鬼ブームが来ている。『鬼滅の刃』の歴史的ヒットによる波及効果であるのはまちがないだろうけれど、鬼という存在にここまでスポットライトが当てられることがあっただろうか。
鬼殺隊派? ひょっとして鬼派?
劇場映画『「鬼滅の刃」無限列車編』の公開から約1年半が経過した今、ブームの主役は竈炭治郎や我妻善逸、そして煉獄杏寿朗など鬼殺隊のメンバーから、鬼舞辻無惨や猗窩座といった鬼キャラに移行したようだ。ビジュアル系っぽかったり、パンクっぽかったりするルックスの鬼たちに、アンチヒーロー的な魅力を感じる人もいるのだろう。『スターウォーズ』のダース・ベイダーが不動の人気キャラであるのと全く同じ感覚かもしれない。こうした背景が追い風となっているのか、鬼にまつわる博物館の設立30周年記念を盛大に祝うための資金を集めるクラウドファンディングも立ち上げられた。鬼萌えしている人たちは、かなり多いのだ。
今、鬼にまつわる決してネガティブではないトレンドが顕著になっている。そんな時代ならではの、エポックメイキング的な『日本の鬼図鑑』(八木 透・監修/青幻舎・刊)という本を紹介したい。どんな性質の図鑑なのか。帯には、鬼萌え心をくすぐる文字が並んでいる。
人を喰い、都を荒らし、天災をもたらす。しかし、鬼は本当に悪なのか?
高木彬光さんとか馳 星周さんのピカレスクロマン小説によく似た響きを感じてしまうのは、筆者だけではないだろう。
大人も子どもも楽しめる鬼エンサイクロペディア的図鑑
章立てを見てみよう。
序章 鬼とは
一章 鬼の故郷―大江山
二章 退治された鬼
三章 鬼になった人間
四章 広まった鬼
五章 仏教から生まれた鬼
そもそも図鑑なので、豊富に掲載されたカラフルな図版を楽しめることは言うまでもない。特筆すべきは、酒呑童子や牛鬼、安達原の鬼婆など代表的な鬼34体の能力がひと目でわかるパラメーターだ。力・頭脳・体格・技術・凶暴性・統率という資質で構成されるレーダーチャートになっている。
筆者はさっそく、桃太郎の鬼と金太郎の鬼が戦ったらどうなるかといった鬼同士の妄想マッチを楽しんだ。安倍晴明をはじめとする“鬼バスターズ”も数多く紹介されているので、こちらも対戦相手を変えて、たとえば安倍晴明が安達原の鬼婆と対峙したらどうなるか、といったオリジナルのマッチメーキングも面白いと思う。鬼バスターを組み合わせて最強ユニットの結成を試みるのもいいかもしれない。こうしたプロセスは、年代に関係なく楽しめるにちがいない。読んで使って、遊び倒せる図鑑なのだ。
エンタテインメントの向こう側に広がる学術性
もちろんそれだけではない。フォークロアの主人公としての鬼のとらえ方に独自な視線を感じる。民俗学的な検証と宗教学的見地からの解説も読みごたえ十分。エンタテインメントの向こう側に深く揺るぎない学術性が垣間見える構成だ。話の順番が逆になってしまったが、「はじめに」に次のような文章が記されている。
鬼は少なくとも悪の象徴であり、反人間的であり、反社会的、反道徳的な存在である。そこまでは間違いないのだが、しかしそれだけで説明できてしまえるほど、鬼は単純な存在ではない。鬼は、実にきわめて複雑で多種多様な顔を有している。本書では日本の鬼について、できる限り多角的な視点からとらえ、かつビジュアル的に理解していただくことを目指した。
『日本の鬼図鑑』より引用
出発点をしっかり刷り込んでおかないと、この本が提供してくれる楽しみ方をあるべき形で受け入れられなくなるかもしれないので、ここは大切。
改めて、鬼という存在に思いを馳せてみる
鬼を媒体にして、歴史的・地理的知識がごく自然な形で刷り込まれることを感じた。映画や文学作品に出てきたシーンが甦る瞬間も確実に訪れる。「鬼を切った刀」をはじめとするコラムも魅力的。巻末資料の日本地図を見ると、日本はまさに鬼の国といっても過言ではない。
英語版を出したらかなりの話題になるんじゃないだろうか。欧米にも数多い『鬼滅の刃』ファンにアピールするはずだ。あとがきに次のような文章を見つけた。
鬼と向き合うことによって、人間が鬼に心を開き、弱さや醜さを抱きながらも、人間としてのあるべき姿に向かって歩み始めたとき、すばらしい善の世界が広がっていることだろう。
『日本の鬼図鑑』より引用
確かにそうなのだろうけれど、筆者がこの本に何よりも感じたのは、高いエンタテインメント性だ。“〇〇の鬼”という表現がある。求道者とか、何かを極めた者というニュアンスで使われることが多い。そこでもう一度、この本の帯に書かれている言葉を思い出していただきたい。鬼は本当に悪なのか? 読み終わった後、改めてそう思う人たちが多いだろうことは、もうわかっている。
【書籍紹介】
日本の鬼図鑑
著者:八木 透(監修)
刊行:青幻舎
日本固有の存在で、人々を恐れさせた「鬼」はどうして生まれたのか? 忘れてはならない鬼から、鬼でもあった神、悲しい運命の鬼や愛すべき鬼まで。約150点のビジュアルを掲載し、鬼研究唯一の団体「鬼学会」の全面協力により第一人者が語り尽くす。これ一冊で鬼の全てがわかる。