ライフスタイル
2017/10/31 16:00

白銀の世界で繰り広げられる、熱い、熱い「タンチョウのダンス」って知ってる?

ここ数週間で一気に寒くなり、街中でみかける服装も一変してきました。寒さは辛いですが、この先に待ち受ける美しい冬の光景に思いをはせてみるのもいいのでは? 今回は自然科学系の書籍や雑誌の編集、執筆を主に手掛ける筆者が、北海道を代表する鳥・タンチョウヅルの歴史や北海道での観賞スポットをガッツリ紹介します。

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「鶴は千年」と言われるように、ツルは昔から長寿や吉祥の象徴とされ、また『鶴の恩返し』などの昔話に登場する鳥としても親しまれてきました。日本で見られるツルのなかでも、最も高貴とされてきたのがタンチョウ(丹頂鶴)です。全身が白く、首と翼の一部だけが黒い、はっきりとした色彩。頭の上が丹色(にいろ=赤土のような色のこと)をしていることが、名前の由来。世界でも北東アジアからロシア南東部の一部にしか分布していませんが、日本では北海道東部に周年生息し、「北海道の鳥」にもなっています。

 

実はこのタンチョウ、いまでこそ北海道でしか見られませんが、昔は日本各地で見られたといいます。江戸時代には江戸(東京)にも飛来していて、そのようすは幕末の浮世絵師、歌川広重の「名所江戸百景」の1枚「蓑輪金杉三河しま」にも描かれています。江戸時代のツルは、将軍や一部の大名だけが捕ることを許された「ご禁制の鳥」であり、それに違反した者は罰せられました。捕らえたツルは上流階級での贈答品として扱われ、将軍が鷹狩りで捕らえたツルは、天皇に献上されたそう。もちろん、タンチョウが最上級の品。

 

こうして大切にされてきたタンチョウも、明治時代になると状況が変わります。狩猟を禁止する決まりがなくなり、生息地の湿地が開発されるようになると、やがて日本の野山からタンチョウの姿は消えていきました。そして、1924年(大正13年)に釧路湿原で再発見されるまで、一時は絶滅したとさえ考えられていました。その後、手厚い保護活動が行われ、1967年には国の特別天然記念物に指定されるなどした結果、タンチョウは少しずつ数を増やしていきました。現在では約1500羽が生息すると考えられていますが、依然として環境省版レッドリストの絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定された、稀少な鳥であることは変わりありません。

 

そんなタンチョウを、真冬の北海道で、しかも間近に見られる場所があります。それが給餌場。ここでは、冬場の餌不足でタンチョウが困らないように、保護活動の一環として給餌を行っています。なかでも有名なのが、釧路市にある阿寒国際ツルセンター「グルス」、そしてお隣の鶴居村にある「鶴見台」と「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」の3か所。給餌は、毎年11月から3月下旬まで行われますが、これらの給餌場では多いときには数百羽ものタンチョウが集まり、日中はその周りで過ごしています。

 

給餌場でタンチョウを見る際に、注目したいポイントがあります。それは、タンチョウの動き。給餌場に集まるタンチョウは、春の繁殖期に向けてつがいの相手を見つけますが、その際にいくつかの特徴的な動作を繰り返し行います。2羽が向かい合って翼を広げ、首を曲げて前屈みになったり、首を伸ばして体を伸び上がらせたりする動作。向かい合った2羽のうちの片方が、首を伸ばして体をやや起こした姿勢で飛び上がる動作。2羽が首を伸ばして上を向きながら鳴き交わす動作……。これら一連の動作はオスとメス(といっても見た目では区別できませんが)の求愛行動で、その動きの優雅さから、「タンチョウの舞」あるいは「タンチョウのダンス」と呼ばれています。釧路市や鶴居村の冬は、日中でも氷点下になることが多いほどの寒さですが、タンチョウたちは日々、熱い、熱い、恋の舞踏会を繰り広げています。

 

文/安延尚文さん…自然科学系の書籍や雑誌の編集、執筆を主に手掛けています。

写真/samsam / PIXTA

※本記事は航空会社・バニラエアの機内誌「バニラプレス 2017年11-2018年2月号」に掲載された内容の完全版となります