ケンタッキーフライドチキン(以下、KFC)の入口に立つ、白いスーツの白髪紳士の像。この人物こそ、KFC創業者にして秘伝のレシピを編み出した、カーネル·サンダース御大です。KFCのシンボルとして、雨の日も雪の日も、にっこりと微笑み、お客さまを出迎えているカーネル立像ですが、今日までにさまざまな苦難もあったそう。今回は、知られざるカーネル立像のエピソードをご紹介します。
徹底解剖! カーネル立像はこんな感じ
まずはカーネル立像をじっくりと観察してみましょう。
高さは約180cmとかなり大柄。これは60歳代のカーネルの等身大だとか。白いスーツはカーネルの生まれ故郷である“アメリカ南部の正装”で、KFCを宣伝する際は必ずこのスーツを着用していたそうです。なにやらもの言いたげに差し出す両手は、フライドチキンを入れるバーレルを持つのにぴったりの角度だそう。そして、メガネはなんと度入り。伊達眼鏡じゃないんです!
ただし本人の体重が90kgだったのに対し、立像は26kgとずいぶん軽め。まあ体重までリアルにしたら運ぶのが大変ですよね。
店頭にカーネル立像を置くのは日本が発祥!
KFCの店先に立つカーネル立像は日本ではお馴染みの光景ですが、実は店頭にカーネル立像を置くのは日本発のアイデアだとか。ときは1970年代、当時の日本ではまだKFCの知名度が低く、電器店や理髪店に間違われることが多かったそうです。どうしたら知名度が上がるものかと悩んでいた日本KFC創業メンバーは、カナダの倉庫でカーネル立像に偶然出会い、この立像を店頭に設置しよう!とひらめき、1971年頃から設置されたと言われています。それ以来、KFCのシンボルとして愛され続けているのです。ちなみに、カーネル立像は日本で最初に立体商標登録されたものの1つでもあります。
このカーネル立像は実に精巧にできており、生前来日したカーネルもいたく気に入ったそう。アメリカ本社にあるカーネル・ミュージアムには、日本から寄贈された立像が展示されています。
メガネがなくなる、川に投げ入れられる…数々の災難がカーネル立像を襲う
店舗が多くなるに伴い、日本全国のKFCの店頭に置かれるようになったカーネル立像。多くの人々に愛され親しまれていますが、ときには災難に見舞われることも。いちばん多かったのはメガネの紛失。あまりに紛失が多いことから現在は鼻のあたりに固定しています。
「今日はコンタクトレンズをつけています」という看板を持たせるなどしている店舗もあったとか。
また、メガネだけでなくカーネル立像そのものが持ち去られてしまうことも。ある日「カーネルが横断歩道を渡れず困っている」という連絡が店に入ります。駆けつけてみると、横断歩道手前にたたずむカーネル立像の姿が……。現在は、店頭から移動できないようしっかり固定しているということです。
最も衝撃的な事件は、1985年10月16日、プロ野球 阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めた日に起きました。熱狂した阪神ファンたちは、優勝に大きく貢献した髭をたくわえた外国人選手に似ているという理由でカーネル立像を胴上げし、そのまま道頓堀川に投げ入れられて行方不明になってしまったのです! するとどうでしょう。阪神タイガースはそれ以来、2003年まで18年もリーグ優勝することができず……。
カーネル立像が見つかったのは、2009年に大阪市が道頓堀川の整備のため川底を調査していたときのこと。奇跡的に発見されたカーネル立像は、長い年月を経てもその笑顔は変わらぬまま。奇跡の生還を祝い、幸運の象徴として「おかえり!カーネル」と命名され、今も大切に保管されています。当時のKFCの社長もカーネル像の帰還を喜び、歓待したとか。
ところで、カーネル立像が道頓堀川に投げ入れられるきっかけとなった外国人選手は2023年1月、21年以上前に引退した選手のなかから記者が選ぶ“エキスパート部門”で野球殿堂入りすることに! 天国のカーネルも祝福していることでしょう。
座っているカーネルもいるんです
子どもが大好きだったカーネル。きっともっと子どもと触れあいたいはず……! ということで、2018年に「おすわりカーネル」が誕生しました。
ベンチに腰掛けた「おすわりカーネル」は、いつもよりやや口角が上がり、子どもたちと目が合うように目線は下に。より優しく朗らかなイメージです。
カーネルと言えば、波乱に富んだ人生でも有名ですが、カーネル立像にもさまざまな歴史があったんですね。でも、そんなことは微塵も感じさせず今日も優しく微笑むカーネル立像。
サンタクロースやハロウィンの仮装もこなし、高知では坂本龍馬にだってなっちゃいます。
「お客さまの笑顔のために」。
今日も店頭でお客さまを笑顔でお出迎えしています。