味わいが好みだから、食事と合わせやすいからなど、“飲み物”として味覚の満足感を得られることは、誰もが感じるワインの魅力。でもそこに、「造り手本人に会ったことがあるから」「自分の手でブドウを摘んだことがあるから」というような、味覚以外の体験が加わったら、ワインとの向き合い方は劇的に変化するのではないでしょうか。
天候に恵まれた良作年のワインの味わいは楽しみですが、不作な年は購入しないものでしょうか? もしその不作のブドウが、自らの手で摘んだものだとしたら? もし良作年以上の手間を惜しまない、造り手の努力を目の当たりにしたら?
私たち消費者は日々、飲食物に対しては味覚の満足度を最優先に商品を購入することがほとんどですが、味覚以外のそのワインが誕生するまでの背景を知る、また体験することで、ワインの購買動機や選択肢に少しの変化が生まれることは間違いないでしょう。
多少やんちゃでも我が子や知人の子は愛おしいと思うのと同じように、そこに生まれる感情の変化は「好き」より「愛おしさ」。ワインが「好き」から「愛おしい」に変わる体験、ワイナリーで造り手とともに行うブドウ収穫の一日を取材しました。
喜びも困難も、お客様と共有するということ
今回訪問したワイナリーは、山梨県・塩山にある奥野田ワイナリー。オーナーの中村雅量(なかむらまさかず)さんは、勝沼の老舗ワイナリーで醸造責任者まで務めたのち、1989年に独立しました。現在、オーナーであり栽培家、醸造家でもある雅量さんですが、11年前に結婚したのちは奥様の亜貴子さんと夫婦二人三脚でワイナリーを経営しています。
収穫体験当日。朝10時にワイナリーに到着すると、すでに40人以上が畑で収穫作業を始めていました。全員が奥野田ワイナリーのスタッフかと思いきや、そうではなく、このワイナリーならではのユニークな会員システムを、亜貴子さんが教えてくれました。
「今日来てくださっているのは、『奥野田ヴィンヤードクラブ』のメンバーのみなさんです。11年前にスタートしたこの制度は、現在会員数が約200名にもなりました。毎年、この収穫の時期から募集を始める年会費制度で、プログラムのスタートは2月。収穫作業だけでなく、2月は剪定、3月は誘引作業、5月は芽かきなど年7回、ワインができるまでのプロセスを、座学と畑作業で学びながら楽しんでいただく制度です」(亜貴子さん)
ワイナリーの正社員は、中村夫妻を含めてたったの5名だそうですが、このメンバー制度によって、奥野田ワイナリーのファンやお客様に一年間のワイン造りで必要な人手として協力を仰ぎ、会員はその知識を得ることができるという仕組み。一番人手が必要なこの収穫時期も、会員である顧客の強力なサポートによって支えられているというのです。
11年前というとお二人がご結婚された頃。このシステムは亜貴子さんの発案なのでしょうか?
「はい、そうなんです。ただ当時“システム”というほどのものではありませんでした。私はお料理が好きで、嫁いで来たときに真っ先にお客さまと畑の中でワインパーティーをしたい! と思ったんです。始めは小さなテーブルとパラソルで8人くらい。そこから本格的に学びたいというご要望を受けて、現在のスタイルになりました。
今ではすべてを手料理でおもてなしすることはできませんが、それでも毎回必ず一品は何か作って、わざわざ山梨へ来てくださった一日を楽しんでいただけるよう心がけています」(亜貴子さん)
さらに、このメンバー制度で一番大切なことを教えてくれました。
「栽培や醸造は、時に抗えないものと向き合いながらの孤独な作業です。それをメンバーさんと『今年はいいね!』とか『ちょっと厳しい年だけど頑張ろう!』とか、さまざまな感情を私たちと共有してくださることが、大きな精神的支えになっているんです」(亜貴子さん)
メンバーの皆さんが、まるで自分たちの経営するワイナリーのように、そして出来たブドウを我が子のように愛おしく収穫している様子が、この日の雰囲気からも感じられました。
さっそく、収穫してみよう
8人からスタートして、現在200人にもなるメンバー制度。とてもワイナリーのスタッフだけでは運営できませんが、古くからのメンバーが新規のメンバーに収穫方法やルールを自主的に共有し、助け合う空気感がありました。私たち取材班も簡単に収穫のレクチャーを受け、いよいよ収穫体験スタート。
まず1人に1本、通し番号の付いた収穫用のハサミが貸し出されます。これを、一日責任を持って管理することがルール。万が一、収穫用のカゴに置き忘れて、ブドウとともに発酵タンクなどの機械に巻き込まれる等のリスクを回避するため。また切れ味の悪さはケガの原因にもなるため、回収後は毎日オイルを差して切れ味を整えることも徹底しているそうです。
この日の収穫は、黒ブドウ品種のカベルネ・ソーヴィニヨン。今年芽が出た新梢から横に伸びた枝になる房を切り離していきますが、切り口が鋭角のままだと重ねたときに他の房を傷つけるので、短くカットしてからカゴへ。
さらに、ランダムに重ねると房を傷つけるだけでなく無駄な隙間ができ、またカゴに入る総量もバラバラで収穫量の把握もできないため、カゴへの入れ方にもルールがあります。房は四隅から置き、その間を埋めるように外周を作り、そして最後に真ん中を埋める。これを繰り返してブドウを重ね、カゴにすり切りいっぱいになると約10キロになるそう。また、畝に沿って横に移動しながら房をカットする際、カゴを畑の中で引きずることは厳禁。なぜならカゴを重ねたときに底に付いた泥が下のブドウに付き、ワインの質を低下させてしまうからです。
このように、ひとつひとつの作業に対して、驚くほど徹底したルールがありました。すべては質の良いワインを造るため。ファンやお客様の協力で成り立つメンバー制度とはいえ、観光要素の強い「収穫体験イベント」ではなく、全員がオーナーであり栽培家、醸造家であるような真剣な意識を持って作業を進めていました。
「もう一回! 来年こそ!」終わりなき挑戦
そんな畑の様子を温かい目線で見守っていたオーナーの中村雅量さんに、今年の作柄について伺いました。
「今年は……正直厳しい年です。近年稀にみる長梅雨だったことは記憶に新しいと思いますが、この地区でも6月、7月の日照は例年の15%程度と、完全に日照不足。ただそういう年こそ、いつもより仕事があります。樹体生理が狂ったブドウの樹は自ら虫を呼び、新たに葉を伸ばしてしまうのでそれぞれに対処が必要なんです」(雅量さん)
しかし、雅量さんの表情は悲観的ではありませんでした。
「こんな年があると『来年こそは!』って、止められないんですよね(笑)。逆に良作年の出来を褒めてもらっても、いや僕はここをもっとこうしたかったんだよな、とまたそれも止められない。いつも『もう一回! もう一回!』って。きっと思いを遂げるようなワインができてしまえば、止めることができるかもしれないけれど、それができないんですよね」(雅量さん)
その言葉を横で聞いていた亜貴子さんは?
「でも、あなたはきっと思いを遂げたワインができたらできたで『こんな素晴らしいワインができるんだ! もう一回造ってみよう!』って、結局止められないと思いますよ(笑)」(亜貴子さん)
ワイン醸造歴35年の雅量さん、そしてそれを支える妻・亜貴子さんの言葉は、ワインとワイン造りに対する愛おしさに溢れていました。
最後に、雅量さんから私たちに向けて、こんな言葉をもらいました。
「今年、状態が厳しいブドウは、収穫の時点でこの畑に切り落とされて醸造所へ辿り着くこともできません。ですが逆に言えば、醸造所へ運ばれ醸されるブドウは“運のいいブドウ”です。運のいいブドウだけでできたワインは、きっと不思議な力を持ったワイン、覚えていて手に入れて下さい。チャーミングに仕上がるように努力します。お待ち下さいませ、ね(笑)」
ここで、冒頭の質問をもう一度。天候に恵まれた良作年のワインの味わいは楽しみですが、不作な年は購入しないものでしょうか? きっとワインとの向き合い方が変わる体験、毎年の秋の収穫時期には日本各地の産地で行われているワイナリー訪問イベントや収穫の機会を、ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
【ワイナリー情報】
Okunoda Winery(奥野田葡萄醸造)
所在地:山梨県甲府市塩山牛奥2529-3
電話番号:0553-33-9988
営業時間:10:00~12:00/13:00~17:00
定休日:水曜
http://web.okunota.com/