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2016/4/23 16:00

タイムスリップ東京グルメ! 昭和5年に飛ばされたら絶対に行きたい、新聞記者オススメの激ウマ店5選!

買えない本の意味ない(!?)書評
~国会図書館デジタルコレクションで見つけた素晴らしき一冊~ 第5回

 

4月、5月は観光シーズン。人気スポットや海外にパーッと行くのもいいが、近場の街をフラッと散歩して、評判のお店で食事をするのもまた贅沢な時間の使い方。というわけで今回は、昔のレストランガイド・グルメ本にスポットを当ててみたい。20世紀前半の東京ではどんなお店が流行っていたのか? 今でも受け継がれている絶品料理はあるのか?

 

著作権切れの本が閲覧できる国会図書館デジタルコレクションの検索窓に「食道楽」「名物」「洋食」などと入れてみた。「食行脚. 東京の巻」(大正14年)、「三府及近郊名所名物案内」(大正7年)、「三都喰べある記」(昭和7年)と、いくつかの本が引っかかったが、なかでも新聞記者たちが遠慮ない意見を交わす「東京名物食べある記」(昭和5年)が、小気味よく面白かった。かつての東京五大新聞のひとつ「時事新報」に連載されていたコーナーを約2年分まとめたもので、当時好評を博したようだ。

東京名物食べある記01

「東京名物食べある記」
時事新報家庭部 編

 

昭和5年というと関東大震災から7年後。区画整理された下町にできた新たな店や再建された老舗、銀座のモダンな喫茶店など、東京の100軒近くの飲食店がイラストつきの各2~3ページでレポートされている。

 

不二家に千疋屋、高島屋の食堂と、今でも名の通っているところもあれば、神社の掛け茶屋の甘味といったB級グルメまで守備範囲も広い。記者3~4人での会話も弾み、仮名遣いを少し直せば現代でも十分読み物として通用する。

 

ここでは全部は紹介できないので、特に評価が高く、美味しそうだったお店を5店セレクト。もし、あなたが昭和5年の東京にタイムスリップしてしまったら、ぜひこの記事を参考に食べ歩いてほしい。

 

銀座資生堂
約110年の歴史を持ち、現在でも銀座のシンボル的存在として名高い資生堂パーラー。昭和初期にはすでにソーダ水やアイスクリームが当たり、人気店だった。

「館内の装飾、なるほど高雅優美にして、モダン・マダムたちの好尚に適している。ドア・ボーイ然たる紅顔の(?)美少年によって、うやうやしくもさまざまなポットをのせたコーヒーのセットが運ばれる」
「まず昭和銀座街モダン名物50銭のコーヒーを知らずして銀座を語るなかれか」

50銭の本格コーヒーは、その値段の高さも話題になったそうだ。ただし、濃厚なコーヒーは記者面々の舌には合わず、胃弱のH氏は「湯で薄めて飲む始末」だったとか。ちなみに、現在の資生堂パーラーのオリジナルブレンドコーヒーは980円。

東京名物食べある記02銀座資生堂

 

人形町かね萬
東京で最初にふぐ料理の認可を受けたという人形町の老舗・かね萬も登場。このときは定番のトラフグではなく、下町の味である庶民的なショウサイフグの「さい鍋」が看板メニューだった。恐る恐る口に運ぶ記者たちが微笑ましい。

「まずお鍋の方から煮えたらしい一切れをMがそうっと挟み上げる。一口に頬張ると『ウフフウマイ』という。しばらく見計らったMの一命、別状なしと見てとったSが続いて箸をつける。久夫『かくなる上は』と観念したらしく、思い入れて一切を口に入れる。『なあんだうまいや』と変なほめ方をする」
「とろとろに煮えてきた皮のところなどは、口に入れるととろりと溶けてしまうように美味い」

今ではさい鍋を出しているお店も少なく、トラフグ鍋よりも貴重で、幻の鍋と呼ばれることもある。ちなみにこのときは40銭。資生堂のコーヒーより安かった。

東京名物食べある記03かねまん

 

田楽餅 福田屋
上野の黒門町(旧町名)あたりにあった福田屋。ここは店構えはいまいちパッとしないが、東京で一番うまいといわれる田楽餅があったという。

「『でんがく餅を下さい』『ヘエーイ』小女の応答、やがて餅の焼ける匂い、味噌の香り。『お待ちどおさま』一皿六個のでんがく餅。……餅の大きさ直径一寸五分くらい、味噌の味は甘辛で、餅の粘着力と味噌の匂いと味とがからんで素晴らしくうまいものである」

東京ではほとんど見かけなくなった田楽餅。かなり香ばしくて美味しそうだ。五平餅とはまた違うものなのだろうか。

東京名物食べある記04田楽餅

 

モナミ
銀座の喫茶レストラン・モナミは、作家の岡本かの子が名付け親で、昭和初期には新宿と東中野にも支店があったという文人たちに愛された店。東中野のモナミでは吉行淳之介の芥川賞受賞パーティーも行われたそうだ。ただし、今はもうなくなってしまった。

「第一番に久夫のトウモロコシシチウが運ばれてくる。久夫『うまいうまい』でペロリと平らげる。……M『蟹ニウバーグ、使っている材料もなかなかよい。銀座で食わせる洋食としては上々の部である』。H『セロリだとか、チーズ、トーストなど食わせるのは嬉しいね。チーズも相当によいし、パンもうまくトーストしてあるが量の割に60銭はいいお値段だ』」

家具装飾すべて船の食堂そのままという洒落たお店。M氏が食べた謎の料理「蟹ニウバーグ」は、調べてもよくわからなかった。蟹のハンバーグか? 蟹クリームコロッケの亜種か? これはタイムスリップしてぜひ食べてみたい。

 

八ツ目鰻
浅草に現在も続く八ツ目鰻本舗は、日本で唯一となる八ツ目鰻の専門店。客車便で新潟から生きた八ツ目鰻を運び、吉原に近いこともあって「精がつく」と口コミで広まった。新聞記者諸氏は味噌汁、鍋、蒲焼きを注文した。

「(肝が入った味噌汁は)勇気を鼓して一吸い、アラと思ったほどのうまさだった。第一コクがある、第二今までの味覚神経がぶつかったことのないような濃厚な、そして日本的な味である。大げさにいえば東洋的神秘さを持った醍醐味である」
「(鍋は)ブッキリになった身が皿の上に並べて運ばれた。真っ赤な血が毒々しい皮のほうを裏にしたのは例の八ツ目を気にする人が多いからであろう。……思ったより軽い味で、ウナギよりクドくなく、ハモよりは濃厚だ。身は割合にしまっていて皮はシコシコして歯ごたえがある」。

蒲焼きは、黙って食べさせられたら味も姿もウナギと見分けがつかない……と書かれているが、近年のネットの口コミを見るとそうでもないような……。浅草に行ったら一度は挑戦するべきか。

 

5店紹介してきたが、最後にオマケとして女給さんコレクション1930。この本には、百貨店の食堂で働く接客係に関する記述も比較的多い。衣装はどうか、愛想はどうか……。このあたりもレストラン・食堂の評価ポイントだったようだ。

高島屋食堂

「久『女給さんの服装もいいじゃアありませんか』M『エプロンもなかなか洒落ている』S『どこまでも少女らしい感じでいい』」

東京名物食べある記05高島屋食堂

 

上野松坂屋

「女給の服装は平凡、態度サーヴィスは普通、注文の品を持ってくるときに、洋食のライスの皿に指を入れてきたのは気になった」

東京名物食べある記06上野松坂屋

 

新宿三越分店

「目の早い久夫が女給のエプロンの後ろに垂れた紐の端を女給のそれぞれが……まるめてみたり、バンドに挟んでみたりしているのを気にする。……『エプロンをたびたび洗濯に出すものですから、ボタンが取れてしまうのです』と女給さん言語明晰、はきはきした態度で答える」

東京名物食べある記07新宿三越分店

 

まだチェーン店という概念は浸透しておらず、店主が独自に趣向を凝らし、客とコミュニケーションを取りながら商売していた時代。昭和5年の「東京名物食べある記」は、人間くささを感じるグルメガイドだった。