グルメ
菓子
2020/2/13 18:00

バレンタイン前日に改めて学ぶ「チョコレート」の起源と「ガーナ」の歴史

今日はバレンタインデー・イヴ。義理チョコ、本命チョコ、家族チョコなど様々なチョコレートが巡ってくる年に一度のイベントがまもなくやってきます。この時期は特に、様々なチョコレートが店頭に並びますが、比較的手に取りやすいおなじみメーカーのものから、海外ブランドの1粒1000円オーバーの高額なものまで様々。

 

個人的にはどれも美味しく感じてしまうのですが、果たしてこの差はどこにあるのでしょうか。そして、チョコレートそのものの歴史、工程はどういったものなのかも気になります。そこで今回は、「チョコレートロッテ~♪」でお馴染みのロッテ・米岡孝輔さんに、チョコレートの起源、歴史など、様々な疑問にお答えいただきました。

【プロフィール】ロッテ・マーケティング部の米岡孝輔さん。ロッテの主力商品「ガーナミルクチョコレート」を担当する一方、プライベートでも大のチョコ好き。オススメの食べ方は、小さく割った板チョコを2枚重ねで食べること

 

スペインが隠し続けたチョコレートの存在

ーーまず、チョコレートの起源から教えてください。

米岡孝輔さん(以下、米岡) どこからを「チョコレートの起源」と呼ぶかにもよるのですが、一般的なチョコレートの定義は、カカオ豆の種子を発酵・焙煎したカカオマスを元にした固形食品です。

ただし、カカオの食用という意味では紀元前から始まったと言われています。古代メキシコではカカオは「神様の食べ物」といわれ、とても貴重なものでした。その後、カカオの種子を砕いて、香辛料とともに水に溶かし飲用するようになります。これは「ショコラトル」と呼ばれ、滋養強壮の飲み物として、高貴な王様たちに親しまれたそうです。味については現在の基準からすると美味しいとは言い難いものだったと想像されますが。

 

時代が進み、16世紀になるとスペインがメキシコ(アステカ帝国)に遠征し、多くのカカオ豆を自国に持ち帰ります。そしてカカオ豆にミルクや砂糖などを加え、温かい飲み物を作り、上流階級の人たちの間で広まったようです。今で言うホットチョコレートのようなもので、甘くて美味しい味わいだったようですが、ただここから100年くらい、チョコレートの製造や浸透には空白の期間がありました。

 

なぜ、この100年くらい空白の期間があったのかと言うと、当時カカオ豆はとても貴重で、スペインの人たちはこの飲み物の存在と作り方を長い間秘密にしていたからです。しかし、イタリア商人がこっそり自国にチョコレートの作り方を持ち帰ったり、スペインの王族の子が嫁ぎ先のフランスにチョコレート専門の料理人を連れて行ったりしたことで、フランスにも味が知れ渡り、世界へと広がっていったそうです。

 

そして、1800年代に「チョコレート4大発明」が起こります。この頃までは、前述のような液体だったチョコレートですが、この「チョコレート4大発明」は「ココアの誕生」「固形チョコレートの誕生」「ミルクチョコレートの誕生」「コンチング(※)の発明」で、まろやかでなめらかな美味しい固形チョコレートが作られるようになりました。

(※)“コンチング”という名前のかくはん機を使い、チョコレートをさらに滑らかにする作業。

 

以来、チョコレートは主に固形で親しまれることが多くなり、庶民でも味わうことができるお菓子として、世界中に愛されるようになっていきました。

 

日本市場にヨーロッパの本格チョコレートが到来!

ーーそのチョコレートがやがて日本にも入ってくるわけですが、ロッテでチョコレートを始めたのは1964年発売のガーナですよね。

米岡 そうです。実は当時の日本には既に国産のチョコレートが販売されており、業界全体がずっと伸びている状態でした。ただこの時のチョコレートは、アメリカなどでよく食べられている砂糖由来の甘さが特徴のもの。弊社としても「この先、チョコレート事業をやらなければ、菓子市場の中で大きな存在にはなれない」と考え、後発ではありながらも本格的な開発に乗り出すことにしたそうです。

 

世界に目を向けると、チョコレートの本場、ヨーロッパのミルクチョコレートがメインストリームになっていました。このミルク感溢れるチョコレートを日本の皆さんにも召し上がっていただきたいと考えた弊社では、調査隊を作って何度もヨーロッパに出向いて、製造技術を得ようとしたそうです。しかし、当時のヨーロッパ諸国のチョコレートメーカーは、企業秘密のため、なかなか教えてくれず、苦労があったようです。

 

様々な折衝を重ねた後、ようやく、スイス出身でドイツやオーストリアのメーカーでチョコレート工場長を務めた技師であるマックス・ブラックさんという方に日本にお越しいただくことに成功しました。この方が弊社で、ヨーロッパスタイルの板状のミルクチョコレートを作りました。それがロッテの『ガーナミルクチョコレート』で、弊社のチョコレート事業のスタートとなったわけです。

 

↑ 1964年の発売当初のロッテの「ガーナミルクチョコレート」。茶色のパッケージが多かった他社製のチョコレート商品に対し、真っ赤なパッケージに金色の文字は当時としては斬新で、今日までの55年間で、デザインは大きく2度しかr変更をしていないそうです

実は高級チョコレートとガーナは遜色がない!?

ーーチョコレートの製造工程はどういった手順になりますか?

米岡 製造工程はメーカーごとにこだわりを持っていると思います。弊社の場合はとにかく丁寧に、時間をかけてチョコレートを作り上げている点が挙げられます。自社工場にカカオ豆を入れるところから始め、豆を焙煎してカカオマスを作ります。そこにミルクや砂糖を練り込んで商品にしている訳ですが、豆の大きさによって焙煎時間などを変えたり、チョコレートの粒子を細かくしたり、長い時間チョコレートを練り上げたり、随所に弊社ならではのこだわりがあります。実はカカオ豆からチョコレートまで一貫して製造しているメーカーは多くはありません。弊社の場合、イチからチョコレートを作り上げているため、弊社ならではのチョコレートができるわけですから、強みとして自負しています。

ただ、弊社の場合は、様々な国からカカオ豆を入れるところから始め、自社工場で豆を挽いて、焙煎して粉々にして、チョコレートのスイートを作ります。そこにミルクや砂糖を塗り込んで商品にしています。前述のようなチョコレートだけを買ってきて、形を変えるだけなら1日などで終わる作業だと思いますが、弊社の場合は、これだけの工程を踏まえていますから、約10日はかかります。しかし、この大変な作業を経てこそ、弊社ならではのチョコレートができるわけです。

↑ 仕入れたカカオ豆を挽くために機械に投入する様子

 

↑ カカオ豆を焙煎した後、粉々にしてチョコレートを作る様子

 

↑ カカオマスのスイートにミルクや砂糖と合わせて滑らかに

 

↑ 板状に成形し、完成したガーナミルクチョコレート

 

ーーところで、バレンタインデー時期には、様々なチョコレートが店頭に並びますが、中には1粒1000円以上もする外国製のものもあります。こういったチョコレートは、なぜそんなに高いのでしょうか。

米岡 さすがに1粒1000円のチョコレートですと、豆や工程に特別なことがあるかもしれません。ただ、価格に大きく影響しているのは関税や物流費、製造効率だと思います。原料をたくさん買い取り、機械で大量生産しているのか、少ない原料を買い取り、手作業で作っているかによって当然、価格は大幅に変わります。また日本では高級なチョコレートでも、海外ではそこまで高価でないことはよくあります。ガーナミルクチョコレートはとてもお手頃な価格ですが、原料と製法にこだわった本格的ミルクチョコレートです。外国製の高級チョコレートだけでなく、ぜひともこの味を堪能してもらいたい。実は高級チョコレートと大差がない、それくらいの自信を持っている商品です。

↑ 現在のガーナミルク。なめらかな口どけと奥深い味で、今なおロッテのチョコレート商品の代表格

 

↑「 ガーナピンクチョコレート」。ピンク色のパッケージもかわいらしい苺味。今年、ロッテでは、「ピンクバレンタイン」をテーマに、こういったかわいらしい商品展開もされています

 

ガーナの技術から派生した数々のチョコレート商品

ーー話をロッテのガーナミルクに戻すと、1964年に発売されて以来、今日に至るまで50年以上も続いています。また、このガーナをきっかけに、様々なチョコレート商品にも派生しています。この経緯も教えてください。

米岡 ガーナが発売されてから、洋酒チョコの「バッカス」、「ラミー」といった商品を発表した後、1974年にモルトパフ入りの「クランキー」を開発しました。続く1979年の「パイの実」、1984年の「コアラのマーチ」は独自のコンセプトで開発した商品でした。

↑ 1974年の発売以来、ロッテの主力チョコレート商品の一つになったクランキー。サクサクのモルトパフがぎっしり詰まっています

 

例えばパイの実でいうと、「木々に美しいパイがなっていたら、なんか幸せだろうな」というもの。また、コアラのマーチでいうと、「コアラって、あまり動かない動物だけど、もっとかわいくしたらどうか」と考えて、マーチングバンドの設定にしました。

 

↑ 1979年に発売されたパイの実。チョコレートの楽しさをさらに広げた商品です

 

↑ 1984年発売のコアラのマーチ。発売時のコアラブームに合わせながら、ロッテならではの楽しさも加えた商品開発によって、こちらも今日まで親しまれています

 

また、1994年に出した「トッポ」は、外側にプレッツェル、内側にチョコレートを入れれば、夏場でもチョコが溶けて手がベタベタすることなく、最後まで美味しく食べられると考えた商品です。

↑ 1994年に発売されたトッポ。お客様視点の発想で開発し、こちらもヒット商品に

 

ここまで多くの派生商品が生まれ、世の中にも広がっていったことを考えてみても、やはり1964年のガーナは弊社にとってチョコレートの基盤開発上、とても重要な商品だったと言えます。

 

近年の菓子消費量の1位はチョコレート!

ーーこれまでお聞きしたチョコレートの起源や歴史、そしてロッテ製チョコレート商品の変遷も合わせて顧みて、これからの未来にどのようなチョコレートを開発されていきたいとお考えですか?

米岡 2013年以降、チョコレートの消費量、消費金額は増加傾向が続いています。戦後からこの頃までに売れていたお菓子は和生菓子、洋生菓子がメインだったわけですが、現在はチョコレートが菓子市場のトップになっています。「じゃあ、ヨーロッパはどうか」と見てみると、各国の菓子市場において、日本以上に圧倒的な存在。

 

その理由を考えてみると、おそらく「ここまで複雑なお菓子はない」からだと私は思っています。甘くもあり、苦くもあり、酸っぱい香りもある。そして、近年は「カカオがスーパーフードである」といった声もよく耳にしますし、美味しくて、1つ口にしただけで気分も変えられるという、他にはないお菓子だと思います。

 

今後も口にしてハッピーな気持ちになるようなチョコレート商品を、一つでも多く世に出していきたい。味はもちろんですが、チョコレートそのものの魅力も、ガーナを始めとしたブランドを通して世の中にお伝えしていけたらいいなと思っています。

↑ ロッテのチョコレート商品は、大きく分けて20ブランドが存在。それぞれのパッケージにフレーバー違いなどがあります。米岡さんは、これらの商品群をもって、「チョコレートの魅力を世の中に伝えていきたい」とおっしゃっていました!

 

チョコレートの奥深い歴史と工程、さらにロッテ商品の変遷までを辿ることができ、感慨ひとしおの筆者でした。バレンタインでもらうチョコレートを味わいつつ、お礼代わりにこのチョコレートのウンチクを、プレゼントしてくれた女性に伝えれば、より関係が深まるかもしれませんよ!

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると閲覧できます)】