本・書籍
2019/4/23 21:45

人はなぜ「犬」と暮らすのか? 馳 星周『雨降る森の犬』からみる犬と人の絆

馳星周さんのノワール小説はテンポがあって好きだが、彼が描く情感あふれる犬小説はもっともっと好きだ。『ソウルメイト』、それに続く『陽だまりの天使たち ソウルメイトⅡ』、そして今日紹介する『雨降る森の犬』(馳 星周・著/集英社・刊)も夢中になって読んだ。

 

物語は母親との確執を抱えた女子中学生・雨音が、蓼科で愛犬と共に暮らしている山岳写真家の伯父・道夫のもとにやってくるところからはじまる。

 

 

変わり者の犬こそおもしろい

主役の雄犬・ワルテルは、馳さんが愛してやまない大型犬のバーニーズ・マウンテン・ドッグで、実際に飼った二代目の愛犬がモデルになっているそうだ。犬種による基本的な性格はあるものの個体差は大きい。バーニーズは人懐こく穏やかな性格の子が多いが、ワルテルは限られた人間以外は好きではなく、人に撫でられることが嫌いで、睨む、唸るという困ったクセを持っている。

 

主人公・雨音との出会いのシーンでも、体を低くして睨み、唸ったので雨音は凍りついてしまう。しかし、読み進むうちにワルテルはほんとうは愛情深く、家族を守ろうとする正義感あふれる犬だということがわかっていく。

 

「こいつは変わったやつでね。身内にしか唸らないんだ。唸ったってことは、雨音を群れの一員だって認めたってことだ」

(『雨降る森の犬』から引用)

 

この一文を読んで、私は「うちの子と同じ」と思わずつぶやいてしまった。わが家の愛犬は雌のラブラドール・レトリバー。賢く温和な犬なのだが、家族にだけ唸るというクセは一生直らなかった。嫌だという意思表示、あるいは、時には遊びでも唸るので、知らない人は凶暴な犬と勘違いされてしまうこともしばしばだった。

 

しかし、噛むなんてことは決してなかったし、来客に幼児や赤ちゃんがいると、怖がらせないためにその間は家族にも唸ることをやめていた。つまり”わかってて唸る犬、変わり者の犬”だったのだ。

 

だからワルテルが子分とみなした雨音に唸るシーンが出てくるたびに、ほくそ笑んでしまう私だったのだ。

 

 

少女と少年の成長物語

さて、物語には雨音、道夫、そしてもう一人、別荘族の美少年・正樹が登場する。彼もまた、雨音と同様に家族との確執を抱えた悩み多き高校生という設定だ。

 

犬は言葉を発しない。けれども、心を許した人間にはどこまでも忠実で今を精一杯生きている。その姿に悩める10代たちは慰められ、勇気を与えられていくのだ。

 

道夫のこの言葉は、若者だけでなく大人の私たちにもぐっと響く。

 

「人間は過去と未来に囚われて生きている。脳味噌が発達しすぎた結果だ。なんでも過去の経験に照らし合わせて、未来を予想しようとするんだ。(中略)動物は違う。あいつらは、今を生きている。瞬間瞬間をただ、精一杯生きているんだ。過去に囚われることも、未来を恐れることもない。(中略)ワルテルみたいに今を生きるんだ。一瞬一瞬を、一生懸命生きるんだ。そうしていれば、いやなことなんて、あっという間にやって来て、あっという間に過ぎていくぞ」

(『雨降る森の犬』から引用)

 

豊かな自然の中の暮らしに憧れる

また、本書は犬好きだけでなく、自然の中での暮らしに憧れている人にもおすすめだ。蓼科山と竜が峰の裾野に広がる森を散歩するシーンでは、森林浴をしている気分に浸れる。

 

森の奥から湧き出た霧が、じわじわと森全体に広がっていこうとしていた。まるで異界に迷い込んだかのようだ。その異界の森を、リードから解放されたワルテルが駆け回っている。(中略)ふいに、頭上に温かいものを感じた。森の上のほうを仰ぎ見た。微かな梢の隙間から、一条の光が射し込んできていた。

(『雨降る森の犬』から引用)

 

このような描写が続き、読者は田舎暮らしを疑似体験できてしまうのだ。また、猪のハム、猪肉の餃子、鹿肉のカレーなどの、一度味わってみたいジビエ料理も次々と登場する。

 

 

悲しみは、やがてたくさんの楽しい思い出に

ところで、ペットロスになってしまうのが怖いから犬や猫は飼えないと言う人は少なくない。でも、一度でも犬や猫を飼った人ならわかる、死別の悲しみより、共に生きる時間の喜びがはるかに大きいことを知っているからだ。

 

実は私もようやくペットロスから立ち直ったところなのだ。

 

わが愛犬は娘に看取られ天国へ旅立った。12歳までは家族で暮らしていたが、それ以降、娘と犬はパリの小さなアパルトマンで暮らしていた。前日に獣医の健康診断を受け何の問題もなかったが、高齢で足腰が弱っていたため、家の中と芝の上以外ではあまり歩かせない方がいいとアドバイスされた。老いて痩せたとはいえ20キロの大型犬を抱きかかえて石畳の街を歩き、草のあるところまで娘がひとりで毎朝晩に連れて行くなど大変なことだ。

 

翌朝、何の前触れもなく眠ったままわが愛犬は逝った。一人っ子の娘を守るべくしてやってきた自分の使命をよく理解していた犬なので引き際も心得ていたような気がしてならない。15歳の誕生日を迎えることは出来なかったが、長生きしてくれて感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

「他の犬も動物も、基本的にはみんな人間より早く逝く。それでも、人が動物と暮らすのは、別れの悲しみより一緒にいる喜びの方がずっと大きいからじゃないのかな」

(『雨降る森の犬』から引用)

 

これは本書の道夫の言葉であり、著者の馳さんの思いだろう。

 

バーニーズは十歳からは神様の贈り物と言われるほど短命な犬種だ。それでも馳さんは本書のモデルとなったワルテルをはじめ、先住犬たちを見送りながらも、今も、そしてこれからも新しいバーニーズを迎えながら暮らしていくそうだ。

 

私も環境さえ整ったら、やはり二代目を迎えたい。

 

「犬のいない暮らしなんて考えられない」本書を読み終え、ますますそう思っているところだ。

 

 

【書籍紹介】

雨降る森の犬

著者:馳 星周
発行:集英社

父親を病でうしない、母親との確執を抱えた女子中学生の雨音(あまね)は不登校になり、山岳写真家の伯父・道夫のもとに身を寄せた。道夫はバーニーズ・マウンテン・ドッグのワルテルとともに自前のログハウスに住んでいた。ログハウスの近くには大きな別荘があり、雨音はそこの持ち主の長男で高校生の正樹と知り合う。正樹は再婚した父親と若い母親に対して、複雑な感情を抱えていた。雨音と正樹は道夫の影響で登山の魅力を知るようになり、道夫の愛犬ワルテルと自然との触れ合いが、二人の心を少しずつ癒していく。家族の問題を抱えた中学生と高校生が、道夫とワルテルと過ごすなかで自らの生きる方向性を見出していく、心に響く長編小説。

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