ヘルスケア
2018/11/6 22:00

「必要とされる」がうれしい――「要介護5」のコラムニスト・神足裕司が語る介護される側のキモチ

来る11月11日は介護の日。

 

介護についての理解と認識を深め、その啓発を重点的に実施する日として、厚生労働省が2008年から制定した。当日は全国各地で介護にまつわるさまざまなイベントが予定されている。高齢化により介護が必要な人が年々増加している今、介護はとても身近なもので、けっして他人事ではない。

 

高齢者ばかりではない、バリバリの働き盛りでも、ある日突然、介護される側になってしまうことだってある。人気コラムニストの神足裕司さんも仕事帰りの飛行機内で、くも膜下出血で倒れ、助かったものの、左半身不随、高次脳機能障害で突然“要介護5”になってしまったのだ。

 

 

要介護5は7段階のレベルでいちばん重い

要介護認定は、どのくらい介護サービスを行う必要があるかを判断する基準で、比較的に軽い要支援1~2から、要介護1~5までの7段階のレベルがある。要介護5は、自分ひとりではほぼ何もできないという状態で、食事、排泄、入浴など日常生活の全般での介助が必要とされる。

 

コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』(神足裕司・著/朝日新聞出版・刊)は、動けない、喋れない身体になりながらも、唯一残された“書く”力で、介護される日々を綴った新聞連載をまとめた一冊だ。このコラムは現在も続いていて、介護される多くの人々、そして介護する家族たちに勇気を与えている。

 

神足裕司といえば、80年代のベストセラーで渡辺和博との共著『金魂巻』、90年代には漫画家の西原理恵子と共に連載した『恨ミシュラン』で有名なコラムニスト。鋭い観察力、笑わせてくれる文章で多くの読者の心を掴んできた。

 

介護にまつわる本は山のようにあるが、その大半は介護する側の話が多く、介護されている人が日々何を感じ、どう思っているのかはなかなか伝わってこない。要介護5になりながらも名コラムニストにペンを持つ右手の力を残したのは、神様がそれらを世に伝えるために彼に与えた使命なのかもしれない。

 

本人もまえがきでこう綴っている。

 

これが今の自分の生きている証しである。大げさではない。ボクは書くことによって自分の精神を保つこともできているし社会ともつながっていると実感もする。今のボクだからできること、わかることをお伝えできたら本当にうれしい。

(『コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』から引用)

 

 

車椅子でも行動範囲は広げられる

要介護になると家にこもってしまうケースが多いのではないだろうか? 私の従姉妹も40代で脳梗塞を患い左半身に麻痺が残った。杖を持てばゆっくりだが歩けるし、右手は自由に使え、喋ることも食べることも問題はないのだけれど、家で悶々と過ごす日が続いている。なんとか外にもっと出て行けるように、本書を送って読んでもらおうと思っているところだ。

 

神足さんは要介護5になった今も、スーツを着てトレードマークの蝶ネクタイをし、車椅子に乗って積極的に取材活動を続けている。うまく話せないのであらかじめ質問事項を文章にして渡し、答えてもらうカタチだという。仕事ばかりではない。おいしいものが食べたければ外食もし、車椅子でもOKなお店の情報を発信し、また、新幹線に乗って快適に旅行する方法なども教えてくれている。

 

そんな神足さんの元には読者からの手紙が届く。

 

こんなボクでも感想や励ましの手紙をいただくことがある。「ようやく意識が戻った母の気持ちを聞いているよう」とか「介護に限界を感じていたがもう少し頑張れます」とか。その文面を読んで、いつも思う。「ああ、書いていて良かった」と。一人の心の中に、何かを届けられている。そこにボクが生きている意味を感じる。

(『コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』から引用)

 

 

神足家の明るい在宅介護

自宅で面倒をみるのか、あるいは、介護施設に入居させるのか? 介護が必要な家族がでたときは誰もが悩むだろう。特に在宅介護は終わりのない戦いで、虐待につながりかねないシビアな一面もある。

 

が、在宅介護を選んだ神足家にはいつも明るい風が吹いているそうだ。家族構成は妻と長男長女。元編集者の奥様は、車椅子を押して取材に同行し、また、神足さんの手書きの原稿をパソコンで清書するのも彼女の役目、まさに二人三脚だ。日常生活のオムツ交換に着替え、入浴の補助、食事の世話などは長男と長女も手伝っているそうだ。その負担は相当に大きいと思うが、全員が大らかで明るいのだという。

 

本書の巻末に収録された神足夫妻のインタビュー記事にはこんなエピソードが紹介されている。

 

夫 あるとき、ボクが車いすから落っこちちゃって、明子だけじゃ元に戻せなくなった。どうにもならなくなって、ボクは床に寝転がったまま、マグロ状態。

妻 ちょうど隣の家の新築工事の作業をする人が窓の外を歩いている気配がして「あの人に頼んだらどうだろう……」って。

夫 明子が真剣に言うから、二人でゲラゲラと笑いだしちゃった(笑)。

妻 結局、私の母が帰ってきて、ちょっと支えてもらったら戻れたんですけど、私はもともとのんきな性格なのかなあ。

(『コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』から引用)

 

 

「必要とされる」がうれしい

介護される側のキモチとして、神足さんはこう言っている。どんな些細なことでもいいから自分が必要とされているということは、生きている上で大切なことだと。逆に、思うようにならない身体を抱え、やっかいものだと感じたらいたたまれないキモチになるとも。

 

妻が部屋に入ってきて「パパ、今日は疲れた。肩揉んで」といって背中を向けるので、動く右手だけで肩を揉む。力もあまり入らないのだけれど、しばらく揉んで「パパ、ありがとう」と言われれば変な話だが嬉しいのだ。

娘がまたまた部屋に入ってきて「パパ、どう思う?」なんて一方的に就活の話をして、こちらの意見も聞かずに出て行ったとしても、自分がそこにいる意味があるようで嬉しい。元気な時は一度も考えたことは無かったことだ。

(『コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日』から引用)

 

たとえ、家族が要介護になったとしても、普通に接する、そこがポイントなのかもしれない。

 

家族のほかには、往診の医師、ケアマネ、ヘルパー、理学療法士、言語聴覚士、ドライバーなども神足さんを支えている。その”チーム神足”は、国が目指す在宅医療介護がとてもうまくいっているケースのようだ。是非、参考にしたい。

 

【書籍紹介】

コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日

著者:神足裕司
発行:朝日新聞出版

2011年9月3日、仕事先の広島から東京に戻る飛行機の中で、コータリさんは倒れた。くも膜下出血だった。2度にわたる手術の末、奇跡的に一命は取りとめたものの、左半身には麻痺が残った。これまでの暮らしは一変し、リハビリと車椅子の生活が始まり6年がたった。要介護の立場から見えてくる世の中のリアルとはー。

Amazonストアで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る

 

 

TAG
SHARE ON