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2023/10/7 10:30

MISATO ANDO、アーティストデビュー。幼少期からBiSH、そして現在まで語り尽くします!

元BiSHのリンリンが、アーティストMISATO ANDOに生まれ変わったーー。BiSH時代から、独自の世界観を展開し、衣装デザインも担当するなどその才能を発揮させていたが、今年6月30日より本格的にアートの道に進むこととなり、10月6日よりMEET YOUR ART FESTIVAL 2023「Time to Change」で初出展を控える。”無口担当”だったMISATO ANDOの幼少期から現在まで、そのミステリアスな世界を深掘りすると、意外なほどあますことなく話してくれた。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:有山千春
会場協力/寺田倉庫)

MISATO ANDO●みさと・あんどう… 3月9日生まれ。静岡県出身。2023年6月にBiSHが解散し、翌日にリンリンからMISATO ANDOに改名。改名後はアート活動中。Artist Spokenにて『子宮のラジオ』を毎週金曜配信中。アートフェス『MEET YOUR ART FESTIVAL2023』にてアーティストデビュー。X(旧Twitter)Instagram

【MISATO ANDOさん(&作品)撮り下ろし写真】

 

初出展に向け、午前3時まで制作する日々「作業中は戸川純さんの『肉屋のように』をループ」

──今日は何時頃まで作業しますか?

 

MISATO ANDO(以下、MISATO) 今日は、解散してから初めてみんなに会うBiSHの仕事があるので、夕方前には終わりにします。いつもは、昼すぎに来て夜中の3時くらいまで作業しています。集中すると食べるもの忘れてしまって、1日1食で大丈夫な日もあって、いい感じです。

 

──いい感じですか(笑)。音楽などかけていますか?

 

MISATO 作業中は、戸川純さんの『肉屋のように』を、ずっとループしています。

 

──1曲をずっとループですか?

 

MISATO はい、時間が分からなくて済むから。アルバムだと、どのくらい時間が経ったか分かっちゃって、「全然進んでないじゃん!」ってなるので。この曲は「やってやるぞ!」と兵隊みたいな気持ちになれるのもいいです。

 

──それはいい案ですね。いつから製作していますか?

 

MISATO 1週間前からです。最初は自宅で作業しようと思っていたんですが、家具とか全部出して。でも、無理でしたね。寺田倉庫さんがここを貸してくださってよかったです。

 

──現時点で、巨大な顔と両手を、針金で形づくっていて。そこに、太陽のお面やキッズサイズの靴、ぬいぐるみ、衣装などが置いてあります。コンセプトは?

 

MISATO 今回、人生で初めて世に出す作品なので、最初は、自分の描いた絵をいっぱい散りばめてお部屋のようにしたいなという欲望がありました。でも「そうじゃないな」と思って。自己紹介のような、ルーツを伝えることをテーマにしました。

──ここに置いてるものは、MISATOさんのルーツにまつわるもので、それをコラージュしていくんですね。この衣装も同じようにコラージュするんですか?

 

MISATO はい。これはBiSHの衣装オークションに出品された衣装で、ファンの方が落札して、私は手に入れることができなかったんですよ。そうしたらそのファンの方、とてもパンクで、発送先を事務所にしてくれていたんです。

 

──えーー! すごい! その方は、MISATOさんが欲しがっていたのをわかっていたんでしょうか。

 

MISATO BiSHのルーツを伝えるためにはパンクな衣装がいいと思っていたし、しかもパンクな方から頂いたものだし、だからこの衣装を飾りたいと思ったんです。

 

マイクも重いほど非力だったが、重作業で「筋肉がぼこっと。いまマッチョです」

──もっとも苦労したのは、現在まででどの工程ですか?

 

MISATO まず、コレの名前も分かっていないくらいのレベルで。使ったのも初めてなんですよ。

 

──電動ドライバーでしょうか?

 

MISATO だから最初から苦労だらけです。この大きな作品を、どんな素材を使って作ったらいいんだろうか、ということも分かっていなくて。まずはいろんな方の作品づくりを見るなかで、今こういう大きな立体物を作るとき、発泡スチロールを使うのが主流だと知って。でも私は、もっと原始的なやり方が知りたいと思ったんです。初めての展示作品だから、いちから手をかけたくて。それで辿り着いたのが、ニキ・ド・サンファルというアーティストでした。製作過程の映像の中で彼女は、硬そうな針金や金網を使っていて、「これだ!」と。とはいえ、設計など分からないので、分かる人をお呼びして、最初の軸となる部分の作り方を教えていただき、あとは基本的に自分でやっています。

 

──使ったことがない素材や工具を初めて使い、挑む姿勢、思いきりがありますね。それに、初めてとは思えないほど、金網の曲線がとてもきれいです。

 

MISATO いまのところうまいこといっています。ただ、硬くて結構危ないから、手、傷だらけなんです。手袋もボロボロだし。

 

──ほんとうだ! 引っかき傷が多数ありますね。

 

MISATO この太い針金が普通の力じゃ曲がらなくて、顔の周囲の長さをねじるのに5時間かかります。おかげで、肘の下の筋肉がぼこっと丸くなっていて、いま、マッチョです。

──体力づくりなどしていますか?

 

MISATO いえ、もともと筋肉がなくて、マイクも重たくて持てないくらいでした。でもBiSHの8年間は毎週土日は絶対にライブをやっていたから、自然と体力はついたみたいです。

 

──形づくることのほかに、自宅からルーツにまつわるものを運ぶ作業もあるんですよね。

 

MISATO そうですね、たとえば、ちっちゃい清掃員の子からもらった手紙とかも持ってくるつもりです。私は大人になっても、ちっちゃいときの記憶や好きだったものが、今も同じ軸で残っているんですよ。だからそういう子たちにとっても、将来、私がなにかしらの存在として残るかもしれないと思うと、好きになってもらえたことがすごくうれしいんですよね。そういうのも、ここにコラージュしたいなと思っています。

 

──MISATOさんも幼少期からの”好き”が脈々と続き、いまを形成しているということですね。完成が楽しみです。

 

無類の洋服好き! 100着の服で埋もれた部屋は「電気が隠れて暗いんです」

──アーティストとしては6月30日から活動を開始しましたが、アーティスト写真のコンセプトが「筆と結婚」でした。

 

MISATO あれは、「アートをやります」ということはつまり、「アートと結婚だ」と思って、家族写真のような結婚写真を撮ろうと思ったんです。

 

──最もこだわったのはどんなところですか?

 

MISATO 王冠と、写真の質感です。いわゆる家族写真のような質感にしたくて。あとは、夫を生身の人間じゃなくてマネキンにして、写真の上からペイントしたことです。

 

──王冠はどこで手に入れたんですか?

 

MISATO 以前からお世話になっているスタイリストの服部昌孝さんが、あちこち飛び回って持って来てくださって。古い木箱に入っていました。

──MISATOさんは、物に対する愛情がすごく深いと感じます。特に、月日を経た二度と手に入らないような物に対して。ご自宅にもどんどん集まっているのでは?

 

MISATO そうですね。好きだった物を捨てられないタイプです。実家にも小さいときに使っていたカバンやポーチ、おもちゃが残っているし、今の家には古着がたくさんあって。古着を買い始めたのは7、8年前からですが、古着ってほんとうに一期一会の出会いで。なおかつ、昔の人のこだわりがすごく表れているんですよ。刺繍や、ひとつひとつ異なるビーズやボタンがついていたり。そういうのを見ると作った人の気持ちが伝わってきて、捨てられない気持ちが芽生えてしまうんです。

 

──家にあるもののなかで、思いが強い物はどんなものですか?

 

MISATO そうですね、親戚のおばさんからもらった昔のエルメスのスカーフや、おばあちゃんやおじいちゃんが使っていたハンカチとか。

 

──スカーフは普段の私服でも取り入れたり。

 

MISATO はい、使います。

 

──Instagramにアップしているコーデ、いつもとてもオシャレですよね。普段はどんなふうに服を選んでいますか?

 

MISATO 基本、前日に決めるんですよ。当日の朝に1時間で決める……とかだとすごく困っちゃうので。最近は、洋服を組むだけの遊びみたいな日もあって、それがすっごく楽しいんです。あとは、行く場所や気分に合わせて、派手にいくのかラフにいくのか、などいろいろと選んでいます。

 

──お洋服、家どれくらいありますか?

 

MISATO めっちゃある……100着は絶対ありそう。2段のラックがひとつ、長いラックがひとつ、もうひとつラックがあって。全部に服がぎゅうぎゅうに詰まっていて背が高いので、そのせいで電気が隠れて部屋が暗くなっています。そのくらい、服まみれ。

 

──もはや衣装部屋ですね。

 

MISATO 部屋の3分の1が服ゾーンで、台所に絵の具などを並べています。冷蔵庫を開けるのも一苦労みたいな、足の踏み場もないです。

 

──自宅というか、アトリエですね!

 

MISATO そうかも。寝れればいいや、みたいな。

 

キース・ヘリングとの出会いで世界が一変し「BiSH時代に公募サイトにこっそり応募したり」

──絵を描き始めたのは2019年頃からなんですよね。

 

MISATO はい。小さい頃から図工の授業が好きで、絵を描くことが好きで、BiSHに入ってからも落書きはよくしていましたが、2019年頃に山梨にある中村キース・ヘリング美術館に行き、初めてちゃんと心からアートに触れたんです。キース・ヘリングの作品は、説明文を読む前に自分なりに理解できて。その後に読む説明文が、自分の理解と一致していたときに、意気投合した気持ちになって、パワーがすごかったんですよね。そこからアートが好きになったのと、キース・ヘリングがアクリル絵の具で描いていたので、私もアクリルで描くようになりました。

 

──それまでは、違った目線でアートを鑑賞していたんでしょうか。

 

MISATO それまでは「色合いが好きだな」「このTシャツがあったら欲しいな」「こんなに昔なのに、すごくおしゃれな絵だな」とか、そういう感じで見ていて、描いた人の気持ちや込められた想いに目を向けるようになったのは、キース・ヘリングに出会ってからなんです。

 

──キース・ヘリングの作品には、自然に思いを馳せるようになったんですね。

 

MISATO そうなんです。すごく分かりやすいんですよ。「怒っている」「苦しんでいる」「応援している」とか、子どもでも分かる優しさがすごくいいなと思い、胸を打たれました。

 

──それで絵を描くようになり、どのくらいうペースで描いていましたか?

 

MISATO BiSHの活動の合間に、結構描いていましたね。公募サイトにこっそり応募して、ニューヨークの展示に出してみたり、賞をいただいたり、チャレンジしていました。

 

──こっそりやっていたんですか。メンバーもスタッフも知らずに。

 

MISATO 一応、渡辺(淳之介)さんには「勝手にやります」と伝えたら「好きにやったらいいよ」と言ってくれました。

 

消えゆくストリップ劇場への「アートとして残したい」という深い愛情

──どんなところからインスピレーションを得てますか?

 

MISATO 人と話しているときが多いですね。誰かがなにか発言して、「それ、絵にしたら絶対面白いじゃん」と思いついてメモして、そこから妄想が膨らんでいきます。あとは散歩をしたり、小さいときの記憶を突然思い出したとき、とかですね。ほかには、動物の番組を見ていたとき、ナマケモノの体には虫が100種類以上住んでいると知ったときとか。人間は虫嫌いな人が多いけど、ナマケモノって顔のパーツが結構人間に似ているんですよ。だからお風呂に入れてあげようとおもって、大浴場に浸かっているナマケモノの絵を描いたり。そういう絵を、ノンストップでずっと描いています。6時間ずっと描いていても疲れないし、楽しいし。

 

──描くことで、なにかを昇華しているんでしょうか。

 

MISATO 自分が作ったものの中には、今しか得られない情報、いつかなくなってしまう情報があると思っていて。たとえばギャルの絵を描いていたんですが、ギャルはいつまでこの日本にいるか分からないという不安があって。いてほしいなって思うんですよ、民族のように。そんなふうに「いましかないもの」を作品に残せることが、すごく楽しいんです。しかもそれを、どんな色を使ってもいいし、自分の世界の中で描ける。

 

──消えてしまうものに対する愛が強いんですね。

 

MISATO そうですね。ここ2、3年でストリップ劇場が好きになったのもそうなんですが、昔はストリップ劇場って日本に300軒くらいあったのに、いまは20軒もなくて。どんどん消えていくし、法律で、新しく建てることができないようになっているし。その事実を知り、会えない寂しさと、今知ることができてよかったという気持ちが強くあり、残せるものはアートとして残していきたいなと思っているんです。

 

──ストリップ劇場に通っていらっしゃるんですよね。いちばん好きな劇場はどこですか?

 

MISATO 福岡県北九州市にあるA級小倉劇場です。すごくステキな劇場で、メインステージから伸びた花道の先に円形の回転するステージがあるんですが、そこで踊り子さんがすべてを脱ぎ捨てた瞬間、メインステージ後方のカーテンが開くんです。そうすると、ステージを半円で囲むようになっている座席が鏡に写り、360度観客がいるように見えて。客席から見えない、踊り子さんの体の部位も見えて、ピンクのライトに照らされて……その異空間に、すごく感動しました。

 

──MISATOさんが見た光景が作品に落とし込まれるのを見てみたいです!

 

歴史の資料集で知った春画に大興奮「そういうこと、架空の世界の話だと思っていたんです」

──春画もお好きなんですよね。昔から、秘事に対して興味があったのでしょうか。

 

MISATO はい。幼稚園くらいから興味があり、小学生のとき、お祭りでおっぱいの形をした柔らかいヨーヨーを母にねだって買ってもらったりしていました。
でも、家ではすごく隠されてきたんですよ、エッチなものとか、「見ちゃダメ」と。ドラマで女性が自分を売るシーンがあると、私は興味があるけど親はチャンネルを変えてしまったり。だからなおさら気になっていたところ、歴史の資料集に載っていた春画の本を、先生が「君たちにはまだ早いから言わないけど、春画というものがある」と、黒板に書いたんです。それからもう気になって気になって。それが小6くらいのとき。急いでおうちに帰り、パソコンで「春画」と調べたら、すっごいのがでてきて。それではじめて、大人の裸を知ったんです。

 

──そこで初めて! 小6だと、男女の性について話題にするお友達もいそうですが。

 

MISATO そういうこと、私は架空の世界の話だと思っていたんですよ。「ある」と言われているけど「そんなわけない」と思うタイプの小学生だったんです。
春画を知る前は、百人一首の坊主めくりという遊びが好きでよくやっていたんですが、絵札には着物を着たお姫様やお殿様が登場しますよね。私は呉服屋の娘ということもあり、着物を着ている人たちは、品のある貴族のような方々だと思っていて。そんなときに着物を着た人たちの春画を見たので、すごくびっくりしたと同時に、「この人たちも人間なんだ」と思って、うれしくなったんです。本当の本当の秘密を知ってしまった感覚が、面白くて。

 

──見てはいけないものを見てしまった衝撃とギャップが、より強かったんですね。

 

MISATO そこから妖怪春画を好きになったり。ユニークなものが好きなんです。

 

原点は母の手仕事「母の仕事が終わるまで、人形を縫いながら待っていたんです」

──実家が呉服屋さんなんですね。

 

MISATO はい。ひいおじいちゃんが着物に絵を描く友禅師で、母は美大を卒業していたり、家族全体が美術系が好きでした。母は、私の図工の授業のために、かわいい空き箱や包装紙、リボン、卵のパックなど、いろんなものをとっておいてくれて、図工の授業のときになんでも作れたんです。だから、今の私は母の影響が大きいかもしれないですね。幼稚園から中学校まで、学校で使う袋類はなんでも手作りしてくたし、昔、願いが叶う人形が流行りましたよね?

 

──ブードゥー人形でしょうか?

 

MISATO 買うと1つ500~800円するから「買うならお母さんがもっとかわいいのを作るよ」と作ってくれたり、基本、なんでも作ってくれて。だから私も自然と作ることが好きになりました。

 

──図工の授業で、先生や友達から一目置かれたことなどありそうです。覚えていますか?

 

MISATO えーー、なんだろう。あ、トンボを作ったことがありました。トンボの目が卵のパックで、中に、お母さんがくれた玉虫色のきれいなリボンを詰めて。体はトイレットペーパーの芯で作ったと思います。あと、これも、小3か小4のときに作ったものなんです。

 

──この太陽のお面ですか!? え! すごい……!!

 

MISATO いろいろ取れてしまっていますが、ネックレスを切ってデコレーションしたりして。マニキュアとかも使っていたと思います。

 

──生気に満ちていて、見ていると感動してなんだか泣きそうになります。これも実家から持ってきたんですね。

 

MISATO そうです。明日と明後日でまた帰って、ここにコラージュできる分だけ掘り出してこようかなと思っています。あとこの人形は、両親が共働きで、幼稚園の頃に母の職場で母を待ちながら作っていたものです。お手伝いのおばさんと一緒に、着物の切れ端で作っていました。だから縫い方が荒いんですよ。

 

──ほんとうだ。待っている間の想いが伝わってくるような感覚になります。そういうとき、たいていの子どもはテレビに夢中になると思いますが、そういう選択肢はなかったんですね。

 

MISATO テレビよりもおもちゃで遊ぶほうが好きでした。シルバニアファミリーとか、あと、当時はたまごっちの人生ゲームがどこを探してもないほど人気でしたが、サンタさんがくれたんです。

 

──いいエピソードですね。

 

MISATO それが大好きで毎日のように遊んでいましたが、お留守番は1人なので、5人で遊んでいるように1人で遊んでいました。1人で順番にルーレットを回して、ゴールしたら1人で「やったー!」とか喜んだり。

 

小学生のときは男の子を従え探検隊のリーダーに。昆虫好きの意外なルーツ

──かわいすぎますね。気の合うお友達はいましたか?

 

 

MISATO 近所に同世代の子がいなくて、基本的には1人で遊びつつ、小3、4年の頃は、幼稚園とか低学年の男の子と一緒に遊んでいました。

 

──年下男子とどんな遊びをしていましたか?

 

MISATO 私は虫がすごく好きなんですよ。だからみんなで虫捕りに行ったり、荒れた空き地を探検したり、蟻の巣をほじって卵を回収して持ち帰って育てたり。私は恥ずかしがり屋なんですが、ちっちゃい子たちがいるときは、自分が探検隊のリーダーだと思ってあちこち行っていました。

 

──蟻の卵って育てられるんですね!

 

MISATO 勝手に生まれていました。

 

──ひとつひとつの体験がリアルだからこそ、ルーツとして体に染み付いているんだと感じました。

 

MISATO だからいろんな虫を飼っていて、今回の作品に間に合えば、いままで飼った虫を作れる限り作ってここにコラージュしたいなと思っています。

 

──これまで見て、触って、感じたことが、すべてここに凝縮されるんですね。特に外での体験が反映されている。

 

MISATO ちっちゃい時から外が好きで、今も空を見上げて歩いたりして、普段見えていない看板に気づくみたいなことが多くて。外に出ることは、自分にとってとても大事なことです。そんな、「外」をジャングルに見立てて、ジャングル=カラフルな経験、として、「いろいろな経験を背負ってアートの世界に出てきた私」という意味を込めて作っています。

 

──ああ! それでこう、にょっきりと手と顔が出ているんですね! これまで話をうかがったように、さまざまな事象に影響を受けてきたと思いますが、影響を受けた人間は?

 

MISATO やっぱりキース・ヘリングです。いろいろな出来事を絵にして、人目に触れるよう伝えて、なんでも行動してみるものだ、ということをキース・ヘリングから教わったし、それは優しさでもあるんですよね。今生きてくれていたら、コロナ禍を彼はどう描いてくれたんだろうな、と思ったりします。

 

──キース・ヘリング以前に影響を受けた人はいますか?

 

MISATO BiSHでライブをするうえで、戸川純さんみたいになりたいと思っていました。加入したばかりの頃は、戸川純さんの『蛹化の女』をコンセプトに、衣装にまったく合わないリアルな昆虫のヘアピンをつけて、ライブで叫んだりしていました。

 

──ファンの方がよく、「戸川純を彷彿とさせる」と言っていますもんね。

 

MISATO そのように言ってくださる方もいますね。

 

「いまは知識がないからこそ楽しいことばかり」今後訪れる産みの苦しみにドキドキ!?

──そういう個性が出せるのが、BiSHのステキなところですよね。MISATOさんが衣装をデザインしたこともありますよね。2021年にローソンで発売した「BiSHくじ2021」のメインビジュアルの衣装です。

 

MISATO そうですね。ローソンの由来を調べたら、元々は牛乳屋さんだと知って。BiSHが牛乳屋さんをやるなら、絶対に明るくはないと思って、「山奥に孤立して住んでいる6人組が営む、牛乳屋」をコンセプトにしました。みんなどこかにエスニック柄が入っていたり、不気味な6人組になるように。でも、ハシヤスメ(アツコ)は意外とかわいい服が好きなので、かわいらしいデザインにしたり、頭にもかわいい飾りをつけたりしました。

 

──それぞれの好みを反映しているんですね。

 

MISATO そうですね。みんなが喜んで着てくれそうなものにしました。ハシヤスメが「すごくかわいい!」と言ってくれたのを覚えているし、普段、服に興味がないメンバーも喜んでくれました。「これを着てライブをやりたい」と言ってくれたのがうれしかったです。

 

──人のために作ることと、自分のアドレナリンの赴くままに作ることは、表現にちがいがありますか?

 

MISATO 変わらないです。全部、自分の好きなように作っているので。

 

──いつか、産みの苦しみが訪れるでしょうか。

 

MISATO ありますでしょうねえ。いまは、いろんな物を触ったり、観たり、素材を冒険して作っている最中で、知識がないからこその楽しさを謳歌しています。だから、そうではなくなったときにどんなものを作っているのか……は、ちょっとドキドキしながらも、楽しみでもありますね。

 

──そのうち、日本では手に入らない素材を求めて、世界に探し出しそうな感じがします。

 

MISATO いろいろ旅してみたいです。世界は、見たことがないことしか、ないので。

 

──行きたい場所はありますか?

 

MISATO 両親が新婚旅行で行ったアフリカには行ってみたいです。実家に、マサイ族の置物や写真がたくさん置いてあるんですよ。そこで一緒にお絵かきとかしてみたいです。そこに住む方々の色彩感覚や模様はわたしとはまったくちがうだろうし、一緒に見て楽しみたいです。

 

──最後に、今後の展望を教えてください。

 

MISATO キース・ヘリングが来日したとき、青山の路上にチョーク絵を描いたり、壁画にペイントをしていて。その壁画は今はないのですが、当時壁画があった建物の向かいがワタリウム美術館なので、そこでいつか展示をしたいというが、今の目標です。

 

──きっと叶うと思います。

 

MISATO ありがとうございます。

 

完成作

 

 

【MISATO ANDOが初出展するMEET YOUR ART FESTIVAL】

MEET YOUR ART FESTIVAL 2023「Time to Change」

会期:2023年10月6日(金)〜10月9日(月・祝)
会場:東京・天王洲運河一帯
開催時間:11:00〜20:00(9日〜17:00)
※6日は終日内覧会。マーケットエリアのみ16:00〜21:00
※アートエリアは7日から。

料金:一般 1500円(前売り)、2000 円(当日) / 学生 1000 円(前売り)、1500 円(当日)いずれも要学生証

URL:https://avex.jp/meetyourart/festival/