「リンゴが赤くなると、医者が青くなる」。あるいは「一日一個のリンゴで医者がいらなくなる」という意味の諺が世界中で伝わるほど、“リンゴは健康に良い食べ物”とは誰もが知る事実。幼い頃、熱が出ると擦り下ろしリンゴを食べた記憶はありませんか? またアダムとイブの物語でも、リンゴは“知恵”の象徴として描かれ、歴史的にみても、人間の根源に深く関わる果実であり、今だ私たちの生活に非常に身近な食べ物です。
そんなリンゴを原料にしたお酒「シードル」が、近年アメリカ市場を中心に賑わいをみせています。アメリカにおけるシードルの2018年の売り上げは、10年前の2008年に比べると約10倍にもなるそう。これはビールやワイン、スピリッツなど数多くの酒類のなかでも2番目に大きな伸び率で、今後も成長が期待できるとされています。
「そのトレンドの風は、ここ日本でも年々着実に感じられるようになっている」と語るのは、イギリスから来日し在住18年のサイダーコンサルタント、リー・リーブさん。日本初のシードル専門情報誌『inCiderJapan』(インサイダージャパン)を発行するリーブさんに、シードルとその魅力について取材しました。
呼び方は「シードル」か「サイダー」か?
まずは呼び方。日本ではフランス語である「シードル(cidre)」が一般的。「サイダー(cider)」と聞くと、アルコールの入っていない炭酸飲料をイメージします。アメリカでも同様にアルコールの入っていない炭酸飲料を「サイダー」、アルコールの入っているりんごの酒のことは「ハードサイダー」と呼ばれています。しかしこのりんご酒の発祥の地と言われるイギリスでは「サイダー」と呼ばれており、「アメリカを含む英語圏の市場では『サイダー』という呼び方に統一されつつある」とリーヴさんは語ります。そのため、ここからは「サイダー」の呼称で統一することにしましょう。
日本におけるサイダーの可能性とは?
イギリス人であるリーブさんが、なぜ日本市場へ向けて、サイダーの魅力を発信しているのでしょう? イギリス北部のニューカッソルで生まれ、スコットランドで育ったリーブさん。生まれ育った地域には、サイダーに使われるリンゴの木が並び、物心つく頃には、すでにサイダーを口にしていました。「生まれて初めて飲んだお酒だった」と言います。街のリンゴで、自家醸造もしていました。
日本では法律で禁止されていますが、欧米では1970年代から’80年代には、日常生活のなかでお酒を自家醸造している人たちが、ごく一般的に存在していました。それが’90年代になると「ホームブルーイング」という自家醸造ブームが世界的に巻き起こります。そのためリーブさんの日常には、まるで水のような身近なものとして、サイダーが存在していました。
イタリアやアメリカでさまざまな仕事に従事したのちに縁あって来日し、「Japan Beer Times(ジャパン・ビア・タイムズ)」というクラフトビールの情報誌の編集長を2009年から務めていたリーブさん。実は、日本におけるクラフトビールブームの仕掛け人のひとりだったのです。
「日本ではまだ誰もクラフトビールに注目していなかった”ゼロ”の地点から今に至る経緯を知っている僕なら、ビールよりももっと子供の頃から馴染みの深いサイダーも同じように、むしろさらに愛着を持って伝えることができると思いました」(リーブさん、以下同)
クラフトビール市場が、アメリカでのムーブメントから数年ののちに日本でも賑わいを見せた経緯を考えると、アメリカではすでに人気が出ていたサイダーが、そろそろ日本でも話題になるのではと、2013年頃からサイダーについて日本での発信を積極的に始めました。
「アメリカでのサイダーブームは、けっして新しいものではない」とリーブさんは語ります。歴史を遡れば、1700年代後半の東海岸では、農家の10軒に1軒はサイダーを造っていました。さらに1850年から1870年のたった20年間でリンゴの品種は約500種から約1000種に倍増したという記録も。その後禁酒法の時代などを経て一度は低迷したサイダー市場ですが、クラフトビールブームがきっかけとなり、ライトでヘルシーな食生活の流行も相まってより健康志向なサイダーの良さが見直されるようになりました。
「僕の故郷イギリスも同じです。発祥の地と言われながら一時は低迷、そして今”リブランディング”の動きが活発です。日本にはサイダーの歴史はなくても、素晴らしいリンゴ栽培と食用の文化がすでにあります。来日して初めて飲んだ日本のリンゴジュースの美味しさは衝撃的でした。日本人に昔から愛されてきたリンゴの素晴らしさを日本人自身が再認識しながら、サイダー文化が根付く可能性は十分にあると感じました」
大切なのは、価値の再認識とグローバルな情報共有
現在、日本の国内産サイダーの多くは生食用のリンゴが原料。リーブさんが日本のジュースの美味しさに驚いたように、甘みが際立つ品種が主流です。対して、海外のサイダー専用品種のリンゴは硬く、渋く、甘みより酸味の際立つものが多く、それが海外産サイダーの味わいに複雑味をもたらしています。では、日本の生食用リンゴは、サイダー造りとしては不向きなのでしょうか?
「これを飲んでみてください」。リーブさんが持参した、オーストラリア産サイダー。試飲してみると、酸味と甘みのバランスがほどよく、奥行きや味わいの抑揚に富んでいましたが、なんと主原料は日本の生食用リンゴの代表「ふじ」でした。
「サイダーの味わいを決める要素としてもちろん原料の個性は大切です。しかしそれだけに頼らないサイダー造りの方法は世界に溢れています。いくつかの品種を掛け合わせたり、別の果実やハーブを加えるものもあります。また酵母の種類にもこだわることで、全く新しい味わいを表現することもできます。どの分野でも限られた条件のなかで、最大限の技術を駆使して良いものを生み出す日本の”ものづくり”の姿勢には、さらにさまざまな可能性を感じます」(リーブさん)
イギリス人であるリーブさんによって、あらためて気付かされる日本のリンゴ文化と国民性、そしてその価値。リーブさんはさらに、世界中から集めたサイダー造りやトレンド情報を発信、共有することで、日本の生産者がよりバラエティーに富んだサイダー造りに挑戦できるよう、コンサルティング業も行なっています。生産量を増やし、消費者の選択肢を増やすことで、サイダー文化が日本に根付く手助けになればと語ります。
そんなサイダーを、どのように楽しんだらいいでしょうか? リーブさんおすすめの銘柄とともに紹介していただきました。
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サイダーの楽しみ方にルールはナシ!
若者の“アルコール離れ”は、いまや日本だけでなく世界的な傾向として顕著ですが、食のライト化・ヘルシー化の潮流にも乗って、「プリン体ゼロ」「グルテンフリー」のサイダーの市場は、前述のとおり好調な伸びを示しています。そして注目すべきは、アメリカではサイダーを楽しむ層は、「美容と健康に関心の高い女性層に偏らず男女比に差がない」という、他のジャンルの酒類にはない傾向だそう。
「ワインより気軽に、ビールよりお洒落に」。老若男女問わず、さまざまな需要に応える許容の広さこそが、サイダーの魅力。どんなシーンで飲めばいい? 合わせるお料理は? と、食文化に真面目な日本人は考え込んでしまいがちですが、「飲み方を間違えちゃいけないなんて考えないで! サイダーにルールはありません!」(リーブさん)。
1種、2種程度を飲んでみて好みに合わないと、「〇〇は苦手」と敬遠されがちなお酒の世界、サイダーは他のお酒に比べても味わいのバラエティーに富んでいるので、ぜひあれこれ試したいところです。
日本における“サイダー”文化のパイオニアが選ぶ12本
最後に、前ページで登場した「Willie Smith’s」に加え、おすすめのサイダー全12本を、リーブさんに選んでいただきました。
・世界トップクラスのイギリス産サイダー
左から
「Little Pomona(リトル・ポモーナ)」
「Courtney’s of Whimple(コートニーズ・オブ・ウィンプル)」
「Ross-on-Wye(ロス・オン・ワイ)」
「Tom Oliver’s(トム・オリヴァーズ)」
「Hallet’s(ハレッツ)」
・日本でも飲めるアメリカ産サイダー
左「JK’s Farmhouse(ジェーケーズ・ファームハウス)」
中「ACE(エース)」
右「Shacksbury(シャックスバリー)」
・日本産サイダー
左「VinVie(ヴァンヴィ)」(長野県)
右「テキカカシードル」(青森県)
また、最近では飲食店を中心に、缶やビンではなくケグ(ビールなどの貯蔵やサーバーとして使用される樽状の容器のこと)から注ぐ、生ビールならぬ”生サイダー”も楽しめます。生ビールでビールの美味しさを知り缶や瓶を自宅に常備、というような体験はサイダーでもぜひおすすめ。
本格的なブーム到来の前に、サイダーを気軽に生活の一部に取り入れてみてはいかがでしょうか。
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