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2017/3/9 20:00

和田アキ子「卒業させてよ」が心の叫びとなったドロップアウト人生のスタートライン

ギャランティーク和恵の歌謡案内「TOKYO夜ふかし気分」第10夜

みなさんこんばんは、ギャランティーク和恵です。とうとう3月がやってきました。寒さに耐える2月からもいよいよ解放され、あとは桜が咲く季節を楽しみに待つのみですね。まだ3月が始まったばかりだというのに、もうすでにワタシの心は浮き足立っております。世間ではちょうど卒業式が行われてる季節でしょうか。また今年も、「卒業式」や「入社式」なんかで良く見る、袴やらスーツやらを着た大勢のフレッシュな若人が、ゲリラ的に街の一角や駅のホームを占めるんでしょうね。

 

いまではあのフレッシャーズ集団を見ても、「よ、若者! これからの日本を任せたぞ!」なんてオヤジ的なあたたかい目で通り過ぎることができるようになったのですが、まだ20代の頃は、あの「フレッシュの塊」のような集団は総じて「敵」だと思ってましたし、何より恐怖でした。アンフレッシュなワタシとしては、自転車に乗ってベルをチリンチリン鳴らしながら、あの塊を散り散りにしたい気分になったものです。

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なんでそこまでフレッシュな若人に対して恨みを持っていたかというと、ワタシのプロフィールを見たことがある方は知ってるかもしれませんが、ワタシの学歴の表記は「武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科中退」と書かせてもらってます。そう、大学は卒業出来なかったのです。さらに、「中退」と形式上書かせていただいておりますが、実際は「除籍」なんです。もっと正確に言うと、「強制退学」。「中退」だと、こちらから「辞めます」と申し出る形になりますが、ワタシの場合は、大学の方から「もう出ていってください」という形で強制的に退学となってしまったのです。

 

その突きつけられた「強制退学」通知は、これからの将来をどうやって生きていこうか…そんな夢やら現実やら期待やら不安やらがごちゃまぜになりながら、大学の同期の友人たちと人生のスタートラインに並んでいたところ、走り出した瞬間ワタシだけいきなりズッコケて複雑骨折してしまったくらいの絶望と深い心の傷となり、今でも夢に出てくるくらいの大きなトラウマとなってしまったのです。

 

大学入学と共に上京し、初めての一人暮らしとなったワタシは、あっという間に堕落し、朝日を見て眠りにつき、夕暮れの寂しさで自己嫌悪になりながら目を覚ます、その繰り返しの毎日を過ごし、1か月も経たないうちに「夜型」人間に成り上がってしまいました。そんな学生として絵に描いたようなクズだったワタシですが、大学は美術大学でしたので、とりあえず「実技」の課題の作品作りだけはウチに持ち込んで夜な夜な制作出来てたので、留年することなくそのまま4年まで進級し、卒業制作も何とかクリアしました。

 

しかし、卒業に必要な単位には「実技」以外に「講義」が半分ほどあり、ほとんど学校に行かなかったワタシは、その半分の「講義」を一切取得していなかったのです。その結果、4年間かけて取得するべき「講義」の全ての単位を、1年間で月曜日から土曜日までの朝から晩まで詰めに詰め込んで、聴講生として大学へ通うこととなりました。しかし、もうその時点ですでにワタシの体は、すぐにでもスナックで働けるくらいの優秀な「夜型人間」に仕上がっていましたので、このハードなカリキュラムをこなせるはずがなく、さらには将来の不安や、親からの期待なんかに押しつぶされて、心は萎えてゆく一方でした。

 

それでも最後の最後まで食らいついて、研究室に行き教授を前に床に頭を擦り付けるほどに土下座して何とか単位をもらったりしたのですが、あと残り数単位をどうしても取ることが出来ず、その後、大学から「強制退学」という冷酷な4文字がポツっと印刷された紙の入った封筒が、廃人のように眠るワタシの部屋のポストと、何も知らない両親の住む実家のポストへ届いたのでした。

 

【今夜の歌謡曲】

提供:ソニー・ミュージックダイレクト
提供:ソニー・ミュージックダイレクト

10.「卒業させてよ」/和田アキ子
(作詞/阿久 悠 作曲/馬飼野俊一)

 

この歌、「恋に苦しむこの状況から卒業したい」という「例え」としての“卒業”で、別に学校を卒業する歌でもなんでもないんですが、その聴講生だった1年間は、この曲がワタシの中でのBGMとなっていました。「卒業」にまつわる歌と言えば、例えば斉藤由貴さんの「卒業」や、柏原芳恵さんの「春なのに」、松田聖子さんの「制服」など数多くありますが、それらはすべて卒業できる前提の歌ですが、卒業したくても出来ない人たちのための卒業ソングは、この「卒業させてよ」以外には恐らくありません(趣旨は違いますが)。

 

今となれば、「歌手」「水商売」という、学歴なんか一切関係のない仕事に就いて今日まで生きてこれてますが(しかも「夜型人間」としての才能も発揮)、あのころ、社会人への第一歩に大きくつまづいたワタシにとって、この時期の「フレッシュマン」の集団には色々な想いを寄せてしまうのです。昔は彼らを蹴散らしたかったけれど…今となっては、「良かったね。人生の行き先を迷いなく照らしてくれる心強い組織と仲間がいて。」って正直に思えます。

 

先日、ワタシのお店「夜間飛行」に、一見さんの青年が深夜にフラリと入ってきたのですが、特に何も喋らず、ただタバコを吸いながら物思いにふけているようでした。「こんな時間にひとりでどうしたの?」と聞いてみると、「実は……忘れたいことがあって友達と酒を飲んでたんだけど、全然気が晴れなくて。それでどこかで飲み直したくてココに来ました……」と苦笑いで話をしてくれたので、「それって、何があったか聞いてもいいの?」と尋ねてみると、「単位を取りきれなくて卒業出来ないかもしれないんです……」という返事が。しかも、その青年も美術系の大学生だったのです。ワタシが伝えた答えは……「何が何でも卒業しなさい!」でした。

 

人生は学歴じゃないの。でも、人生のスタートラインでの複雑骨折の後遺症はかなり大きいわよ……と、偉そうに言っちゃったけど、ワタシのこの苦い経験やトラウマも、彼の人生の行き先を照らす小さな明かりのひとつにでもなってくれれば、少しは報われるってものです。

 

<和恵のチェックポイント>

1971年リリースされたシングル。作詞はデビュー当初から彼女の歌唱力と存在感に合う詞を提供し続けてきた阿久 悠さん。作曲は馬飼野俊一さん。野口五郎さんの「君が美しすぎて」やチェリッシュの「てんとう虫のサンバ」のヒット曲が有名ですが、どちらかと言うと編曲家としてのクレジットのほうが多く、天地真理さんの「ひとりじゃないの」、細川たかしさんの「北酒場」などでも、その素晴らしい仕事を聞くことが出来ます。阿久悠さんは、和田アキ子さんだから歌えるだろう世界を模索するなかで、「孤独」という大きなテーマを持ってきたり、「天使」という人間離れしたモチーフを出したり、色々と試行錯誤されたようです。

 

そのなかで、よく歌謡曲にある恋愛の歌での別れを「卒業」という言葉で表現したのも、阿久 悠さんなりの挑戦だったのかもしれません。結果、1972年にリリースされた「あの鐘を鳴らすのはあなた」で見事レコード大賞最優秀歌唱賞を獲得。彼女だからこそ歌い上げることのできる、あのスケール感のある歌が生まれたと言います。そうやって、ヒット曲というのは、その歌手の持つイメージを作り手が見出しながら生み出されているんですね。それを引き出すのも歌手としての才能のひとつなんだと思います。

 

【インフォメーション】

ギャランティーク和恵さんが昭和歌謡の名曲をカバーする企画「ANTHOLOGY」の第4集「ANTHOLOGY #4」が、2017年2月1日(水)に配信&CDでリリースされました。詳しくはANTHOLOGY特設ページをご覧ください。

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「ANTHOLOGY #4」

2017年2月1日(水)発売
配信:600円(税込)日本コロムビアより
CD:1000円(税込)モアモアラヴより
iTunes store、amazon、他インターネットショップにて

 

<曲目>
01. マイ・ジュエリー・ラブ(作詞:篠塚満由美 作曲:馬飼野康二)
02. 孔雀の羽根(作詞:千家和也 作曲:筒美京平)
03. エレガンス(作詞:橋本 淳 作曲:三枝成章)