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2018/1/21 16:00

冒険家・荻田泰永氏、南極冒険で日本人初の偉業! 中間地点ではまさかの出会いも

昨年、出発前の様子をお伝えした、北極をメインフィールドとする冒険家の荻田泰永氏が、日本時間の1月6日に日本人初となる南極点無補給単独徒歩到達に成功。その後1月16日に日本に帰国し、当日、羽田空港にて記者会見が行われた。ここでは、その会見の様子をお伝えする。

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1歩1歩を積み重ね、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功

荻田氏は、昨年の11月10日に羽田を出発し、カナダを経由して同月17日(チリ時間)には南極大陸の海岸線沿いにあるヘラクレス入江を出発。距離にして1126kmを約100kgのソリを引きながら歩き、1月5日には標高にして2800mを超える南極点に到達した。途中、カタバ風と呼ばれる強烈な向かい風や降雪などに悩まされたが、計画どおり50日で日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功した。

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↑南極点のセレモニーポール前で日本国旗を掲げる荻田氏。計画どおり冒険開始からちょうど50日目の1月6日(日本時間)に到達。実際の南極点(リアルポール)は、このポールから100mほどの位置にあるが、毎年位置が移動するため、こうしたセレモニー用のポールが設けられているのだという

 

荻田氏にとって今回の冒険は、これまでの経験から十分可能な行程であり、概ね想定された以上のトラブルはなかった様子。とはいえ、やはり50日間ひたすら歩くという単調さは大変だったとのこと。ただ、その1歩1歩を積み重ねることでどこまででも行けることを実感できること、そうしたなかで様々な経験ができた点は冒険を続けてきてよかったと感じたという。

 

冒険が終盤に入るとうれしさや喜びととともに、冒険が終わってしまう寂しさも感じたとのことだった。日本に着いた瞬間は、1年間ほどかけて準備してきた南極探検のプロジェクトが一区切りついたという喜びと日本語が通じる安心感が込み上げてきたそうだ。

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↑記者会見中の荻田氏。カナダからのフライトが遅れたため、会見は羽田空港到着直後すぐに同所で行われた。南極出発前に比べ、少しほっそりとした印象だが、元気な様子であった。汗で出発時に比べて変色したジャケットが、冒険の過酷さを物語る

 

冒険中、非常にエキサイティングだったのは、中間地点であるティール山脈に到着した際に世界的な冒険家、ロバート・スワンさんに出会えたことだったという。そのほかの冒険家との交流もあったようで、そうした方々に感謝していたが、今回の冒険では、数多くの方々や企業に協力や協賛をいただけたこと、さらには、個人の方からのメッセージなどの応援もたくさんいただけたことは、大変励みになり感謝しているとのことだった。

 

冒険を支えた装備やアイテムたち

会見では、今回持参したアイテムについても語られた。氏が生命を運ぶ“相棒”とも呼ぶ、植松電機製のソリについては、性能的には市販のソリのほうが優秀な部分もあるものの、自分も参加して作ったものは、愛着が湧き、実際に使い勝手も身に付いていて冒険中にどうすればいいかがわかったという。今後、これを発展させることで、さらにいいものができあがる実感を、今回の冒険を通して得たようだ。

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↑南極で使用された植松電機製のソリと、株式会社ザンダーと共同開発した「POLEWARDS」ブランドのウェア。写真の黒いウェアは、休憩中などにアウターとして使用されたもの

 

行程中の食料については、1日1kgで5000kcalを基本に朝はオートミール、昼(行動食)は、ナッツ、ビスケット、それと森永製菓と開発したチョコレートバー、夜はアルファ米がメインだったという。なかでも今回開発したチョコレートバーは寒いなかでも柔らかく、行動食として最適であったようだ。カメラに関しては、行程中の写真と動画記録はすべててパナソニックのルミックス DC-GH5によるもの。こちらは、北極で前モデル・GH4の実績があったこともあって心配はしていなかったようだが、今回も全く問題なく撮影することができたそうだ。

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↑中間地点にさしかかる前日の12月16日にGH5で撮影された写真。周りに何もなく、雪の大地と空が広がる。荻田氏の同日の日記を読むと、この日、写真を撮影して拡大表示にすることで巨大なクレバスを発見できたと記されている。GH5は単なる記録に留まらず、安全の確認などにも活躍したようだ

 

次の動画は、GH5で撮影された、出発時と南極点到達時の動画。到着時の旗のたなびく様子や音声から、その風の強さがうかがえる。

今回の冒険は、日本人初ということで非常に注目を集め、それを計画どおりに行った荻田氏はやはり偉大だ。それを支える装備やアイテムにも大きなトラブルはなかった様子で、そうした冒険の周辺部も含めて凄さを感じる冒険であった。

 

次は「北極点」無補給単独徒歩へ意欲

荻田氏によれば、南極探検については、情報が豊富にある今日、シャクルトン、スコット、白瀬矗、といった歴史上の冒険家に勝つことはできず、追いかけているだけともいえるそうだ。ただ、今後さらに追いかけてくる冒険家が登場してくる可能性も高く、今回、南極点無補給単独徒歩到達に成功したことで、後進の冒険家にとって挑戦心や冒険心の源になってほしいという。また、こうしたことが人類が発展していく原動力にもなるのではないかと語っていた。ただ、北極点無補給単独徒歩に関しては、24年前に到達記録があるが、そのころから氷の状況が大きく変わり薄くなっていて、その実現が格段に難しくなっていることから、何とか北極点無補給単独徒歩を実現させたいのだという。

 

最後に会見の後半、極地への冒険について、以下のように語っていたのが印象的だった。「極地への冒険は、私にとっては手段であって目的ではありません。極地に行くことで何を学んだり見たり感じたりできるかが目的です。冒険を行う場合は、マニュアルもなく、主体性を持って行動することや考えること、試行錯誤すること、それに伴うリスクをどう扱うかといったことを考えることが面白いのです。基本的には非常にパーソナルなことですが、その経験や楽しさをほかの人に伝えて行くことなどで、社会との繋がりができてくるのだと思います。今後は、北極でやり残している北極点無補給単独徒歩などを目指して、冒険を続けて行きます」。

 

実際に南極を冒険してみた感想や北極と違う点については、会見時点ではまだ整理できていないとのことだったが、これまでにない経験をすることができ、これからの荻田氏の冒険の糧になる経験が数多くあったようだ。今後は、これまでに全世界で1人しか到達できていない、北極点無補給単独徒歩へのチャレンジを心に決めた様子であった。