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2016/12/3 18:00

「天ぷら」のルーツは6世紀のペルシアにあった! 知られざる“食”の歴史小話

和食を代表する「天ぷら」は、ポルトガル人によって日本に伝えられたものということは、よく知られている。料理名の由来もポルトガル語の”Tempero”(調味料)からきているようだ。が、天ぷらはそもそもポルトガル料理ではなく、そのルーツは、なんと6世紀のペルシアにあるというのだ!

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ペルシア王が好んだシクバージとは?

『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』(ダン・ジェラフスキー・著、小野木明恵・訳/早川書房・刊)によると、天ぷらの物語は6世紀中頃のペルシアに始まるという。

 

ホスロー1世アヌーシールワーン(501~579年)は、ササン朝ペルシア帝国のシャーハーンシャー(王の王)で、彼の好物はシクバージと呼ばれる、甘酸っぱい牛肉の煮込み料理だった。

 

シクバージの詳細はレシピによって異なるが、いずれにしても具だくさんの牛肉の煮込み料理だ。鶏や仔羊が入ることも多く、たくさんの種類の香草と、ときにはいぶした木のチップで風味付けをして、必ず大量の酢で漬けてある。ぴりっとした風味のある酢は、バビロニアの時代から優れた保存食としても知られていた。(中略)シクバージは速やかにイスラム世界を席捲した。おそらく船乗りたちが好んだ食べ物だったからだろう。彼らはふつうの人々より保存食に頼ることが多いからだ。(中略)肉ではなく魚のシクバージを最初に作ったのは、こうした船乗りだったのかもしれない。

(『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』から引用)

 

10世紀にはすでに魚のシクバージが作られていたらしいが、最初のレシピとして見つかったのは13世紀のエジプトだという。小麦粉をまぶしてから揚げた魚を、酢とハチミツと香辛料で味付けしたものだ。

 

シクバージから天ぷらへ

魚のシクバージのレシピは、その後、地中海の港をつたって西へと広がり続け、それにつれて料理の名前とレシピも変容していったようだ。

 

1500年代初めのスペインとポルトガルには、シクバージから派生して近しい関係にある、揚げた魚に酢をかけて食べる料理、「エスカベーチェ」や「ぺスカド・フリート」があった。

 

シクバージはこうしてヨーロッパの西端に到達した。だがその旅は終わらなかった。(中略)シクバージから派生したもうひとつの料理であるぺスカド・フリートが、ポルトガルのイエズス会によって日本に持ち込まれた。(中略)1639年頃に完成した、ポルトガル料理とスペイン料理のレシピが日本語で書かれた『南蛮料理書』に、衣をつけて揚げた魚のレシピが載っていた。

(『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』から引用)

 

そうしてこの料理は日本語で「天ぷら」と呼ばれるようになったのだ。

 

ポルトガルGPにおけるHONDAの天ぷらパーティ

さて、私は天ぷらを食べるたびにポルトガルのエストリルという町に思いを馳せる。1980代の終わりから1990年代はじめまでの数年間、私は夫と共に自動車レースのF1取材のために、毎年エストリルを訪れていた。当時は伝説のドライバー、アイルトン・セナがHONDAで活躍していた時代だ。エストリルはリスボン近郊の海沿いのリゾート地で、魚介類がとてもおいしいところだった。海岸沿いカフェテリアには、さまざまな魚介のペスカド・フリートがたくさん並んでいて、「ああ、天ぷらはここからやって来たんだ」というのがよくわかった。

 

ポルトガルGPでは、HONNDAが天ぷらパーティを開くのが恒例だった。F1のパドックには各チームの大型モーターホームがずらりと並び、それぞれが料理人を雇ってチームスタッフのために食事を作っていたのだが、ジャーナリストたちもそのおこぼれにあずかっていたのだ。

 

「日本人は米を食べないとパワーが出ない」というメカニックたちの要望でHONDAでは和食が多く、寿司、焼き鳥などもごちそうになった。そして毎年ポルトガルGPのとき、HONDAは他のチームの関係者にも声をかけ、盛大に天ぷらを振舞っていたのだ。あのとき食べた揚げたてのエビの天ぷらは、とてもおいしく今でも忘れならない味となっている。

 

食べ物にまつわる驚くべき歴史

本書は、味と語源でたどる食の人類史で、天ぷらの他には、サラダ、マカロン、トースト、アイスクリームなどなどの、知られざるルーツが紹介されている。

 

例えば、誰もがアメリカの調味料と思っている「ケチャップ」の語源は中国語だったということにも驚かされる。

 

ケチャップの後半部分tchupが、まさに「ソース」を意味する広東語で、前半のkeが「トマト」を意味する広東語の単語の一部なのだ。

(『ペルシア王は「天ぷら」がお好き?』から引用。

 

ケチャップのルーツは福建省で、魚を発酵させた中国のソース。これは現在のベトナムの魚醤に似たものだった。それを1650年頃にイギリスやオランダの商人たちがヨーロッパに持ち帰り、それから400年の間に、この調味料は西洋人の舌に合うように変化して、もとの原料である発酵させた魚は使われなくなったのだという。

 

19世紀初めのイギリスにはケチャップの作り方が何通りもあったが、その中で最も好まれたレシピがトマトを使ったもので、これがアメリカに渡り、砂糖が加えられ、ついにはアメリカの国民的な調味料「トマト・ケチャップ」に変化していったのだそうだ。

 

著者は、食べ物の言語は、文明の相互関係や大規模なグローバル化の起源を理解することに一役買っているという。それらはすべて“おいしいものを見つけたい”というもっとも根本的な人間の欲求からもたらされたものだ、と。

 

私たちが日頃、何気なく口にしている食べ物をより深く知るために、是非読んでほしい一冊だ。

(文:沼口祐子)

 

【参考文献】

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ペルシア王は「天ぷら」がお好き?

著者:ダン・ジュラフスキー(著) 小野木明恵(訳)

出版社:早川書房

 

日本料理を代表する「天ぷら」は、ポルトガルの「tempero」が語源だといわれているが、歴史をたどると意外な国に語源が……。そのほか、ケチャップの起源となった思いがけない調味料、シチメンチョウが「ターキー」と呼ばれる理由、高級レストランとチェーン店をメニューで見分けるコツなど、スタンフォード大学で言語学を教える著者が、食と言語にまつわる驚くべき史実をつまびらかに語る。古今東西の料理本、ウェブ上の100万件のレストラン・レビューなど、ありとあらゆる情報をリサーチして著した傑作ノンフィクション。世界に伝播していった古典的なレシピも満載。

 

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