やさしい言葉にホッとする。美しい絵や色にワクワクする。絵本の世界は子どもたちだけではなく、現代の大人たちにも、心のサプリメントのような存在として広く愛されています。
約20年前から始まった出版不況のなか、絵本を含む児童書は安定的に売り上げを伸ばし続ける希少なジャンルです。往年の名作から大人向けまで、絵本の種類は年々幅広くなり、業界はまさに成熟のときを迎えているといえるでしょう。その一方で、年に約2000冊といわれる新刊絵本のうち、書店の小さな絵本コーナーで私たちが出会える作品の数は、けっして多くはありません。
今この時代だからこそ読める、面白い作品に出会うには、どんな風に絵本を探したらいいのでしょうか? そこにヒントをくれるのが、白泉社の雑誌『月刊MOE(モエ)』が実施している絵本の年間ランキング『MOE絵本屋さん大賞』です。「絵本のある暮らし」をキャッチフレーズにうたう『MOE』は、読者と良質な絵本との出会いをサポートし続けている専門誌。
今回は同誌のファンでもあるブックセラピスト・元木忍さんが、絵本の世界でいま起きていることや、絵本とのお付き合いを楽しむための秘訣を、『MOE』編集長の門野隆さんに聞きました。
『MOE』(白泉社)
絵本のある暮らしを提案する月刊誌。人気作家やキャラクターなどを切り口とした巻頭特集のほか、絵本好きの琴線に触れるアートや映画、雑貨、スイーツなどの情報を届けています。あの『ハリー・ポッター』シリーズを日本の雑誌として初めて大特集したのも同誌でした。毎月3日発売。
https://www.moe-web.jp
「大人の絵本の楽しみ方」を提案した初の専門誌
元木忍さん(以下、元木):『MOE』はひと言でいうと「絵本の専門誌」ですが、特集によっても違いますし、絵本以外の内容もかなり掲載されていて、本当に楽しい雑誌ですよね。
門野隆さん(以下、門野):ありがとうございます。キャッチフレーズとしては「絵本のある暮らし」。もっと具体的にいうと、絵本やそのキャラクターを中心としたカルチャー総合誌、というのがしっくりくると思います。
元木:絵本と一緒に楽しめそうなお取り寄せスイーツや、雑貨が紹介されていたりするのもいいですよね。
門野:そうですね。読者は9割が女性です。年齢層は10代後半から70代までとすごく幅広くて、創刊時からの読者もいらっしゃいます。
元木:それはすごいですね。絵本は子どもだけが読むものではないので、読者が多いわけですね。そして、たしか創刊から40年以上になるんですよね。
門野:はい。厳密にいうと『MOE』は偕成社という会社が1979年に創刊した『絵本とおはなし』という専門誌から始まっていて、1983年に『MOE』にリニューアルされたという経緯があります。白泉社に移ったのは、1992年4月号からです。
元木:こうして見ると、『絵本とおはなし』の誌面は文字情報が多かったんですね。育児本のような少し“堅い”印象があります。
門野:そうですね。1970年代までの絵本は、まだあくまで“子どものもの”という見方が強かったと思うのですが、一方で『MOE』が生まれた80年代は、海外の絵本を大人が「おしゃれなもの」として楽しむような価値観が生まれた時期でもありました。そこで絵本の魅力をもっと広く発信するために、『MOE』はあえてビジュアルを中心に置いた、女性誌っぽい雑誌にリニューアルしたそうです。
よみがえってきた絵本の記憶
元木:『MOE』の誌名の由来はなんですか?
門野:「萌え」からきているそうです。絵本が持つ豊かな世界が、もっと多くの読者の心に萌え出るように……そんな願いを込めたのではないでしょうか。ちなみに、僕自身は編集長になってまだ4年目なんです。
元木:それ以前はどんなお仕事を?
門野:1999年に入社して、15年間青年コミック誌で漫画やグラビアなどを担当していました。その後2年くらい広告企画部で仕事をしていたら、あるとき急に『MOE』の編集長をやることになりまして。
元木:出版社でのグラビアや広告部なんて、それとは全然違う世界の絵本の編集長に抜擢されたのですね……! ご苦労されたこともあったのではないですか?
門野:いきなりだったので驚いたのですが(笑)、うちの編集部には7名のスタッフがいて、そのなかに偕成社時代からのスタッフが現在も2名います。外部のライターさんも児童書や絵本のスペシャリストですから、そういう意味で不安はあまりなかったですね。大人になってすっかり忘れていたのですが、絵本に関しては小さいころによく読んでいた記憶もあったんです。編集長をやることになったとき、そのころ読んでいた絵本を実家から送ってもらって……今も編集部に置いてあるんですけれど。
元木:(机に広げた門野さん私物の絵本を見ながら)これはすごい! かなりの量ですよね。
門野:親が僕のために、いわゆる“月刊絵本”を何種類か購読していたんです。
元木:やっぱりちゃんと持っていたんですね。絵本の仕事へ導かれていく魂を。
門野:それはどうでしょうかね(笑)。乗り物や食べ物の話は好きでよく読んでいました。あとは人体の不思議のような、世の中のいろんなことをわかりやすく教えてくれる本も好きでしたね。
元木:私は、かこさとしさんの大ファンなのですが、2019年の4月号に掲載されたかこさんの特集は、編集の切り口がすごく面白かったです。かこさんと作品への愛をひしひしと感じて、ファンとしてはまさに鳥肌ものでした。これだけ絵本に触れてきた門野さんなら、きっと『MOE』のお仕事はすごく面白いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
門野:うーん、そうかもしれません。子どものころは、絵本を読んでも作家の名前なんて気にしないんですよね。だから大人になって、作家の視点から作品を深掘りすると新たな発見があったりして、個人的にも面白い仕事だと感じています。それに、絵本自体が出版業界で注目されているのもやりがいにつながっているかもしれません。おかげさまで『MOE』は、年々部数も伸びていて、売り上げ率も80%近くあるんです。
元木:すごい! 紙の本でも雑誌が特に不調だといわれているなかで、それだけ読者に支持されている月刊誌はなかなかないですよ。本当にすごいことだと思います。
そんな門野編集長がいま感じている使命とは? そこには絵本という出版物特有の背景がありました。また、注目される「MOE絵本屋さん大賞」が実は採算度外視の取り組みであることなど、秘話も語っていただきます。
絵本の「中身」をガイドする大切な意味とは?
元木:そんな門野さんはいま、編集長としてどんな使命を感じていらっしゃるのでしょうか?
門野:僕がいま大事にしているのは、絵本を気軽に楽しんでもらうための間口を広げることです。そもそも絵本って内容がシンプルなだけに、選ぶのが難しいと思うんです。
元木:それは分かる気がします。文字が少ないのにメッセージ性が高いから、結局どれがいいんだろう?って悩んでしまう人は多いんじゃないかな。
門野:数十年前の作品がずっと愛され続けるのも、安心して買えるからという面が少なからずありますよね。業界としても60、70代といった大先輩の方々がまだまだ現役でいらっしゃる世界なので、ある種の厳しさをともなう現場でもあったりするんです。もちろんこういう側面は簡単に変えられるものではないですけれど、そのなかでどうやって世の流行や、読者の趣味趣向を誌面に反映できるかは常に工夫をしています。
元木:特定の作家さんやキャラクターに寄った特集もあれば、「絵本で愛を贈る」「思わず泣いた感動絵本」といった切り口でいろいろな絵本を紹介するような特集もありますね。
門野:はい。特集の内容は基本的には編集スタッフやライターの意見をもとに考えています。ほかにも『ハリー・ポッター』特集や『ドラえもん』特集のように、絵本と直接関係はないけれど、『MOE』の世界観に合う題材を取り上げることもたまにありますね。
元木:その中で、毎号何冊くらいの絵本を紹介しているんですか?
門野:多いときは100冊以上、少ない号だと30〜40冊くらい。平均して80冊程度じゃないでしょうか。それでも絵本は年間で2000冊くらい新刊が出ていますから、全部は拾いきれていないんですよね。もちろんたくさん紹介できればいいわけでもなくて、そのなかで「いいもの」を厳選して紹介するのが『MOE』の役割だと思っていますけれど。
元木:そうそう。それが『MOE』の重要な役割なんだろうなって、私も思っているんです。絵本って一度ヒットすれば長く売れますけれど、新人さんの作品となると初版部数が極端に少ないですよね。そうすると近所の本屋さんへ行っても、新しい作家さんにはなかなか出会えなかったりして。
門野:そうですね。
元木:だからといって、中身がわからないとネットで気軽に買うこともできない。これが絵本の難しいところであり、面白いところでもあると私は思っているんです。判型が大きいのか小さいのか、紙の手触りはどんな感じか、どのくらいの厚みがあるのか。実際に触れてみなければわからない個性こそ、絵本の魅力だったりしませんか?
門野:それこそ、デジタル化できないんですよね。そもそも絵本って判型もバラバラですし、店頭で売りにくい商品なんですよ。だから内容がよくても、新人作家の新刊となるとなかなか本屋で置いてもらえないこともあります。かといって読者からすれば、ネット書店の情報だけで欲しい絵本を見極めるのはすごく難しい。こういった現状のなかで本当に良質な絵本が埋もれ、なくなってしまわないように、『MOE』が伝えていくべきことはたくさんあると思っています。
利益度外視で取り組む『MOE絵本屋さん大賞』
元木:そんな『MOE』の使命のひとつともいえるような活動が、毎年実施している『MOE絵本屋さん大賞』だと思います。これはどんな経緯から生まれて、毎年どういった形で行われているんでしょうか?
門野:いわゆる『本屋大賞』の絵本版をやってみたいねということで、13年前に始めたのが最初でした。全国の絵本コーナーの書店員さん3000人にアンケートを取り、毎年年末にその年の絵本ベスト30を発表しています。直近の2020年はたまたま白泉社の絵本が大賞をいただきましたが、年によっては白泉社の絵本がまったくランクインしてないことさえあります。つまり、本当にガチで利益度外視でやっているんですよね(笑)。
元木:2020年度は、オンライン授賞式という形で動画を配信していましたね。私も知っている有名な絵本売り場の方が出てきて、このランキングはすごく信頼できる! と感じました。
門野:お店によっては年間を通して『MOE絵本屋さん大賞』のコーナーを残してくださっていることもあったりして、絵本の売り上げにつながるランキングとして着実に成長してこれたという実感はあります。
元木:新刊の売り上げに貢献するのはもちろんですけれど、私は『MOE絵本屋さん大賞』って、この13年の間にきっとたくさんの売り場担当者を育てたと思うんですよね。本を読まない、知らない書店員が珍しくなくなっている現状のなかで、それは素晴らしい貢献のひとつだと思うんです。
門野:そうですね。絵本を本当にたくさん読んでいる書店員さんが選んでくれたからこそ、今回白泉社から出たヨシタケシンスケさんの『あつかったら ぬげばいい』が大賞を獲ったことは、僕たちにとってメチャクチャうれしいことなんです。
元木:ヨシタケさんは今回10位までに4冊もランクインしていて、まさに今をときめく売れっ子作家。絵本好きの女性だけではなく、お父さんにも人気があるなんていわれますよね。ちなみに今回ランクインしているなかで、門野編集長が個人的に注目している作家さんはいますか?
門野:僕が以前からずっとすごいなと思っているのは、今回3位にランクインした『の』や、『Michi』などで知られるjunaida(ジュナイダ)さんですね。抜群の画力や内容の面白さはもちろんですが、ブックデザイナーの祖父江慎さんが装丁を手掛けられていたり、モノとしての魅力がもはや絵本を超えています。これこそ、子どもだけではなく大人が欲しくなる絵本なのではないでしょうか。
元木:うん。junaidaさんの絵本はもはや芸術の域ですよね。それこそ子どもの頃からこんな絵本を読んでもらっていたら、何かすごい才能が開花してしまいそうです!
門野:そうですね。絵本は子どもにとって人生で初めて触れる本であり、親子のコミュニケーションを生む道具であり、いろいろな感情や知識を教えてくれる特別な存在でもあります。でも僕が、大人として絵本の世界を知ってあらためて感じているのは、絵本の役割はあくまで読む人が決めるものだということ。形もばらばらなら中身も違って、その役割も読む人次第で変わっていく。同じ形に統一できない多様性が、絵本の面白さなのだと思います。そういった絵本の多様性を伝えることが、僕たちの『MOE』の役割だと思っていますね。
【プロフィール】
MOE編集長 / 門野 隆
1999年に白泉社へ入社。青年コミック誌『ヤングアニマル』で漫画やグラビアの編集などを15年間手がける。その後同社の広告企画部へ異動し、2年後の2018年に絵本専門誌『MOE』の編集長に就任する。https://www.moe-web.jp