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2015/4/22 0:00

「年収300万円で構わない!」という提言は繰り返される

新入社員が選ぶ「理想の上司」ランキングの男性1位に松岡修造が選ばれたという。これ、それなりの危険をはらんでいると思う。俺は応援しているぞ、だから君が頑張りさえすれば絶対にできるんだ、というメンタリティは、もしも達成できなかったときに、自分の心持ちを維持させることを難しくしてしまう。

 

 

「稼げば稼ぐほど、お金に対する執着や欲望、不安感は増す」

 

「応援してるからやってみな」「がんばれよ」という言葉は、がんばろうかどうか悩んでいる現在を認めてくれないから困る。「やればできる」と経験則で断言されると、その日じゅうは元気づけられるかもしれないが、翌日からはプレッシャーに変わってしまうかもしれない。そのプレッシャーを自分で調整できるようになるには会社に入ってからしばらくはかかるから、新入社員が「理想の上司」として一目散に松岡修造を挙げているのはいささか不安だ。

 

島田裕巳『プア充』は、稼ぎなどそこそこで構わない、会社であくせく働いて潰されるよりも、たとえ裕福でなくても充実した生活を送ろう、と提言する一冊。森永卓郎『年収300万円時代を生き抜く経済学』が出版されたのはもう10年以上も前だが、この手の議論は、どうやら何度も繰り返されている。著者は、小説タッチに進む本書のなかで「稼げば稼ぐほど、お金に対する執着や欲望、不安感は増すものなんだ」「欲しいものって、お金を持てば持つほど増えていく気がします」と書く。

 

 

幸せの形が定まってしまっている

 

(松岡修造のメッセージのように)目の前にあることをひとまずポジティブに捉えることを自分に課し続けると、目の前の課題をクリアし続けるなかで、「あれもこれも手に入れたい」という欲求が生まれやすい。その欲求はやがて「あれを手に入れなくては」という不安感を呼び込む。他人の目ばかりが気になり、自分のスペックを高めようとすることだけに奔走してしまう。

 

宗教学者の著者は書く。「世界の宗教の半分は禁欲を基本としている。禁欲しているからこそ、たまに行なわれるハレの日の行事が、楽しい」。消費社会に飼いならされていると幸せの形が定まってしまい、「何かを得る」という幸せの形を目指して、皆が切磋琢磨してしまいがち。それって、経済活動としては抜群だけれど、人の心持ちとしては本当に正しい動きなのかどうか。

 

 

人のスペックに対して評価を下し続ける社会

 

「プア充=プア(貧乏)だけど充実している生活」を希求するべきではないかと提言する本書は、大企業や勢いのある新興企業ではなく、あえて「古くてださい会社」に入るべきだと諭す。そういう会社は、「ある程度の事業基盤や利益を出す仕組みが確立されているから安心」である。その一方で、「仕事に対してやりがいや生きがいといった価値を見出すからこそ、ブラック企業で働く人がいるんだろう」と語る。残業代未払いなどの具体的な金銭的な搾取の他にも、「やりがいの搾取」、つまり、人の意気込みをうまいこと使って翻弄してしまうやり口がいわゆるブラック企業では常態化している。

 

「プア充のススメ」として、いくつもの項目が並べられている。「国や企業の『成長使命』に、個人がふりまわされる必要はない」「『生きやすさ』は数字では測れない。今の日本は、お金がなくても生きている社会」「仕事はあくまで生活のための手段と割り切る」「無理して貯金をする必要はない」……。納得のいかない項目もあるが、学歴や職歴や収入といった、自分ではなく、自分が持つスペックに対して評価を下し続ける社会を見直す必要があるのは確か。

 

 

「プアのままでいいんです」という誘いは甘言か

 

しかし、この手の「本当は300万円でも……」という議論が繰り返し続いていることは注視するべきだ。つまり、「稼がなくても、自分らしい生活が守れればいいんだよ」という言付けが何年も何年も重ねて提言されているのはなぜか。その反復を問題視しなくてもいいのだろうか。うまくいっている人と、うまくいっていない人との差が、あらゆる局面で拡大する中で、「プアのままでいいんです」という誘いは、単なる甘言にもなりやすい。その「甘さ」が反復を呼び込んでいるのなら「プアのままで」には頷けない。断絶を深めるだけでは、むしろプアのプアっぷりが深刻になるだけである、ということも改めて肝に銘じておきたくなる。

 

 

(文:武田砂鉄)

 

 

【文献紹介】

20150422_2071_02

プア充 高収入は、要らない
著者:島田裕巳(著)
出版社:早川書房

「ストレスのない仕事」「高くはないが、安定した収入」「希望あふれる未来」と「過剰な労働」「割に合わないそれなりの収入」「不安だらけの将来」どちらを選ぶ? 「私たちは、これまでとは違う新しい生き方を追い求めていく必要があります。この本で提案しているのが、そこそこ働き、企業に縛られず。自分の生活を生き生きさせていく「プア充」という生き方です。私も、大学を辞めた後、数年のあいだかなり貧しい生活を強いられました。仕事がなく、年収が200万円に満たない年もありました。(「あとがき」より)
年収300万円だからこそ、豊かで幸せな毎日! 『葬式は、要らない』の著者がストーリー形式で描く、現代版「少欲知足」のススメ。

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