世界中の人々が新型コロナウィルスの感染拡大により日常を奪われてしまってから早3年という月日が流れようとしている。日本では行動制限こそなくなったものの、未だに収束は見通せない情況だ。そのような中で脚光を集め、売れ続けているのが児童文学書の『モモ』だ。ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデといえばファンタジー映画の名作『ネバーエンディング・ストーリー』の原作『はてしない物語』を思い浮かべる人も多いだろう。そしてエンデのもう一つの代表作が『モモ』で、「灰色の男たち」によって盗まれた時間を、人間に取り返すために闘った少女モモの物語だ。
なぜ『モモ』はコロナ禍に注目されたのか?
『モモ』が出版されたのは1973年、邦訳は1976年に出てベストセラーとなっている。子ども時代に読んだ人も多いだろう。それが、今、再び脚光を集めるようになった理由に迫ったのが、『100分de名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』』(河合俊雄・著/NHK出版・刊)。2020年夏にNHKのEテレで3回に渡って放送されたもののテキストだ。その時、私たちは未知のウィルスの出現により、家の中に篭って「待つ」ことを余儀なくされていた。当時のプロデューサーは、『モモ』の物語こそが、危機の中、確かな道標を示してくれると思い、取り上げたと語っていた。
本書の著者である河合先生(京都大学教授で臨床心理学者)は『モモ』は大人向きの本であるように感じるそうだ。
この作品には強いメッセージ性があり、構造がクリアだからです。『モモ』が持つ強いメッセージ性 −その象徴が、時間泥棒である「灰色の男たち」という登場人物です。灰色の男たちは、物語の舞台となる町の人たちをうまく説得して時間を節約させ、その時間を時間貯蓄銀行に預けさせます。この男たちの企みにより、町の人たちは次第に心の余裕を失っていく。(中略)多くの大人の読者は、灰色の男たちをアレゴリー(寓喩)としてとらえ、そこに『モモ』が持つ文明批判的な側面を見出すことでしょう。
(『100分de名著 モモ』から引用)
子どもは文明批判にはあまり興味はないはずなので、この物語は大人こそがその真価を理解できるというわけだ。
新型コロナウィルスのせいで多くの人が時間を奪われたと感じ、また日常を足元から崩された人も少なくない。その奪われた時間をどうやって取り戻したらいいのか、そのヒントを探し、たくさんの大人たちが『モモ』を読んだのだ。
モモは新しい日常のカウンセラーに
モモはある町の円形劇場の廃墟に住み着いた女の子で、人から物をもらって生きている世俗からは離れた存在。
彼女はいわゆるストレンジャー、日本でいえばまれびと(客人、来訪神)にあたります。まれびとは聖者であると同時に乞食でもある存在です。(中略)そんなモモの登場は何を象徴しているのか。それは、前置きのところで過ぎ去ったとされていた、いにしえの時の復活でしょう。今は消え去ってしまった豊かな時間、生き生きとした物語を知っている者として、彼女は現在にやってくるのです。
(『100分de名著 モモ』から引用)
モモの特技は人の話を聞くということ。相手が話している間、自分からは何も言わず受動に徹するのだ。悩みを抱えていた町の人々はモモに話を聞いてもらうことで自ら解決の糸口を見出すことができたのだ。河合先生によると、人の話を聞き続けることは実は非常に難しいことだという。人はついついアドバイスをしたり、相手の言うことを否定したりしたくなってしまうのが常だからだそう。カウンセラーでもないモモはなぜ人の話を聞き続けることができたのか? それはモモがある豊かさを自分の中に持っていたからだと河合先生は解説している。
友達がみんな帰ってしまった夜、モモが一人で円形劇場跡の一画に座って長い時間を過ごす印象的なシーンがあります。「頭のうえは星をちりばめた空の丸天井」で、彼女はそこで「荘厳なしずけさ」にひたすら聞き入るのです。(中略)星がまたたく壮大な夜空。どこからともなく聞こえてくる音楽。これは、モモの心の中にある宇宙でもあると思います。また星空と音楽は、仏教において悟りの世界を象徴するマンダラを想起させます。
(『100分de名著 モモ』から引用)
時間を奪う灰色の男たちとは?
灰色の男たちは町の人々から奪った時間でのみ生きながらえる存在だ。町の人々のすべて、大人も子どもも彼らから時間を奪われてしまう。灰色の男たちは言葉巧みに時間を倹約するよう人々を説得し、余った時間を”時間貯蓄銀行”に預けるよう勧める。しかし、人々が預けたはずの時間は実は灰色の男たちが生き残るためにのみ使われるものだったのだ。
ひとたび時間貯蓄銀行のシステムに乗ると、人間の豊かさのようなものが失われ、人々はむしろ貧しくなっていくのです。これが『モモ』における現代文明の分析の核心で、大変わかりやすく、また恐ろしい部分だといえます。
(『100分de名著 モモ』から引用)
エンデがこの作品を書いたのは1970年代だが、彼が描き出したこの傾向は現在においてさらに強まっている。そう考えると、『モモ』は非常に先見の明があった作品といえるだろう。
時間を節約しても余裕は生まれるどころか、節約した時間に新しい仕事がどんどん入り、ますます忙しくなっているのが現代。時間の節約をして得をするのは個人ではなくシステムの側というわけだ。
眠りを経て訪れる転機
さて、物語では、町中の人すべての時間が奪われた後、灰色の男たちはモモを追いかける。そこに現れたのがカシオペアというカメ。カシオペアの誘導でモモはマイスター・ホラ(時間をつかさどる人物)のいる”時間の国”へ行く。そこでモモは時間の源を見るのだ。やがてモモは時間貯蓄銀行の扉を開け、奪われた時間を人々に返すことに成功するのだが、肝心なところでモモが眠ってしまうというシーンが出てくる。「ちょっとでいいから休みたい」と眠ってしまうのだ。
これは、すべてのアクションをいったんやめてしまうことを意味します。あるいは、すべてを放棄して一歩後退することを選ぶともいえるでしょう。ここに転機が生まれるのです。いろいろと方策を考えて、あれこれ思案し続けるのではなく、全部をあきらめたところから変化が起こる。心理臨床の現場でもよくあることです。
(『100分de名著 モモ』から引用)
効率的に生きてきたのがコロナ前だとすると、巣篭もり生活でいったん時間は止められ私たちは眠りを余儀なくされたとも考えられる。けれども新しい日常は、もしかしたらもっと豊かになってくるのかもしれない、そんな希望をくれる『モモ』の物語を詳しく解説してくれる本書だ。是非ご一読を。
【書籍紹介】
100分de名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』
著者:河合俊雄
発行:NHK出版
ある日、街はずれの円形劇場跡に住み着いた少女モモ。彼女には、人びとの話に耳を傾けるだけで、彼らに自信を取り戻させる不思議な力があった。そこに現れたのが「灰色の男たち」。彼らは街のみなに時間の節約をもちかけ、浮いた時間を奪いとる「時間どろぼう」だった!
1973年の出版以来、世界中で翻訳された『モモ』は児童文学の傑作と名高い。しかしこの作品がもつ真価は、せわしない日常を生きる大人にこそ向けられている。時間の価値とは? 豊かな生とは? そして死とは? さまざまなメッセージに満ちた物語の神髄を、臨床心理学の立場から鮮やかに読みとく。