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歴史
2021/1/27 20:00

歌舞伎町に存在する厳然たるルールとは何か?−−『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』

初めての映画館。初めてのバイト先。そして、初めて通った英会話学校。筆者にとって、新宿・歌舞伎町は何かとお初の思い出がある街だ。およそ34万8000平方メートルの面積の中にたくさんの日常、そして非日常が詰まっている。

 

おじさんが頭から血を流しながらダッシュする街

三多摩地域のとある市に住んでいた筆者にとって、新宿は一番近い大都会だった。子どものころから使っていた西武新宿駅の階段をJR新宿駅方向に下りて行くと、左手に広がるのが歌舞伎町。日本最大の繁華街に昼の顔と夜の顔の差を感じた覚えはない。ただ最初に書いたように、ごく狭い範囲に日常と非日常が隣り合っている。

 

それは、たとえばこういうことだ。今はセントラルロードという名前になっている通りにあった牛丼屋でバイトをしていたある夜、シフト終わりにお店を出たら、50歳くらいのおじさんが、頭から血をほとばしらせて何かを叫びながらダッシュしていた。横にいた先輩は特に驚く様子も見せず、目で追うだけだった。後から考えれば、走って行った方向に大久保病院があったので、何らかの事情でケガをして向かっていたのかもしれない。

 

この原稿で紹介したいのは、筆者がかつて比較的長い時間を過ごした歌舞伎町の深いところまでを紹介してくれる本だ。内側で生きている人ならではの皮膚感覚を通して語られる話は、この街に行ったことがある人には独特な懐かしさ、そして行ったことがない人には新鮮な驚きと共に響くだろう。

 

インサイダー視点で語られる日本一の歓楽街

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』(手塚マキ・著/幻冬舎・刊)の著者手塚マキさんは歌舞伎町でホストクラブやバー、飲食店、美容室など十数軒を構える「Smappa! Group」の会長を務める“歌舞伎町どっぷり”で生きてきた人物だ。1997年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て独立し、グループ企業を育て上げた。

 

プロローグで、コロナ禍の中“夜の街バッシング”が起きた2020年5~6月にかけて新宿区とホストクラブの連携体制が出来上がるまでのプロセスが語られている。とてもタイムリーだ。インサイダーであり当事者である手塚さんの視線から冷静な口調に乗せて紡がれるものごとの時系列は、ドキュメンタリーフィルムを見ているような感覚で読み進めることができる。

 

追体験とアップデート

プロローグから始まり、第一部で歌舞伎町の概要と歴史、第二部で歌舞伎町に生きる人たちについて詳しく触れていくこの本の構成についての説明が「はじめに」で綴られる。学術論文のアブストラクトに似た印象を受けるこの「はじめに」は、次のような文章でしめくくられる。

 

以上のように、歌舞伎町全体の雰囲気を摑んでいただいてから、その中で生きる1人1人の人間にスポットを当てることで、歌舞伎町で生きるということをリアルに感じていただけるかと思います。ようこそ歌舞伎町へ。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

この本、筆者にとっては追体験であると同時にアップデートとなりそうだ。どのような形で懐かしさを埋め、どんな新情報をもたらしてくれるのか。

 

人が夜の街に求めるもの

社会派ドキュメンタリーのようなプロローグを抜けると、すぐに“歌舞伎町概論”が始まる。その冒頭に印象的な一文を見つけた。

 

歌舞伎町を去った人でも、隠す過去にしたり、武勇伝にしたり、ただ通り過ぎた一風景にする人は少ない。特別な何かがそこにはあるからだろう。だから私も語る。私の大好きな歌舞伎町を語る。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

「はじめに」とはまったく違うリリカルな書き口の文章だ。人々が求めるのは、歌舞伎町という街自体がまとっている特別感なのかもしれない。

 

歌舞伎町のルールって?

日本一の歓楽街を貫く絶対的なルールはあるのか。この本を読んで、厳然としたルールがあることがわかった。しかも、それはあっけないほど単純だ。でも、歌舞伎町で生きる大多数の人々はこの単純で厳然としたルールを遵守する。

 

決まったルールも線引きもない。だが歌舞伎町なりのモラルがある。自分のテリトリーを大事にするということは、他人のテリトリーに対しても敬意を持つということなのだ。

           『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

考えてみればごく当たり前のことかもしれない。ただ、歌舞伎町が生活圏ではない人々は、非日常に満ちた街は非日常的なルールに司られていると考えがちではないだろうか。それはいかにもステレオタイプなのだ。ルールという言葉は、リスペクトというニュアンスでとらえるべきだろう。歌舞伎町全体を覆う共通のリスペクトが強力な表面張力として機能しているのだと思う。

 

歌舞伎町、そしてそこで生きる人たちを対象に繰り広げられるマクロ的視点とミクロ的視点の行き来が心地よい。今流行っているPC経由のオンラインツアーにドキュメンタリー要素を盛り込み、紙媒体で展開してくれているような一冊だ。読み終わって思った。42年前、頭から血をほとばしらせながら疾走していたあのおじさんは、結局どうなったのだろうか。

 

【書籍紹介】

 

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>

著者:手塚マキ
発行:幻冬舎

戦後、新宿駅周辺の闇市からあぶれた人々を受け止めた歌舞伎町は、アジア最大の歓楽街へと発展した。黒服のホストやしつこい客引きが跋扈し、あやしい風俗店が並ぶ不夜城は、コロナ禍では感染の震源地として攻撃の対象となった。しかし、この街ほど、懐の深い場所はない。職業も年齢も国籍も問わず、お金がない人も、居場所がない人も、誰の、どんな過去もすべて受け入れるのだ。十九歳でホストとして飛び込んで以来、カリスマホスト、経営者として二十三年間歌舞伎町で生きる著者が<夜の街>の倫理と醍醐味を明かす。

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