、津波の被害が大きかったようだ。

 

仙石線の路線は震災後に丘陵部に移され、東名駅と野蒜駅の北側は野蒜北部丘陵団地として新たに整備された。この新しい野蒜駅から津波の被害が甚大だった旧野蒜駅方面へ歩いてみた。

↑現在の野蒜駅の駅舎。野蒜ヶ丘という丘陵部に造成された住宅地に面して、新しい駅が設けられた。右上は旧駅方面へ向かう連絡通路

 

駅前から「野蒜駅連絡通路」を抜けて旧駅方面へ降りていく。徒歩10分ほどで着く旧野蒜駅周辺は「東松島市東日本大震災復興祈念公園」として整備されていた。中心となる施設が旧野蒜駅の駅舎だ。

 

旧駅舎は「東松島市 震災復興伝承館」として開放されている(入館無料)。館内には被災前の東松島市と、3月11日の同地の様子、そして津波、避難の記録などが展示され、映像でもふり返ることができる。2階の入口には旧駅で使われた自動券売機が展示され、その壊れ方が津波のすごさを物語っている。

↑駅名案内などもそのままに残る旧野蒜駅の駅舎。建物に津波が3.7mの高さまで来たことを示す案内看板が付いている

 

階段の上部には津波がここまで来たことを示す案内看板が。この場所での津波の高さは3.7mだった。数字だけだとその高さが実感できないが、実際に見上げると、この津波が目の前に差し迫ったとしたら、とても逃げられない高さであることが実感できた。

 

旧野蒜駅と裏手に残るホームからは今も電車が発着しそうな趣が残るだけに、震災および津波の恐ろしさを改めて感じた。

↑旧野蒜駅「東松島市 震災復興伝承館」の裏手にはレールが敷かれたまま残るホームも保存されている。

 

【仙石線の旅⑨】航空自衛隊の練習機が駅前に

丘陵に設けられた野蒜駅から陸前小野駅、鹿妻駅(かづまえき)と、水田風景が広がる平野部へ下りていく。この鹿妻駅前には航空自衛隊で使われたジェット機が保存展示されている。

↑鹿妻駅の駅前で展示保存される航空自衛隊のT-2練習機。ブルーインパルスの基地上空訓練は平日の午前中に行われている

 

鹿妻駅の駅前に展示保存されるのは、航空自衛隊で1995(平成7)年12月まで地元の松島基地を拠点に活動する曲技飛行隊・ブルーインパルスで使われていたT-2超音速高等練習機(69-5128機)であることが分かった。なお、現在のブルーインパルスはT-4練習機を使っている。

 

航空自衛隊の松島基地は鹿妻駅から次の矢本駅の海岸側に滑走路がある。ちなみに松島基地も被災し、基地内の駐機していた28機がすべて水没してしまった。幸いブルーインパルスの乗務機は福岡県の芦屋基地を訪れていて水没を免れ、隊員たちは機体を残し、東松島へ急ぎ戻って被災した人たちの支援にあたったそうだ。

 

【仙石線の旅⑩】石巻市内では貨物専用線を訪ねてみた

起点のあおば通駅から約1時間30分で終点の石巻駅へ到着した。石巻駅の駅構内や駅舎には、石ノ森章太郎氏が生み出したマンガのキャラクター像が飾られている。石ノ森章太郎氏は宮城県登米市生まれだが、学生時代に石巻の映画館に通った縁もあり、石ノ森萬画館(駅から徒歩12分)が市内に設けられている。

↑仙石線の石巻駅。1・2番線(左下)が仙石線、仙石東北ラインのホームで、石巻線との乗換えも便利だ

 

石巻駅で鉄道好きが気になることといえば、駅構内に停まるコンテナ貨車だ。この列車はどこへ向かう列車なのだろう。

 

貨物列車は石巻駅のとなり、仙石線陸前山下駅から分岐する仙石線貨物支線の先にある石巻港駅へ向かう。この貨物駅に隣接して日本製紙石巻工場があり、紙製品がコンテナに積まれて、石巻線経由で小牛田駅(こごたえき)へ運ばれる。

↑陸前山下駅から住宅街を抜けて石巻港に面した石巻港駅を目指すDE10形式牽引の貨物列車。同機関車牽引の列車も減り気味だ

 

石巻港にほぼ面した石巻港駅も津波により壊滅的な被害を追った。駅構内に停まっていたDE10形式ディーゼル機関車の1199号機と3503号機が被害を受けて現地で廃車、解体されている。

 

仙石線貨物支線の撮影から戻る陸前山下駅近くの街中で、ここまで津波が到達したことを示す案内が貼られていた。海岸からかなり遠い住宅地まで津波がやってきたわけだ。仙石線沿線の「東松島市東日本大震災復興祈念公園」の案内には「あの日を忘れず 共に未来へ」という見出しが付く。時間がたつとともに忘れがちだが、折に触れて震災の記憶を未来への教訓とすべきだと、切に感じた。