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2018/6/29 21:30

完全無農薬栽培のブドウが醸す味は? 元金融マンが挑む非常識なワイン作り

埼玉県比企郡小川町。有機農業を志す人なら、その名を知らない人はいないと言われる稀代の農業家、金子美登(かねこよしのり)さんが、40年近くその農法を守り続ける場所として有名な町です。

 

東京都心から電車で2時間ほどのところに位置し、有機農業のほかに和紙と酒造りも盛んなこの町は、そういった水を多く必要とする産業を支える清流にも恵まれて、とてものどかな環境が広がります。この町に2018年、新たな有機農業の名所となりそうなワイナリーが誕生します。その「武蔵ワイナリー」をいち早く訪ねました。

 

「あるとき、たまたま眠れずにテレビをつけていたら、金子美登さんの活動がテレビ番組で特集されていて、その番組を見たんです。その偶然が、ここでワイナリー設立を目指すきっかけになりました」と語るのは、武蔵ワイナリー代表の福島有造さん。穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれました。

 

「何も引いたり足したりしない。そのまま作る」という信念

まず案内されたのは、2013年に植樹した、「小公子」という山ブドウを掛け合わせて作られた交配品種の畑です。現在、福島さんが管理している畑は全部で6区画あり、合計で2.2ヘクタール。うち小公子の畑が85%、同じく山ブドウ系の品種「ヤマ・ソーヴィニヨン」の畑が15%弱、あとほんの少しのメルローを栽培しています。

 

そのすべての畑で、化学肥料や除草剤はもちろん、JAS有機でも使用が認められているボルドー液(硫酸銅と消石灰を混合した溶剤で殺菌剤として採用される)すら使わない、“完全無農薬”でのブドウ栽培に成功しているのです。

 

「福島さんのチームは何人で畑を管理しているんですか?」と尋ねると、「ほぼ僕ひとりです」という驚きの答え。「やっと最近、ひとりお手伝いの方が来てくれるようになったんですが。イベントなども続いて畑作業が予定より遅れていて。だから今はちょっと……草ボーボーですみません(笑)見栄えの良い写真が撮れますか?」と、はにかんだ笑顔で返してくれました。

 

↑武蔵ワイナリー代表の福島有造さん。金融業の第一線で活躍したのち、会社経営の時代を経てこの道へ、という異色の経歴をもつ。2018年、まもなく自社ワイナリーの建設が着工予定だ

 

“化学的なものに頼らない”ということは、すべてを人の目で見て、人の手で対処するということ。完全無農薬の農法は、多くの手間と時間を必要とします。ブドウの病気の、最大の原因となる雨に備えて、福島さんが独自で編み出した“傘”が畑全体に張り巡らされているのですが、その設置も手作業によるもの。

 

実はこの取材の前日、傘を取り付ける作業中に脚立が福島さんの顔面を直撃する、というハプニングがあったそう。雨が降ろうと雪が降ろうと、そして生傷が絶えずとも、惜しみない愛情をブドウに注ぐ造り手としての姿勢には、本当に心打たれるものがあります。

 

↑ブドウが罹る病気の最大の原因が雨。その雨に備えて、オリジナルの“傘”が畑全体に張り巡らされている。設置はすべて福島さんの手作業によるものだ

 

醸造段階でも培養酵母の添加をせずに天然酵母で醸し、酸化防止剤と呼ばれる亜硫酸塩は極力使用しません。補糖も補酸もなし。澱引き剤も使用せず、瓶詰めの際に軽く濾す程度、だといいます。「人間が手を加えれば加えるほど、あまり意味のないものになっていく気がするんです。できることは発酵を手助けするだけだと思います。うん、本当に、ただそれだけです」

 

↑今まさに、ブドウの花の開花時期。ここから約100日後に収穫期を迎える

 

福島さんは、群馬県伊勢崎市の出身。北海道大学工学部を卒業後、長らく銀行業に従事したのち、コンドミニアム事業を営む会社を設立。金融業の第一線で活躍したのちに会社経営という時代を経て、農業への転職を果たした現在、「今の生活の方が楽しい」と思えるのだそう。

 

「今は休みなんて全くないですけどね。休みと仕事の境目がないけど、特に辛いと思うことはないです」。穏やかな人柄は、厳しいビジネスの世界で生きてきた経験があるからこそ。完全無農薬栽培にこだわる姿勢も、静かながら強く熱い信念だと感じます。

 

「ここがワイナリーの建設予定地なんです」。最後に案内された、もうまもなく着工予定という場所は、まだ更地でしたが、福島さんの夢がいっぱい詰まった場所。ここから新たなワイナリーの歴史がスタートすると思うとこちらも期待が高まります。

 

↑ワイナリー建築予定地の隣の丘陵地には、「ヤマ・ソーヴィニヨン」を栽培する畑が広がる

 

↑「中国の纏足(てんそく)を思い出して、かわいそうで切れないんです(笑)」(福島さん)長く伸びた枝先は、なるべく自然のままに伸ばし続けるなど、仕立て方も枝の様子を見ながらオリジナルを貫く

 

「小公子」というブドウにこだわる理由とは?

「ボルドー液すら使わない完全無農薬でのブドウ栽培に成功したのは、“小公子”という偉大な品種に巡り合えたことが、大きな要因のひとつです」と語る福島さん。「日本一暑い町」の異名をとる熊谷市からほど近い小川町もまた、夏は猛暑が続きます。そんな気候条件の下、どれだけ糖度が上がっても酸度も同時に確保できる品種が、小公子なのだと言います。また耐病性が強いのも魅力のひとつです。

 

2011年に最初の小公子を植えて以来、ブドウの樹の仕立て方など、世界の常識とされるものに従うことなく、独自の試行錯誤を重ねて現在、完全無農薬で十分な収穫量を確保できるまでになりつつあるとのこと。今後も、契約農家などからブドウを購入して原料調達することなく、ブドウはすべて自社畑で栽培し供給できる道筋が見えているそうです。

 

「僕がここでできたことで、誰もがどこでもできると証明されたと思っています。だから、いろんなところでブドウを作る人が増えたらいい。農家さんになって、農地に家を建て家族を養う。これを生業に食べて行ける人が増えればいいですね」そんな福島さん流の社会貢献の精神も、垣間見ることができました。

 

↑それぞれの品種、畑にマッチしたオリジナルの選定方法を試行錯誤する日々

 

「たぶん僕のワイン、日本でいちばん最高品質のものができちゃうだろうなと思っています」

柔和で穏やかそうな雰囲気からは少しギャップのある、さりげなくも挑戦的な言葉を最後にもらいました。そんな決意のこもった言葉にますます期待を高めながら、畑の真ん中で、福島さんの造ったワインをいただきました。委託醸造で作られた、2016年産と2017年産の小公子です。

↑武蔵ワイナリーのワイン「小川 小公子」。2016年と2017年ヴィンテージは委託醸造によるもので、それぞれ2848本、1314本と生産量は極少量だ

 

グラスに注がれた小公子は、グラスの底や向こう側がまったく透けないほどの濃厚な色調。うす濁りで深いガーネット色です。でも味わいは、重たさが微塵もなく、余韻に軽やかささえ感じられるのは、高い酸のおかげでしょうか。ゴボウやにんじんなど、土の下の野菜のニュアンスもあり深遠な旨味。濃厚さがありつつ、和食などにも合わせやすい味わいでした。

 

↑小川の町で栽培された小公子のワイン。武蔵ワイナリーのフラッグシップは「小川 小公子」と名付けられている

 

↑ガラス栓は、極力何も添加しないワイン造りにとって劣化につながる危険性が少なく、より機能的

 

その味わいに感動する取材クルーを見て、とてもうれしそうな表情の福島さん。まるで我が子の発表会を見守る親御さんのようでした。「日本でいちばん最高品質なものができちゃう」の真意はきっと、「僕の子育ては日本でいちばん」ではなく、「僕の子どもたちは日本でいちばん」と、この地で育つブドウ本来の力をなんの疑いもなく信じているからこそ、いたって自然体で口を突いて出た言葉なのかもしれません。

 

↑「小川 小公子」を手にうれしそうな福島さん

 

ワイナリーの数だけ、信念がある

有機栽培、無農薬栽培、自然派ワイン、ヴァン・ナチュール。日本ワインに限らず、これらの言葉が注目され氾濫する世界のワイン市場。化学的なものを使用せずに済むなら、添加せずに済むなら、それに越したことはない? きっと誰もがそう思うでしょう。ですが産業である以上、別の立場に信念を持ちながらワイン製造に取り組むメーカーがいることも、否定はできません。私たち消費者が知るべきなのは、それぞれのワイナリーの信念と、そこに共感できるかどうか。それもまたワインの楽しみ方のひとつではないでしょうか。

 

現在、福島さんのワインはほとんど自社のネットショップでしか販売を行っておらず、ボトルを手に取ることも難しい希少なワインですが、そのボトルの裏ラベルに記載されている“武蔵ワイナリーの信念”を、最後にご紹介しましょう。

 

『数十年先も数百年先も必要とされる存在になることを目指して、そして”発酵“という微生物の無限の可能性を信じて、武蔵ワイナリーは邁進します』

 

武蔵ワイナリー http://musashiwinery.com/

 

取材・文=山田マミ 撮影=我妻慶一

 

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