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2022/2/5 6:00

今や希少!国鉄形機関車がひく「石巻線」貨物列車&美景を旅する

おもしろローカル線の旅79 〜〜JR石巻線(宮城県)〜〜

 

日本国有鉄道がJRとなり今年で35年。国鉄時代に生まれた車両も続々と引退に追い込まれている。少し前までは見向きもされなかった国鉄形車両が、いつしか減っていき注目される存在になっている。今回紹介する石巻線を走るDE10形式ディーゼル機関車(以下「DE10」と略)もそんな一形式だろう。

 

貴重になったDE10が走る石巻線。貨物列車ばかりでなく列車に乗って旅をしてもなかなか楽しい路線である。

 

*本原稿は2021年までの取材記録をまとめたものです。新型コロナ感染症の流行時にはなるべく外出をお控えください。

 

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【石巻線を巡る①】110年前に軽便鉄道として開業した石巻線

まずは石巻線の概略を見ておこう。

路線と距離JR東日本・石巻線/小牛田駅(こごたえき)〜女川駅(おながわえき)44.9km、全線単線非電化
開業1912(大正元)年10月28日、仙北軽便鉄道により小牛田駅〜石巻駅間27.9kmが開業。
駅数14駅(起終点駅を含む)

 

石巻線は、まず仙北軽便鉄道として開業。当時の線路幅は762mmだった。仙北軽便鉄道だった期間は短く、1919(大正8)年4月1日に国有化、翌年には1067mmの線路幅の変更されている。現在、石巻まで仙台からJR仙石線(せんせきせん)が走っているが、こちらが石巻駅まで開通したのは1928(昭和3)年のことで、宮城電気鉄道という私鉄の路線だった。宮城電気鉄道も1944(昭和19)年に国有化されている。石巻線がいち早く国有化されたのは、太平洋に面した石巻港を重要視した国の政策もあったのだろう。

 

石巻線の終点、女川駅まで路線が延びたのは1939(昭和14)年10月7日だった。この区間にも前身となる鉄道が走っていた。1926(昭和元)年に石巻湊〜女川13.9km間を金華山軌道という軌道鉄道が走り始めている。こちらは石巻線が延伸されて約半年後の1940(昭和15)年5月3日に、廃線となっている。

 

石巻線の歴史で避けて通れないのは2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災の影響だろう。

 

震災後には全線が不通となり、約2か月後の5月19日に小牛田から石巻まで復旧している。仙石線の全線再開が2015(平成27)年5月末になったことを考えると、この復旧は石巻にとって大きかったに違いない。

 

さらに、2年後の2013(平成25)年3月16日に女川駅の一つ手前の浦宿駅(うらしゅくえき)まで復旧している。一方、女川駅付近の被害は甚大で、最後の区間の再開がなかなか適わず、仙石線の再開と同じ年、2015(平成27)3月21日に女川駅までの運転再開を果たしている。

 

【石巻線を巡る②】旅客用の主力車両はキハ110系

石巻線を走る車両を見ておこう。

 

主力はJR東日本のキハ110系である。キハ110系のなかでも100番台と200番台が石巻線の全区間を走る。いずれも小牛田運輸区に配置される。キハ110系100番台は普通列車用に設計された型番で、小牛田運輸区以外には郡山、新津、小海線と東日本の各地に配置されている。一方、200番台はマイナーチェンジ車。小牛田運輸区に配置された200番台は、陸羽東線・西線用で、山形新幹線が新庄駅まで延伸されたことに合わせて、増備された。

 

石巻線にも同200番台が走っているが、陸羽東線・西線の愛称が、〝奥の細道湯けむりライン〟また〝奥の細道最上川ライン〟と名付けられることから正面に「奥の細道」というロゴが入る。

↑石巻線を走るキハ110系200番台。この番台は陸羽東線・西線用の車両だが石巻線を走ることも多い。正面に奥の細道のロゴが入る

 

旅客用として入線するのがHB-E210系気動車だ。同車両は仙石東北ライン用の車両として造られ、2015(平成27)年5月30日、仙石線の路線再開に合わせて運転が始められた。運転開始にあたっては、仙石線と東北本線の間に接続線が設けられた。仙石線は直流で、東北本線は交流で電化されている。両線を通して走るために、ディーゼルハイブリッドシステムを活用したHB-E210系が開発されたのだ。

 

この車両が2016(平成28)年8月6日から石巻線の女川駅まで乗り入れている。とはいっても朝一番の女川駅6時発と、女川着22時19分着の最終列車のみの1往復と少ない。

↑仙石東北ライン用のHB-E210系気動車。石巻線では早朝と深夜運転の往復1本のみ同車両が使われる。写真は仙石線内

 

そのほかに、石巻線を走るわけではないが、石巻駅では仙石線を走る国鉄形通勤電車の205系を見ることができる。JRになってから改造された205系3100番台だ。

 

電動車モハは全車両が元山手線を走っていたもの。制御車のクハも元山手線や元埼京線の中間車サハ205形に、運転台を付け、また耐寒仕様に変更された車両だ。

 

205系は当時の国鉄が首都圏用に開発した車両で、山手線に1985(昭和60)年に最初に導入されている。その血を引き継ぐわけで、正面のデザインが変わったものの、年季が入った車両といっていい。

 

昨今、JR東日本では205系の引退を急いでいる。相模線、宇都宮線と新しい車両に置き換わりつつある。この春以降、残るのは鶴見線、南武支線などと、この仙石線ということになりそうだ。すでにE131系への置き換え情報も出てきており、仙石線の205系も数年中には置き換えが始まりそうだ。

↑仙石線の終点駅でもある石巻駅。仙石線は今や貴重な205系が走る路線でもある。水色塗装車のほかにラッピング車両も走る

 

【石巻線を巡る③】石巻線の貨物列車を牽くのはDD200とDE10

石巻線の貨物列車の牽引機について、ここで触れておこう。列車の牽引に使われるのが仙台総合鉄道部に配置されるDE10と、愛知機関区に配置されるDD200形式ディーゼル機関車(以下「DD200」と略)だ。

↑仙台総合鉄道部に配置のDE10-3001号機、2021(令和3)年11月13日の撮影の写真だが、2月初頭現在、走っておらず動向が気になる

まずは、DE10の生い立ちに触れておこう。生まれは1966(昭和41)年で、貨物駅での入れ替え、列車の牽引用にと万能型機関車として、1978(昭和53)年まで708両の車両が生み出された。国鉄からJRとなった後は、JR貨物ばかりでなく、JRの旅客各社に引き継がれ、今も旅客列車の牽引や事業用列車などに役立てられている。

 

とはいっても新しい車両でさえすでに40年以上の経歴を持つ古参となりつつあり、JR貨物、JR旅客会社それぞれ、後継車両への引き継ぎが行われつつある。

 

JR貨物のDE10が貨物列車を牽く路線は数年前までは複数あった。しかし、今は岡山機関区のDE10が山陽本線から水島臨海鉄道に乗り入れる貨物列車を牽引、また東京の拝島駅構内での米軍用の石油タンク車の牽引、また私鉄などの新車を牽く〝甲種輸送〟などに使われるぐらいに減ってしまっている(臨時利用や貨物駅の貨車入れ替え、臨海鉄道などに残るDE10を除く)。

 

石巻線の輸送には2月初頭の時点で2往復、DE10が使われているが、この列車も3月のダイヤ改正後にはどうなるか分からない状況になっている。

 

↑DD200が牽引する貨物列車。石巻線でDE10とともに列車の牽引にあたる

 

DD200は2017(平成29)年に導入された新型の電気式ディーゼル機関車で、貨物駅の貨車の入れ替え作業以外に、ローカル線での列車牽引も可能な仕様となっている。これまで各地のローカル線、貨物支線で行われてきたDE10による列車牽引も徐々に新しいDD200に引き継がれるようになっている。

 

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