「山崎晴太郎の余白思考 デザイン的考察学」第2回
デザイナー、経営者、テレビ番組のコメンテーターなど、多岐にわたる活動を展開するアートディレクターの山崎晴太郎さんが新たなモノの見方や楽しみ方を提案していく連載がスタート。自身の著書にもなった、ビジネスやデザインの分野だけにとどまらない「余白思考」という考え方から、暮らしを豊かにするヒントを紹介していきます。第2回は山崎さんにとってのデザインの本質を語っていただくとともに、“経験”。の重要性をおうかがいしました。
目指すのは“透明化”されたデザイン
──前回の連載では、山崎さんが影響を受けたものとして劇団四季の『ライオンキング』と『ドラえもん』という話題が挙がりました。『ライオンキング』は表現の幅広さや可能性を教えてもらったとのことでしたが、『ドラえもん』からはどのような影響を受けたのでしょう?
山崎 こちらも同じく想像する力です。知ってのとおり、四次元ポケットから出てくる「ひみつ道具」はさまざまな想像力をかき立ててくれます。それに加え、『ドラえもん』には《人間》のすべてが詰まっていると感じたんです。よく、劇場版になるとジャイアンやスネ夫がいいヤツになることから、そこに違和感を持たれる方もいますが、人間って常にいいやつはいないし、常に嫌いなやつもいない。僕はそうした変化も含めて人間だと思うんです。劇場版は、のび太に種族を超えた友だちができ、その友だちが抱えている問題をみんなで解決していく、という形がお話の基本なんですが、その種族も人間だけではなく、動物や植物、台風だったりロボットだったり。それって裏を返せば、みんなが友だちになれば世界は平和になるんだと藤子・F・不二雄は言っているんだな、と。そこに大きな魅力を感じたんです。
──なるほど。
山崎 また、想像力を膨らませてくれるという意味では、10代の頃から落語も大好きでした。父が朝日名人会の会員だったので、よく有楽町朝日ホールに通っていたんです。それに、柳家小三治さんの『ま・く・ら』という本が非常に面白く、僕にとっての青春の1つでした。《まくら》というのは落語の本編に入るまでの噺家さんが語る小話のことなんですが、デザインはまさにこの《まくら》と同じような存在だと思っていて。今の「株式会社セイタロウデザイン」を作る前に立ち上げた会社も、「株式会社まくら」という名前にしたほどでした。
──デザインが《まくら》と同じというのは、生活に自然と結びついていく架け橋的なものであるということでしょうか?
山崎 そうです。デザインは、あくまで生活やコミュニケーションへの布石を作り出す存在であるべきで、その中心であってはならないと思うんです。できることなら“誰がデザインをしたのか”とか、そういった付加要素はないほうがいいし、アノニマス(匿名性)であるべき。こんなにメディアに出ている僕が言うと何の説得力もありませんが、そこは僕の人間としての未熟さだと思っていただいて(苦笑)。そもそも、デザインのスタート地点というのは、“今まで見たことがないけど、これすごく便利だな”といった気づきを持ってもらうことで、決して、“これ、便利でしょ?”と押し付けるものではないと思っているんですね。
──前回の連載でも、「生活を送っている人たちがどんなことを思い、何を考えているのかを感じて、そこから新たなものを生み出していくかを大事にしている」とお話しされていました。
山崎 はい。そこに加え、僕がデザインの仕事で大切にしているのが、人間の本質をしっかりと理解し、その上で、なるべく余計なものは削ぎ落としていくというシンプルさです。最近は複雑化したデザインも増えてきています。もちろん、その方向性のデザインの魅力がありますが、やはりシンプルなもののほうが幅広い世代の人の心を打ちやすい。白いグラスや湯呑みであれば、どんな家庭に置いてあっても違和感がないのと同じです。ただ、単純にシンプルにすればいいということでもなく、洗練さであったり、質感であったり、人の心に残るものでなければならない。その答えを見つけ出していくのがデザインでは一番難しくて、面白いところです。
──先ほどおっしゃった、“今までは気づかなかったけど便利だと感じる気づき”をいかに形にしていくかですね。
山崎 そうですね。もっと分かりやすく言えば、“道具の透明化”という概念があります。例えばハサミを使う時に、“輪の中に指を入れて、刃の部分に紙を挟んで……”とか考えないですよね。誰もが自分の手の延長のような感覚で使っている。その時点で、ハサミという道具は人間にとって透明化している状態といえる。Appleの製品もそうで。MacにもiPhoneにも取扱説明書がない。これは、誰もが手にした瞬間から直感的に操作ができる前提で作られているからなんです。逆に、今の日本の家電や製品は説明書だらけです。なかには、分厚い取説とは別に「かんたんガイド」みたいな冊子をつけて基本的な使い方を説明していたりもする。でも、そこまでしないと使えないのであれば、それはもうデザインの敗北だと言える(笑)。いかに行動行為を透明化させていくか、これがデザインの目指すべきところだと僕は思っています。
従来のウォーターサーバーのイメージを一新
──実際にこれまでに山崎さんが手掛け、“透明化”を意識した製品にはどのようなものがあるのでしょう?
山崎 僕はプロダクトデザイナーではないので製品は多くはないのですが、代表的なものの1つに「AQUA FAB」のウォーターサーバーがあります。ご依頼をいただいた時に要望としてあったのは、「リビングで使えるデザインにしてほしい」というものでした。そこで最初に考えたのが、剥き出しになった水のタンクを隠すこと。普段、来客があった際にリビングに飲みかけのペットボトルを置きっぱなしにする人はいませんよね。そうした発想から、残量確認用のスリットだけを入れて、水のタンクが直接見えないようにしました。また、もう1つの特徴としてウォータートレイを収納式にしています。世にある多くのウォーターサーバーを見ると当たり前のようにトレイ部分がある形でデザインされています。ただ、ポットをはじめとした他の水関連のプロダクトには、水受けがないものも多いし、本質的に必要不可欠なものではないだろう、と。また、トレイの役割はこぼれた水を受けるためのものですから、それを無くすことは《水を無駄にしない》という企業メッセージにも繋がる。この2点は最初に意識した部分でした。
──実際の製品を拝見すると、デザインが全体的にすごくシンプルですね。グリップレバーがあることでウォーターサーバーだと判別できますが、それがないと何の製品か分からないほどです。
山崎 “リビングで使えるデザイン”というオーダーをこのシンプルさに集約しました。存在感としてイメージしたのは《柱》です。というのも、友人と食事に行って「ウチの家のリビングの柱が4本あるんだけど、そのうちの1本がイマイチでさぁ……」と柱について語ることって基本ないですよね(笑)。普段、特別な意識を持たないもの……つまり《柱》は家の中の風景に溶け込んだ、透明化された存在である。それを擬態するように、ウォーターサーバーのデザインに反映させました。
──使う側に意識させないというのは、先ほどの「人間の本質を理解する」というデザインする上での大切さにつながることですね。
山崎 そうですね。僕のキャリアのスタートは広告やグラフィックデザインの仕事だったのですが、当時から、人が一日の中で目に触れる広告の数は2万から3万だと言われていました。だとすると、朝起きて、お昼すぎにはすでに1万から1万5000の広告を見ていることになる。けれど、頭に残っているものってほとんどありません。それは、我々が無意識下で、瞬時にその情報が必要かどうかを判断しているからなんです。そして、判別する時間は1つの情報に対して0.2秒程度だと言われています。デザインの世界ではよく“ワンクリエイティブ ワンメッセージ”という言葉が使われるのですが、それはつまり、人が情報を取捨選択する0.2秒の中だと、1つのメッセージしか届けられないからなんです。だからこそ、メッセージを研ぎ澄まし、人間の本質や心理を常に考えて、デザインに組み込んでいくことが必要になってくる。その結果、ミニマルでシンプルなものになっていくのは、デザインの1つの方向性として必然的なことだと言えます。
“面白そう”と感じたものにはすぐに自分で体験していく
──普段、デザインはどういった時に考えることが多いのでしょう?
山崎 決まった形というのはなく、日常生活を送っていく中で見たものや体験したものから、いろんな知識や経験が蓄積され、それがアイデアとして固まっていくことがほとんどです。先程のウォーターサーバーを例にすると、“そういえば以前、お客さんが遊びに来るから、子どもたちに出しっぱなしにしていたペットボトルを片付けるように言ったことがあったな”という記憶があり、また別の経験として、温泉旅館に泊まった際に、お茶を飲もうとしてポットの下にお茶受けがなかったことを思い出したり。そうした1つひとつの経験が体に残っていて、デザインのオファーがあった時に記憶が引きずり出され、デザインとして編集していく感覚です。
──常にいろんなところにアンテナを張っていらっしゃるということでしょうか?
山崎 それもありますが、でも“これはいつかアイデアとして使えそうだ”と意図的に覚えておくのではなく、無意識のうちに蓄積されているものばかりですね。また、何よりも重要なのが、自分が身を以て経験するということで。僕にとっては、他人の体験談を聞くだけでは、それが自分の中にアセットされることがないんです。面白そうな話を聞いて、“それ、僕もやってみよう、見てみよう”と経験をして初めて自分のメモリーに刻まれる。やはり、やってみないことには分からないことがたくさんありますから。
──実際に経験することと、話を聞いてイメージするだけでは大きな差がありますよね。
山崎 はい。それに、興味のある・なしだけで判別することも、あまりしないようにしています。興味のあることだけを選ぶとどうしても偏っていきますし、関心がなかったことでも、いざ経験してみたら意外な魅力に気づくことがあるかもしれない。また、誰かがいう“これ、面白いんだよ”という言葉には必ずその人が興味を示した理由があるはずですから、そこに僕自身も触れてみたいという思いもあります。その結果、経験することがどんどん増えていって、ちょっと大変な状況になったりもするんですけどね(笑)。
──ちなみに、最近はどんなことに興味をお持ちですか?
山崎 忍者です(笑)。知人が熱く語っていた『完本 万川集海』という本がありまして。日本の忍者のすべてをまとめた教典のような本なんです。辞書並みに分厚く、その質量からも、“忍者という文化をなめちゃいけないぞ”という熱が伝わってくる(笑)。それに、考えてみれば、子供の頃に興味本意で忍者のことを調べたことはあっても、大人になってから真剣に向き合ったことがないなと思いまして。いつか忍者の知識や考えが役立つかもしれないので、すぐに本を取り寄せて読み始めました。まだ全部を読み切れていませんけどね(笑)。
──それほど分量のある本なんですね。
山崎 ええ(笑)。でも、そうやって読みかけのまま“積ん読”状態になっている本はたくさんあります。それでいいと僕は思っていて。“積ん読”しておくことで日常的にその本が視界に入るし、常に頭の片隅に情報として存在することになり、いざという時に記憶として呼び起こされる。そうした引き出しの作り方もあると思うんです。
──そうしたさまざまな引き出しが、デザインに厚みをもたらしていくんですね。
山崎 僕の場合はそうだと言えます。ですから、その経験が自分にとってプラスでもマイナスでも構わないんです。大事なのは、それを体験したことで得られる情報ですから。もちろん、それは何も趣味的なものでなくてもよくって、漫画を読むとか、美術館に行くとか、映画や舞台を観ることでもいい。そうしたことから、僕が経営する(株)セイタロウデザインでは、映画や舞台を見に行く文化体験活動を福利厚生として補助しています。舞台を一度でも観たことがある人生と、そうでない人生とでは、好みの問題は別として大きな違いがある。そういった視覚体験の蓄積が、デザイナーにとって大きな岐路になると思うんです。
【山崎晴太郎さん撮り下ろし写真】
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撮影/干川 修 取材・文/倉田モトキ