本・書籍
2017/12/26 11:00

ノーベル文学賞作家・カズオ・イシグロのデビュー長編は異国で育つ日本の子どもたちに読ませたい

今年、読んで感動した本に、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの作品を上げる人は多いのではないかと思う。老執事が自らの人生を振り返る、英国最大の文学賞であるブッカー賞受賞作の『日の名残り』、臓器移植という目的のために生み出されたクローンの若者たちを描いた『わたしを離さないで』。いずれも世界中で話題になり映画化された作品だ。私は二冊とも読んだが、とても感動した。

19279833 - skyline of the bay of nagasaki, japan.

が、私の古い記憶をも呼び覚まし、小説の中の会話の一つ一つが胸に迫ってきたのは、彼の長編デビュー作『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ・著、小野寺健・訳/早川書房・刊)だった。

 

 

カズオ・イシグロの記憶の中の「長崎」

ご存じのようにカズオ・イシグロは長崎で生まれ、5歳の時に父親の仕事の都合で一家で英国へ移住し、彼の地で教育を受けて成長し、そして英国を代表する作家として大成した。

 

『遠い山なみの光』は、幼い頃の長崎での日々の記憶を忘れないように、薄れゆく自身の中の日本のイメージを永遠に保存するために書かれた小説だそうだ。

 

稲佐は長崎の港を見おろす、景色が美しいので有名な丘陵地帯である。(中略)わたしたちは午後の日ざかりに、フェリーで稲佐へ渡った。ガンガンというハンマーの音、機械の唸り、ときどき鳴りひびく船の太い汽笛――港のさまざまな騒音が、海面を追いかけてきた。けれどもそのころの長崎では、こうした騒音もやかましい感じはしなかった。それはむしろ復興の槌音で、まだ何となく気持ちを昂揚させてくれたのである。

(『遠い山なみの光』から引用)

 

ケーブルカー、市電、原爆記念碑など物語の随所に散りばめられた描写は、著者の脳裏に残る大切な故郷の情景なのだろう。

 

 

異国に渡る決断をする親と翻弄される子ども

『遠い山なみの光』の主人公で語り手である悦子は長崎を去り、英国に移住した母親だ。離婚をし、娘の景子を連れて海を越え、英国人男性と再婚、そして二人目の娘ニキが生まれた。しかし、純粋な日本人の景子は現地にも新しい家族にも馴染めず引きこもり、やがて自殺をしてしまう。

 

英国人の夫もこの世を去っていて、悦子はイギリスの田舎の家に一人で暮らしている。そこにすでに独立しロンドンに住む次女のニキが会いに来たところから物語ははじまる。

 

カズオ・イシグロの小説には読者にとって親切な説明がない。登場人物にいつ、何が起こり、どうしてそうなったか、わからないまま読者は読み進むことになる。にもかかわらず、物語には引き込まれ夢中でページをめくる。やがて文中の「会話」の中で、少しずつ少しずつ事情が明らかになっていくのだ。

 

娘の死をきっかけに悦子は戦後まもない長崎で出会った、佐知子と万里子という母娘に想いを馳せる。あてにならないアメリカ人に未来を託そうとする佐知子とそれに翻弄される少女の万里子。当時の悦子は、この母親の考えが理解できず万里子の未来を案じていた。

 

「万里子はアメリカに行っても大丈夫なのに、どうしてそれを信じてくれないの。子供を育てるには向こうのほうがいいわ。向こうのほうがずっといろいろなチャンスもあるわ。女にとっては、アメリカの生活のほうがずっといいのよ」

(『遠い山なみの光』から引用)

 

しかし、当時、悦子には日本人の仕事も順調なよき夫がいて、やがて生まれてくる景子がお腹にいて幸せな日々を送っていたため、佐知子のような考えがまったく理解できなかったのだ。

 

それが数十年を経て、悦子自身も海を渡ることになり、そして異国で娘を失ってしまった。悦子はそのとき、やっと佐知子に共感できるようなる。

 

「でもね、ニキ、わたしは初めからわかっていたのよ。初めから、こっちに来ても景子は幸せにはなれないと思っていたの。それでも、わたしは連れてくる決心をしたのよ」

(『遠い山なみの光』から引用)

 

 

異国育ちの日本人たち

私も日本で生まれた娘を乳児期に欧州へ連れていった身なので、この本の会話のいくつかは自分に向けられてるような感覚にとらわれた。

 

親の都合で異国に連れてこられた日本の子どもたちが、何事もなくすんなりと現地になじむことはほとんどないと思う。日本で育っていればしなくてもいい苦労を、異国ではさせることになるのだ。

 

カズオ・イシグロも、彼の母親も英国に渡り、さまざまな苦労を重ねてきたのだろうと思う。

 

今年の彼のノーベル文学賞受賞は、海外の教室で奮闘している日本の子どもたち、そして故国と異国の狭間で悩みながら子育てしている日本の母親たちにも大きな希望を与えたと思う。

 

さて、カズオ・イシグロの小説は二度読みすることをおすすめだ。結末がわかった上で読み返すと一つ一つの会話の趣が増し、さらなる感動を覚えるのだ。

 

 

【著書紹介】

2000000180095

遠い山なみの光

著者:カズオ・イシグロ
出版社:早川書房

イギリスに暮らす悦子は、娘を自殺で失った。喪失感に苛まれる中、戦後混乱期の長崎で微かな希望を胸に懸命に生きぬいた若き日々を振り返る。新たな人生を求め、犠牲にしたものに想いを馳せる。『女たちの遠い夏』改題。

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