すまじきものは宮仕え。社長や上司をいつか殴ってやろうと決めている全国5000万人の労働者の皆さま。いかがお過ごしでしょうか。
ムカついたからといって暴力はよろしくない。自分の手を汚さずにゴルゴ13に依頼……するのではなく、もっとスマートな方法で仕返しする方法がある。
いまから数百年前に「召使いの心得」を書いた本があった。貴族のお屋敷で「できるだけ気楽に勤めを果たすためのコツ」を説いたものだ。その内容は、わたしたち現代人が読んでも参考になる。雇い主にこっそり仕返しをするやり方も学べる。紹介しよう。
ベテラン召使が伝授するノウハウ集
『召使心得 他四篇』(ジョナサン・スウィフト・著 /平凡社・刊)は、18世紀のヨーロッパで出版された本だ。
「貴族のお屋敷に仕えるときの心がけ」を指南しており、執事・メイド・料理人・雑用係・馬車係などの現役召使いたちに向けて「ベテラン召使が長年のノウハウを伝授する」という形式だ。
この『召使心得』を書いたスウィフトは、『ガリバー旅行記』の作者としても知られている。スウィフトにはイギリス貴族の秘書をしていた時代があり、そのときの経験や知見がふんだんに盛り込まれているようだ。
執事(バトラー)の心得
執事とは、主人の家庭内秘書であり、一家の使用人たちを統括する役職だ。それに加えて、当時はワイン管理の責任者だった。現代の西洋料理店でたとえるならば、総支配人とソムリエを兼ねた役割を受け持っていたようだ。『召使心得』のなかでも、お屋敷のワイン管理に関する言及が目立つ。
ボトルはすべて最初にワインですすぐこと。洗った時の水気が残っているといけませんから。
(『召使心得 他四篇』から引用)
貴族ともなればワインを「樽(たる)買い」しているため、まずは樽からワインボトルへ移す必要がある。『召使心得』では、樽から移す前に、ボトルの中身を清潔に保つため「ワインですすぐこと」を推奨しているのだ。
ワイン樽のある家では、詰め替え用のワインボトルを使う。カラになればボトルの中身を洗わなければいけない。水で洗うとボトルのなかに水気が残ってしまい、その中へワインを入れると味が薄まってしまう。だから「ボトルをワインですすぐこと」を指南している……わけではない。ちがう。
じつを言うと、これは皮肉なのだ。ふつう、詰め替え用のボトルは水で洗うものだ。貴族がいくら金持ちだからといって、ワインで洗浄することはない。先ほど引用した部分のあとには、つぎのような文言が続いている。
労働者たちの本音
そこで使ったワインを入れておく壜(びん)を用意しておくこと。それを売ってもいいし料理人と飲んでもいいし、これは役得というものです。
(『召使心得 他四篇』から引用)
もうおわかりだと思うが、『召使心得』という本は、こき使われる者たちのサバイバル術を説いたものだ。いかに毎日の仕事を楽して済ませるか、いかに役得をゲットするか、ズルをするための手法を学ぶことができる1冊なのだ。
グラスを洗う時には自分の小便を使うこと。旦那さまの塩を節約するためです。
(『召使心得 他四篇』から引用)
ワイングラスの水垢を取り除くために「塩」をつかって磨くことがある。みずからの排泄物を差し出すなんて、まさに献身であり、ベスト・オブ・奉公人だ。すばらしい。
この本には、日頃の「宮仕え」で溜まったストレスを晴らすための記述が散見される。痛快で笑える。
料理人(コック)の心得
すすの塊がスープの中に落ちてうまく取れないと時には、よくかき混ぜればよいでしょう。たいへん結構なフランス風の味付けになりますよ。
(『召使心得 他四篇』から引用)
「すす」が混入しかたらといって捨ててしまえば、食卓に出すべきスープが足りなくなる。食事を楽しみにしている旦那さまや奥さまをガッカリさせてしまう。
飲食店の厨房で働いたことのある人にとっては「あるあるネタ」だ。当然のことながら、すす混じりのスープをお客さんに出してはいけません。
料理人にとって台所は化粧室のようなものですが、トイレに行って、
(中略)
手を洗う必要はありません。なにしろ料理人は多くの仕事をしなければならず、その一〇倍も手が汚れるのですから、すべてを終えてから一回手を洗えば、それでよいのです。
(『召使心得 他四篇』から引用)
トイレに行くたびに手なんて洗っていられない。与えられた仕事を時間内に片付けるためだ。過程がどうであれ、毎日の仕事をそつなく済ますことは「旦那さま」のためになる。
言わぬが花。知らぬが仏。世はすべて事もなし。面従腹背の心がけは、わたしたち労働者にとって最大の武器だ。もしも上司との人間関係で悩んでいるのなら、スウィフトが活写してみせた召使たちを見習ってみてはいかがだろうか。
(文:忌川タツヤ)
【文献紹介】
召使心得 他四篇
著者:ジョナサン・スウィフト(著)、原田範行(訳)
出版社:平凡社
執事・女中らの処世術を説く表題作ほか『ガリヴァー旅行記』作者の面目躍如たる新訳選集。ペンの力ここにあり!