こんにちは、書評家の卯月 鮎です。みなさんが旅行するときの一番の楽しみは何ですか? 行く場所や時期によっても変わってきますが、私は温泉でしょうか。あとは、その土地の美味しい食べ物。これがあればほぼ満足です。次の日は御利益がありそうな由緒ある寺社を巡って、おみやげを買って帰る。心を満たしてくれる旅行っていいですね。
旅行は日常のスパイス!
思わず笑ってしまったのは、この旅行の目的が江戸時代の庶民と同じだったこと。温泉や寺社巡りが旅行の主目的で、江戸に来た女性たちは買い物も楽しんでいたとか! 人って変わらないものですね。
『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』(安藤 優一郎・著/朝日新書)の著者・安藤優一郎さんは主に江戸をテーマに執筆・講演活動を行う歴史家。『大名庭園を楽しむ お江戸歴史探訪』(朝日新書)、『大名格差 江戸三百藩のリアル』(彩図社)など著書多数。今回は江戸時代の旅行ブームをわかりやすく紹介しています。
江戸の庶民のパックツアーとは?
泰平の世だった江戸時代は、武士も庶民も観光旅行を謳歌でき、日本史上初の旅行ブームが起きたそうです。その中心を担っていたのは寺社。第1章「庶民の旅の表と裏」では、ブームの秘密に迫ります。
江戸時代は寺社の信徒が集まる「講」という組織が発達し、講の代表メンバーがその寺社に参拝する団体旅行が盛んになりました。たとえば成田山新勝寺への参詣は江戸から片道一泊二日の日程。
成田山にとって講のメンバーは大切なお客様で、出される精進料理はかなり豪華だったとか。文政九年(1826年)の記録では、煮染め、吸物、大鉢、丼……などが振る舞われ、吸物の具は千本しめじ、白玉、貝割り菜、うど。大鉢にはブドウと梨が盛られていました。信徒の集まりといっても講の組織はゆるく、「いわばファンクラブ」だったと著者の安藤さん。きっと信仰は二の次で、旅行をしたくて入っていた庶民もいたような気がします。
こうした旅行を組織したのが寺社と信徒の仲介役である「御師(おし/おんし)」という神職で、今で言うところの旅行代理店のような存在。勧誘する際には海苔、鰹節などの日常品や女性にはおしろいがプレゼントされたそうで、寺社間でのツアー客獲得競争があったのを想像すると面白いですね。
本書で一番興味深かったのは第2章「買い物、芝居―したたかな女性の旅」。「入鉄砲に出女」という言葉があるように、“関所を越える女性はほとんどいなかった”という江戸時代のイメージが覆されました。
女性が関所を越えて移動する際に必要な「女手形」の発給は非常に面倒。しかも、関所では手形に記された容姿と照らし合わせ、着物を脱がせたり、髪を解かせたりして厳しい身体検査をします。そこで女性たちは「袖元金」という金銭(5~6000円くらい)を渡して、取り調べを簡単にパスしていたのだとか。
こうして江戸へ出てきた女性は芝居小屋や日本橋、神田明神など定番の観光コースを巡り、『江戸買物独案内』といった買い物ガイドをチェックしては呉服、錦絵、浅草海苔などをショッピングしていたそうです。感覚としては今の海外旅行に近かったかもしれないですね。
本書はテーマが身近で親しみやすく、江戸時代の人々の生活が色鮮やかに伝わってきます。現代の私たちが想像しやすい例えが多く使われていて、歴史本特有の堅さがないのも本書の良さ。2~300年前も旅行が日常の刺激だったことがわかり、ふと気持ちが晴れるような一冊でした。
【書籍紹介】
『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』
著者:安藤優一郎
発行:朝日新聞出版
日本人の旅行好きは江戸時代から始まった! 農民も町人も男も女も、こぞって観光旅行を楽しんだ。その知られざる実態と背景を詳述。土産物好きのワケ、関所通過の方法、飲食・名所巡りのお値段、武士や大名は…? 誰かに話したくなる一冊!
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。