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2018/3/21 16:30

屏風の裏に潜む「魔」に魅せられる――屏風絵と狩野派の深遠なる世界

屏風が好きでたまりません。そのくせ、改めて考えてみると、屏風とはいったい何なのか? わかっていないような気がします。

 

百科事典をひいてみると、「室内調度の一つで、風を防ぎ視界をさえぎる目的から起こった」と、あります。風を屏(ふせ)ぐという言葉に由来するというのです。

 

けれども、私にとっての屏風はあくまでも室内で使う物で、風に吹かれたら倒れてしまいそうです。

屏風、その様々な使い方

屏風は、広げると壁全体を覆う大きな一枚の絵になります。美しく描かれた屏風は観るものを圧倒し、壮大な美術品として私たちの目の前に独特の世界を広げます。

 

一方で、金一色の屏風もそれはそれで美しい。芸能人が婚約発表の記者会見で用いる定番です。あでやかな大振り袖に身を包んだ女性の背景として、金屏風ほどふさわしいものはないと思います。

 

さらに、着替えをするときに衝立として視界を遮るために使われることもあります。実用的ながらなんとなく艶っぽい雰囲気を醸し出します。

 

私は屏風の裏も好きです。美しい彩色とはうって変わった地味な彩色。けれども、裏に潜んでこっそりと華やかな世界を垣間見ることができたら、それこそ至福の時だといえましょう。

 

 

屏風と言えば狩野派

昨年、九州国立博物館で「新桃山展」という興味深い展覧会が行われました。大航海時代の日本美術が数多く集められ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら、そうそうたる人々が愛した桃山美術が勢揃いし、有名な「南蛮人渡来図屏風」や「泰西王侯騎馬図屏風」、そして、メキシコからやってきた本邦初公開の「大洪水図屏風」など、度肝を抜くような逸品ぞろいでした。

 

中でも目を見張ったのは「檜図屏風」と「唐獅子図屏風」です。豪勢な桃山美術そのものといったこれらの屏風は、狩野永徳の筆によるものです。

狩野永徳に痺れる人へ

狩野永徳は桃山時代に活躍した絵師です。祖父の狩野元信の指導のもと、幼い頃から画才を発揮して織田信長や豊臣秀吉に重用されました。安土城や聚楽第の障壁画を製作し、見事な作品を残した天才絵師だと言われていますが、残念なことにそれらは失われてしまいました。

けれども、災いを逃れ、生き延びた作品が、その圧倒的な表現を今に伝えています。日本美術史の上で、狩野永徳ほど天才の名を欲しいままにした人はいないのではないでしょうか?

 

素晴らしい屏風を観た後、私は狩野永徳のことを知りたくてたまらず、いくつかの研究書や小説を読みました。

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(谷津矢車・著/学研プラス・刊)は、狩野永徳の半生を描いた物語です。上下巻に別れた長い小説でしたが、面白くて、あっという間に読み終わりました。歴史的事実に裏打ちされた物語が目の前にあるスクリーンで上映されているようでした。

 

 

著者・谷津矢車が語る歴史にハマった理由

著者の谷津矢車は1986年生まれだといいます。ということは『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』を書いたとき、まだ27才だったことになります。その若さで、これほどの歴史小説を書くことができるとは!と、驚かないではいられません。

 

大学で歴史学を学んだとのことで、史料の扱い方をこころえているのでしょう。それになにより、昔語りが大好きなことが、作品に力を与えているのでしょう。

 

彼はインタビューで、「歴史にハマったきっかけ」について、以下のように述べています。

 

歴史にハマったきっかけを思い返すと、祖父母と一緒に見ていた「大岡越前」や「水戸黄門」が最初です。小学校3年生ぐらいで、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」にハマり、その後、いま映画化でも話題のマンガ『るろうに剣心』に5年生ぐらいで出会っています。そこで幕末に思いっきり入り込んでしまったんです。

 

思いっきり…。そう、思いっきり入り込むところに、著者の魅力があると思います。

 

 

物語の始まりは…

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』は、その冒頭から不吉な波乱を暗示しています。物語は、まだ狩野永徳になる前、狩野家の若総領・狩野源四郎であった彼が、織田信長に出会うシーンから始まります。

 

天下人になるのに一番近い人物と言われる織田信長。その激しい気性によって「うつけ殿」と呼ばれた信長が、思わず「異形、よな」と、呟かないではいられなかったのが、この本の主人公・狩野源四郎です。

 

源四郎はその衣装からして異様です。右半身が白、左半身が黒の片身合わせでやってきたというのですから…。陰陽が交差し、まるで弔い装束ではありませんか。信長が怒りを覚えたのも当然でしょう。まして、その態度はふてぶてしく、謎に満ちています。

 

それだけではありません。屏風絵を献上する条件として、源四郎は長い長い物語を聞いて欲しいと、言い放つのですから、命知らずとしか言いようがありません。

 

しかし、そこは信長。「――聞いてやる。話してみい」と答え、源四郎の言葉に耳を傾けるのでした。

 

 

信長が聞いた物語

信長は約束通り、長い話をただ聞いてくれました。質問を浴びせることもなく、目を閉じたまま、言葉の流れるままを、ただ耳で追っていたといいます。

 

語り終えた後、源四郎も約束通り、まだ名前もついていない屏風を差し出します。
「金で縁取りされた京の町の六曲一双」が、それです。

 

この後、何が起こったか? については、言わぬが花でしょう。ただ、屏風には美しさ、残酷さ、そして、未来をも写し取る力があることを感じたことだけはご報告しておきたいと思います。

 

屏風にまつわる物語を、歴史の彼方から蘇らせ、表面からも裏面からも描ききったところに、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』の魅力があると思います。

 

あなたも屏風の裏にもぐりこんで、物語を味わってみてはいかがでしょう。

 

【著書紹介】

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳

著者:谷津矢車
発行:学研プラス

その絵は、誰のために、何のために、描かれたのか? 狩野派の若き天才が挑んだのは、一筆の力で天下を狙う壮大な企てだった――。天才絵師・狩野永徳が「洛中洛外図屏風」完成に至るまでの苦悩と成長を描いた話題作文庫化。下巻に特別描き下ろし短編を収録。

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