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2022/11/19 11:30

切り裂きジャックから宇宙開発、古書店経営まで—— 歴史小説家が独自の視点で選ぶ「経済」を知るための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「経済」。新書から、世界的名作、マンガまで独自の視点で選んだ5冊を読んで、あたなも「経済」を身近に感じてみませんか?

 

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最近の物価高には驚かされっぱなしで、「えっ、牛乳1リットル、200円を超えるの?」と思わずスーパーの店先で悲鳴を上げてしまった。コーヒー豆もステルス値上げをしているし、カップ麺も「だったら安い弁当を買うわ」レベルにまで値が上がっている。余談までに、我が家では牛乳を低脂肪乳に切り替えるべきか、というみみっちい議論が発生しているところであることをここに報告しておきたい。

 

というわけで、今回の選書テーマは「経済」である。しばしお付き合い願いたい。

 

サラ金の歴史から見る「裏」日本経済史

まずご紹介するのは新書から、『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』 (小島庸平・著/中央公論新社・刊)である。皆さんはサラリーマン金融にどういうイメージを持っているだろうか。わたしは昭和61年生まれなので、平成期、ゴールデンタイムに多数CMが打たれていた様を見かけていたし、様々な事件によってどんどんサラリーマン金融に規制がかかっていく様もリアルタイムで見てきた。

 

一般には、少し後ろ暗いイメージと共に語られる存在だろう。本書はそうしたサラリーマン金融の黎明期から爛熟期、退潮期までを 一筆書きにした書籍である。ある時代には給料制の帳尻合わせに、またある時代にはサラリーマンの「資金」を前借りする金融機関としての側面もあった。こうしてサラリーマン金融の歴史を概観していく内に、サラリーマン金融という存在が、日本が現代化していく過程において一般庶民たちのニーズに合わせて立ち回り、裏で経済活動を支えていた金融業者であったという事実が明らかになっていくのだ。サラ金を描くことにより、本書は結果的に戦後日本の家計経済史を概観する一冊になっているのである。

 

世界的名作を「経済」から読んでみる

次は小説から、『朗読者』 (ベルンハルト・シュリンク・著、松永美穂 ・訳/新潮社・刊) である。戦後まもなくのドイツ、15歳のミヒャエルは出先で体調を崩し、たまたま介抱してくれた女性、ヒルダと知り合う。そして程なくして二人は体の関係を持つようになり、爛れた日々を過ごすようになるのだが、実はヒルダには隠された罪があり……。というのが、本書の序盤のストーリーである。ここから先については大いにネタバレを含んでしまうために内容は伏せさせて貰うが、ヒルダという人物の罪、そして彼女が抱える秘密には、本作においては示唆されるに留まる彼女の偏狭な人生遍歴が関係している気がしてならない。

 

なぜ、ヒルダはあのような生き方しか選べなかったのか、そして、なぜああしたことになってしまったのか。その背後には、ヒルダの生きた、戦前、戦中、戦後ドイツ社会が密接に関係している。そして彼女は、彼女がひた隠しにする秘密ゆえに、社会から取りこぼされたのだろう。彼女の遍歴を見ていると、資本主義社会の帰結である格差が尾を引いていることがわかるだろう。この上記の感想は本書のものとしてはやや穿った(というか脇道の)感想となる。本書が提示するものはあまりにショッキングであり、また、色々と考えさせるものがある。そして本書の問いは、日本人にとっても重大な意味を持つものだろう。ヒルダの罪を目の当たりにしたミヒャエルの動揺は、わたしたちにとっても他人事ではない。

 

殺人鬼の被害者女性の人生から見えてくるあたらしい経済とは?

次はノンフィクションから『切り裂きジャックに殺されたのは誰か: 5人の女性たちの語られざる人生』(ハリー・ルーベンホールド・著、篠儀直子・訳/青土社・刊)をご紹介。

 

切り裂きジャック。シリアルキラーの祖と目される人物であり、現代でいう劇場型犯罪の走りともされる連続殺人鬼である。そのあまりに鮮烈なイメージや謎だらけの人物像ゆえに、ノンフィクション、フィクション問わず、様々な媒体で紹介され、現代においても「切り裂きジャック犯人捜しもの」とでも言うべき謎解きものは欧米では人気のジャンルとなっている。しかし、本書はそういった書籍とは一線を画している。

 

本書は切り裂きジャックに殺されたとされている5名の女性に焦点を当て、彼女らの人生遍歴を追っている。一般に、切り裂きジャックの被害者たちは「娼婦」だとされてきた。しかし本書は5人の女性に迫る内、彼女らが今日的な意味での「娼婦」ではなかったことを明らかにしていく。本書は、切り裂きジャック被害者の女性たちに迫ることで、彼女たちに貼り付けられたレッテルを剥がすのと同時に、ビクトリア朝時代のロンドンという新しい都市空間、新しい経済圏に登場した分類不能な女性たちの存在を剔抉した書籍なのである。

 

絵空事ではないリアルな「宇宙開発」の真実

お次は『宇宙開発の不都合な真実』(寺薗淳也・著/彩図社・刊)をご紹介。元JAXA職員である著者による、宇宙開発の真実を巡る書籍である。宇宙開発というと、どうしてもバラ色のイメージで語られがちである。宇宙開発が進めばイノベーションが進む、といった期待論や、「宇宙にはロマンがあるよね」式のほんわかとした憧れでもって修飾されがちで、わたしもそうした牧歌的な目で宇宙開発を見ていたところがある。しかし、本書はそうした思い込みを丁寧にほぐし、宇宙開発最前線で危惧されている問題や今後起こるかもしれない、あるいは現在進行形で起こっている宇宙開発の問題に触れている。

 

本書の中にはスペースデブリ(宇宙開発の際に発生するごみ)の問題や、宇宙開発技術の軍事利用に関わる問題などといったポピュラーな話題も大きく扱われているが、それと同時に指摘されているのが経済的な問題であったことにわたしは少し驚いた。詳しくは本書に譲りたいところだが、確かに、宇宙開発が進展すれば、経済的な問題は避けて通れない。来るべき宇宙時代にも、わたしたちは経済の輪から逃げ出すことはできないのだと思い知らされる一冊でもあるのである。

 

経済という行ないの原初の形–それが古書店経営

最後は漫画からご紹介。『百木田家の古書暮らし』(冬目景・著/集英社・刊)である。祖父の経営していた古書店を引き継ぐことになった三姉妹の物語である。本書は大人の恋愛ものであると同時に三姉妹の家族ものであり、かつ古本屋を舞台にしたお仕事漫画の側面もある。

 

今回の選書テーマに合わせてお話しするなら、次女の二実(つぐみ)の働きぶりがいい。彼女が古書店経営の核を担っているのだが、彼女の目から見た古書店の世界は、ギスギスした経済とは距離がある気がしてならず、作品のそこかしこで描かれる売り手と買い手の信頼や、商品であるはずの本への愛着に引き込まれていく。大量販売、大量消費から背を向け、静かに心を動かしながら本を売り買いしていく二実の在り方には、本来は三方よしであったはずの、経済という行ないの原初の形を見せつけられる心地がする。前述したとおり、本書には様々な読み筋が存在し、そのどれもが豊穣な味わいを備えている。現在2巻、今からでも追いやすい。神田古書店の片隅にいる三姉妹の日々を、皆さんも覗いてみてはいかがだろうか。

 

 

正直なところ、わたしは経済がよくわからない。

わたしもまた、ものの値上がりを目にして初めて経済の在り方を知る、市井の人間である。

だからこそ、もう少し、報酬が上がるか、物価が下がってくれると嬉しいのだけどなー、と素朴な感想を抱いている今日このごろである。物価高そのものは決して悪いわけではない。物価高以上にわたしたちの賃金・報酬が上がれば、物価高も経済成長と表現すべき事態となるのだし、何の問題にもならないのである。この物価高が日本の経済成長とは無関係な処で発生していることに問題があるのだから。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)