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2022/7/12 20:00

全米1位! 異色のHIPHOPプロデューサー・TRILL DYNASTYが時代の寵児となった理由

「知る人ぞ知る存在」で納まるべき人物ではない。TRILL DYNASTY(トリル・ダイナスティ)は日本人プロデューサーとして初めて全米ビルボード1位獲得という偉業を達成。まったくの独学で作曲を始め、SNSのDMをアメリカ人アーティストに送ることでチャンスを掴んだ異色のヒップホップミュージックの作曲家だ。生まれ育った北茨城に住みながらエッジの立ったトラックを量産し続ける彼に、波乱万丈の半生から創作の秘訣まで洗いざらい語ってもらった!

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:小野田 衛)

TRILL DYNASTY/1992年、茨城県北茨城市生まれ。2015年からDJとして本格的な音楽活動を開始し、2018年に作曲家に転身。2021年にはシカゴ出身のアーティスト・Lil Durkがリリースした『The Voice』の楽曲制作に携わりBillboard HIPHOP,R&Bチャートにて1位を獲得する偉業を成し遂げた。国内の音楽シーンでも活躍しており、Wow Wow Wow / ¥ellow Bucks などのヒット曲のビートも手がけている。ピアノの音色が特徴的なビートを得意とし、今もっとも注目されているループメイカーと言っても過言ではない。

 

ヒップホップは単なる音楽ではなくカルチャー。そこが俺がのめり込んだ一番の理由

──今回はTRILL DYNASTYさんの歩みを振り返っていきたいのですが、作曲家として世に出たのはわりと遅咲きですよね。

 

TRILL かなりの遅咲きですね。もともと自分は音楽にも興味なくて、流れでDJをやるようなった感じなので。

 

──では、それ以前の話からお伺いします。どんな学生時代を送っていました?

 

TRILL ガキのころから野球をやっていたんですよ。中学も高校も野球部。大学も野球で入りましたね。なにしろ勉強が全然ダメだったものですから(笑)。授業中なんて、ほぼずっと寝ていましたし。

 

──ゴリゴリの体育会というわけですか。

 

TRILL いや~、そんなこともないですよ。高校も強豪ではなかったですし。口では一応「甲子園を目指す!」とか言ってたけど、実際は程遠い感じで。野球一筋の体育会系っていうノリはなくて、部活が終わったら普通に彼女と遊んだりしていました。結局、野球はケガもあって大学でやめちゃったんですけどね。長く続けてはいたけど、選手としてはパっとしなかったな。

 

──当時は音楽をまだ始めていなかった?

 

TRILL 全然です。ヒップホップは一切聴いていなかったですし。たとえば飲み会のあとでカラオケとか行くじゃないですか。そこで歌えるような曲……結構ミーハーにコブクロとかミスチル(Mr.Children)とかB’zとかを聴くことはあったけど、それが今の活動に繋がっているかと言えば、そういう要素はゼロですね。まったく関係ないです。それで大学も辞めちゃったし、水戸市内の洋服屋さんでバイトすることになったんですよ。そこはチェーン店とかじゃなくて、海外に服を買い付けに行って日本で販売するっていうスタイル。そこのオーナーがDJをやっていたんです。

 

──なるほど。そういう流れでしたか。

 

TRILL そのオーナーは水戸のシーンを引っ張るような影響力のある人でした。店で働いていてターンテーブルとミキサーをもらったんですよね。俺としてはDJやヒップホップがカッコいいとも思っていなかったんだけど、「まぁせっかくもらったしな」ってことで始めたんですよ。これが音楽家としての原点ということになるかな。基本的に俺って受け身なんですよね。野球だって親に勧められて始めただけだし。だけど一度始めちゃうと、とことん深いところまで行っちゃうタイプで。野球のときも練習は嫌いだったけど、プロ野球選手の変化球を見て「どういう手の角度で投げているんだ? どういうボールの握り方している?」とかの細かい研究にドハマりしていました。

 

──そのへんは元来の性格なんですかね。

 

TRILL たぶんそうだと思う。マニアックなところがあるんですよ。音楽もそれでズッポリいっちゃったんですよね。バイトしていた洋服屋には『XXL』とか『THE SOURCE』といった向こうのヒップホップ雑誌が定期的に送られてきたんですよ。それを眺めていたら、誰だか忘れたけど有名なラッパーが地元の学校に通えない子どもたちに対し文房具や鞄を大量にプレゼントしたという記事が載っていたんです。俺、それにショックを受けましてね。だって当時のラッパーは典型的なアウトロー集団じゃないですか。そんな反社勢力が社会的な慈善事業をしていることにすごく興味を持ったんですよね。ドラッグディールとラップでカネを稼ぎ、地元の子どもを助けているという背景があったんです。

 

──一種の社会貢献というわけですね。

 

TRILL でも、ひょっとしたら本人は社会的にいいことをしているという意識すらないかもしれない。それで善人ぶりたいなんて考えていないだろうし。ただ、間違いなくヒップホップ流の正義がそこにはあると確信したんです。だからヒップホップってカルチャーなんですよね。単なる音楽ジャンルじゃなくて。そこが俺がのめり込んだ一番の理由だと思う。

 

──ますますDJ活動にも打ち込んだわけですね。

 

TRILL 地方のDJって現実的にはいろいろ厳しいんですよね。、ミックスCDとかも月1ペースで出すようになったんです。それでそのうち水戸だけじゃなく、東京とか他の街でもDJやるようになったんですけど……3~4年目くらいで急に飽きちゃったんですよ(笑)。それでDJは辞めちゃった。

 

──「飽きちゃった」という気持ちを、もう少しご自身で分析すると?

 

TRILL 結局、DJの世界にもお約束があるんですよ。客商売だから、みんなが喜ぶ曲をかけなくちゃいけないわけです。「この曲とこの曲はかけるべきだ」みたいなリストがあって、その中から自分でチョイスするという感覚。だけど俺はそれじゃ満足できなくなったんですよ。全然知られていないInstagramのフォロワーが50人くらいのアーティストであっても、自分がカッコいいと思う曲はミックスCDにパッケージしてリリースしていましたし。そもそもの発想が普通のDJとは正反対なんですよ。

 

──う~ん、難しいところですね。

 

TRILL 正味、DJで飯が食えていたわけじゃなかったですしね。もちろん地元ではノーギャラだったし、それどころかチケット売れなかったら赤字を被るような有様。自分でカネを借りて、主催者に「すみませんでした」って頭を下げるような感じでしたから。当時、生活は服屋のバイトを続けながらガソリンスタンドでもバイトしていたんですけど、かなり苦しかったです。カネにもならないし、そのわりに要求は厳しいし、やりたいこともできないし。

 

──DJってめちゃくちゃモテそうなイメージがありますけど。

 

TRILL そんなことないですよ。ラッパーはいい服着て、いいチェーンと時計つけて……みたいな人が多いけど、それに比べてDJは見るからにみずぼらしい人が多くて。見る人もそのへんを感じ取っているから、ますますラッパーとDJの格差は広がっていく。

 

作曲は「これで好き勝手やって、食っていきたい」ってマインドになれた

──作曲を始めた時の状況は。

 

TRILL とりあえずAmazonで8000円くらいの小さいMIDI用キーボードを買って、FL StudioのProducer EditionというDAWソフトも買って、近所にヤマダ電機があったから1万5000円くらいのパソコンを買ってきました。

 

──DTMで使うPCって、ある程度のスペックが必要なのでは?

 

TRILL その通りです。だけど当時はそんなこと知らなかったから、曲を作っている途中ですぐフリーズして、ムカつきながら再起動しまくっていましたね。そんな調子だったけど、始めてみたらすごく楽しかったんです。本来やりたかった自己表現が自由にできたので、そのことが単純にうれしかった。これは俺に向いているかもなって気づいたし、さっさと有名になろうと思いました。そんなふうに考えたこと、それまでなかったんですよ。野球にしろ、DJにしろ、やっていてモチベーションなんてなかったですから。でも作曲は「これで有名になりたい」「これで好き勝手やって、食っていきたい」ってマインドになれたんです。そこが大きかったのかもしれない。

 

──一音楽プロデューサーというと、坂本龍一さんや小室哲哉さんみたいに幼少期から楽器に触れていたような音楽エリートを思い浮かべる人も多いと思うんです。

 

TRILL そうなんですよ! 実際、自分もよく言われるんです。「中田ヤスタカみたいなことをやっているんでしょ?」とか。でも、まったく違くて。なぜかと言うと、俺がやっているのはヒップホップだから。音楽理論なんて二の次なんです。最初のころに考えていたのは「とにかくガンガン作ってみよう」ということ。普通は音楽の知識を身につけてから作曲を始めるのかもしれないけど、その勉強に費やす時間がもったいないと思ったんです。当時は仕事の合間を縫って音楽を作っている状態でしたし。

 

──ちなみにお仕事は何を?

 

TRILL ラジエーターなど電車の部品を作っている工場でした。去年の7月に辞めたんですけどね。作曲を始めたときに「有名になったら音楽一本でやっていける。そうしたら音楽を勉強する時間もできるはず」ってロードマップを描いたんですよ。実際、その通りになっていますからね。今はちゃんと週1でピアノも習っていますし。

 

──行動力がすごいです。

 

TRILL 早く有名になりたいという気持ちがとにかく強かったから、俺も必死だったんです。日本のヒップホップの世界だと、トッププロデューサーと呼ばれるような人は大体7年とか10年かけて登り詰めているんですよ。俺はそんな流暢に時間かけていられなかった。始めたのが遅かったから、10年経ったら34歳とかになっているわけじゃないですか。「だったら日本でやらなくていいや。アメリカで勝負しよう」って、そう考えたんです。

 

Google翻訳片手にDM大量投下作戦

──具体的にはどのように? 日本でもキャリアがない状態だから、アメリカに人脈なんてないですよね。

 

TRILL だからInstagramのDMを片っ端から送りまくっていました。他にやり方が全然わかんなかったんです。もちろん最初の半年くらいは完全にシカトされていたけど、日本人がヒップホップをやっているということが向こうからすると新鮮に感じたらしいんです。ちょうどそのころは日本のアニメが人気になったり、日本語の刺青を入れるアーティストが出てきたり、日本のカルチャー全般を世界がつまみ始めていたんですよね。その流れに乗っちゃおうという考えも俺の中ではありました。

 

──英語はどうされたんですか?

 

TRILL 当然まったくできないから、全部Googleの翻訳機能に任せっぱなし。細かいことを言うとコツがあって、あれって“です・ます調”の丁寧な日本語で入れると上手に訳してくれるんですよ。逆に普段LINEとかでやり取りしている口語だと翻訳の精度が落ちちゃう。でも、アメリカ人相手の連絡って気が楽ですよ。結局、音楽をやっているだけなんで言いたいことが相手に伝われば十分。メッセージの返事なんて「それ、いいね」の一言で事足りるんですよ。これが日本人相手のメールとかだと、邪魔くさい挨拶から始まるからダルいんですよね。とにかくそんな感じでガンガンDMをアメリカ人に送りまくっていたら、徐々に扉が開き始めたんです。

 

──考えようによっては、アメリカの音楽業界って器がデカいですね。日本だと「あなたの今までの総売上枚数は?」みたいなところから話が始まるじゃないですか。

 

TRILL 「すでに前例があるものじゃないと受け付けない」っていう考えが第一に来るから、いつまで経ってもダサいものしか作れない。アメリカはそんなの関係ないんですよね。そもそもヒップホップって迫害を受けてきた人間のカルチャーだから、彼らだって最初は誰にも認められないところからスタートしているんです。相手のキャリアとか知名度とか関係なく、相手が「これ、いいじゃん」と思ったら即OK。すごくオープンだし、チャンスがあったんですよね。「チャンスがあった」と過去形で言ったのは、今はもう状況が違ってきているところもあって。俺が見境なくDM攻撃して結果を残したものだから、みんなも真似するようになって、今は難しくなっているということです。

 

──アメリカの音楽業界ってコンペがないんでしょうか?

 

TRILL もちろんあると思いますよ。ただリル・ダークとかはストリート側の人間なので、外の人を使いたがらないんですよ。ヒップホップって身内の人間でやるファミリービジネスですから。

 

──つまりTRILLさんは、その内側に入れたということですよね?

 

TRILL そう。だからここは結構ポイントで、身内の人とコライト(共作)すれば目的のアーティストに近づけるということなんですよ。厳密に言えば、今も僕は「オンリー・ザ・ファミリー」と呼ばれるリル・ダークのクルーの一員ではないですよ。部外者です。だけどリル・ダークの仲間と曲を作ることで、自分の音楽が世界に発信されていく。だからDMも闇雲に送っていたわけでは決してなくて、彼らの人間関係をきちんと把握したうえで狙い撃ちしていたんですよね。気になるアーティストがいたら、サウンドだけじゃなくてあらゆることを調べないと気が済まない性分なので。ギャングチームはどこなのか? チームのトップは誰なのか? バックに誰がついているのか? ドラッグディーラーは誰なのか? そこまで徹底して事前に人間関係を調べ上げているから、的外れな感じにはならなかったと思うんです。

 

──音楽に興味もないところから活動をスタートさせたということですが、DJ時代も含め音楽性の遍歴はどう変わりましたか?

 

TRILL 自分がDJを始めたころ、ジェイ・Zとカニエ・ウェストがジョイントアルバムを出したんですよ。ジェイ・Zは何を言ってるのかさっぱりわからなかったけど、トラックがカッコよくて好きでしたね。聴きやすいなって思ったし。だけど今度はそこからEDMに接近したようなヒップホップが流行り始めて、俺はその波に乗れなかったんですよ。クラブ映えするようなポップで華やかなパーティーチューンは好みじゃなかった。それで“ペインミュージック”と自分が呼んでいる、人生の痛みとか苦しみを表現したヒップホップばかり聴くようになったんですね。今、自分が作曲しているのも基本的にはこの流れ。自分の好みが明確化したのはDJ時代でしたね。

 

──作曲を始めるにあたって、最初はそういった音楽を模倣したんですか?

 

TRILL そうですね。もともと突き詰める性格だから、あのころは誰よりも音楽を聴いていたと思う。それは幅広いジャンルを聴くということではなく、自分が好きなタイプの曲を何度も何度もディープに掘り下げて分析するという意味で。ヒットチャートに乗るような曲は放っておいても勝手に耳に入ってくるから、わざわざ聴くことはしなかったです。で、そうこうしているうちにアメリカでは再びストリート感覚の曲が少しずつヒットし始めたんですよ。日本は遅れているから、まだまだパーティーチューン全盛でしたけど。「酒と女とカネがあればOK」みたいな感じのクラブ音楽。

 

──ちょうどヒップホップの世界も過渡期だったんでしょうね。

 

TRILL そうだと思う。日本だとANARCHYとかSIMONみたいなところから、もっと黄色い声援が飛ぶようなタイプの曲が流行るようになりましたし。俺が作曲を始めたときはKOHHが騒がれ始めていましたね。自分もそんなに詳しくはないけど、KOHHの場合はストリート感覚というよりもアート志向を感じたんですよ。それがダメだと言っているわけじゃなく、俺がやるのはこっちじゃないなという気持ちでいました。

 

──作曲活動を始めたのが2018年で、リル・ダーク『The Voice』のビルボード1位が2021年。この間の流れを教えていただけますか?

 

TRILL DM攻撃を続ける中、名前は出せないんだけど某有名プロデューサーがInstagramのストーリーに俺の曲を載せてくれたんですよね。それもハッシュタグをつけて。それが3年くらい前の話で、そこからは一気にメールが届くようになりました。アメリカはもちろんだけど、韓国、インドネシア、中国……世界中の作曲家から連絡が来るんです。

 

──そうした中、リル・ダークの仲間と共作するようになったというわけですか。

 

TRILL リル・ダークのボーカルのミキシングとマスタリングを担当していたTurnMeUpJoshって奴がいて、最近、亡くなってしまったんですけど、彼と繋がったことが大きかったです。TurnMeUpJosh、俺、AyoBleuとLowLowっていう人の4人で『The Voice』は作りました。住んでいる場所もアトランタ、シカゴ、日本とバラバラだったけど、まったく問題はなかったですね。

 

ヒップホップでみんなに希望を与える

──『The Voice』がビルボード1位は間違いなく歴史に残る快挙です。そのことでTRILLさん自身は何が変わりました?

 

TRILL う~ん、本質的には何も変わっていないかな。工場勤めを辞めて音楽に集中できるようにはなったけど、別に住んでいる家とか車が急に豪華になったということは一切ないし。というか、『The Voice』のギャラはまだ1円ももらっていないんですよ。

 

──とはいえ、周囲の見る目はさすがに変わったのでは?

 

TRILL 半年くらいして、ビルボード1位の盾が届いたんですよね。そこからですよ、みんなが「すごいね」とか言い出したのは。日本人の悪いところで、きちんとした形を目で見ないことには認めてくれないという(笑)。まぁでも自分からしたらすでに過去の話だし、そのあともEST Geeのアルバムでビルボード5位を獲りましたし。「そんなに大騒ぎするほどのことか?」っていうのが本音ですかね。

 

──茨城に住み続けているのはなぜでしょうか?

 

TRILL 自分はラッパーみたいにステージに立つ人間じゃないから、住む場所なんて関係ないんですよ。あと東京みたいに情報量が多すぎるところは苦手で。刺激が多すぎて、あまり好きじゃないんです。トレンドを追いかけ、それに合わせて曲を作るっていうタイプでもないですし。だからアーティスト側から「こういう曲を作ってください」とか言われても無視して、自分のストックからしか渡さないんです。

 

──ご自身で振り返ってみて、結局、何が勝利の要因だったと思いますか?

 

TRILL 自分はずっと同じルーティーンで生活していたんですよ。朝6時に起きて、工場に行って、夜7時に帰宅して、朝の4時半まで曲を作り続ける。これを毎日3年半続けていただけなんです。他の人が寝ている間に、ひたすら毎日キーボードとセックスしているんだから、そりゃ上手くはなりますよね。セックスだって回数をこなさないと上手くならないじゃないですか。それと同じです。別に俺は音楽的な才能やセンスが特別あるとは思わないけど、他の人が1日数時間しかやらないところを3倍くらいやっているわけですから。

 

──TRILLさんが作曲している動画も拝見させていただいたんですけど、すごく独特だなと思いました。他のミュージシャンやクリエーターと違い、「自分でもできるんじゃないか?」と錯覚するような敷居の低さがありましたし。

 

 

 

TRILL それはありがたいですね。実際、あの動画を見て「僕も作曲を始めてみようと思いました」という声ももらうんですけど、その気になれば誰だって音楽はできると思いますよ。俺は特別なことなんて何もやっていないし、特別な人間でもないから。ただ、ひとつ言えるのは二番煎じじゃダメだということなんです。俺の真似をしてアメリカ人にDMを送りつけても、残念ながらもう遅い。

 

──DM大量投下作戦に関しては、相手にインパクトを与えるコツとかあるんですか?

 

TRILL 他の人の話を聞いていると、送る回数が圧倒的に少ないんですよ。週1回じゃダメ。1日に何十回もうんざりするくらい送ったほうがいいと思う。(※スマホの画面を記者に向けながら)だって、これ見てくださいよ。自分のGmailに届く依頼なんですけど、1日に500件とか届くんですよ。こんなの全部チェックできるわけないじゃないですか。たまたま時間があるときに貼り付けられている音源を聴くこともあるけど、そうしたところであとの499件はシカトされるってことですから。打率うんぬんの話の前に、とにかくバッターボックスに立たないと話にならないんですよ。

 

──今後の話をお伺いします。TRILLさんにとってはビルボード1位がゴールではないと思いますが、これから何を目指していくつもりですか?

 

TRILL 2つありますね。今は「ビルボード1位」とか「5位」とか騒がれているけど、それって特別なことだからだと思うんですよ。この状態を当たり前にしていきたい。そして、もう1つ。地元のブラザーたちを売れるようにサポートしてあげたいですね。応援してくれるファンとかスポンサーの方に恩返しするっていうのは自分の中で当然のことなので、目標とは少し違うかもしれない。俺はヒップホップに救われた人間だから、ヒップホップでみんなに希望を与えていきたいですね。

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