わたしは、ブログを始めて1年と2カ月になる。
思い返してみれば、この1年ちょっとはこれまで経験した中で一番濃い時間だった。
人生で初めて挑戦することばかりだったからだ。
10年勤務した国家公務員を退職し、ラーメンベンチャーに転職した。
公務員として出世することがすべてだと思ってやってきたから、価値観の変化で生まれ変わったような気がした。
転職をきっかけにブログを始めた。
Twitterも始めた。
店舗異動で、新店のオープンに携わった。
ブログが多くの人に読んでもらえるようになって、ネットで「つながり」を感じることができるようになった。
子供が習い事を始めた。おむつが取れ、おねしょをたまにしかしなくなった。
転職したばかりだけど、専業ライターを目指すと決めた(楽しみながら、全力でがんばってます!)。
挙げればきりがないくらいの濃さ。
でもこれ全部、ブログやTwitterの影響がかなり大きくて、ネットの中でのもう一人のわたし、「めんおう」が元気をもらったり、勉強してきてくれたりしたおかげなんですよね。
これがどういうことか。
それをこの記事では紹介したい。
この記事を読めば、きっとあなたも、ネットからもらったものすべてを力に変えて、リアルで前へ進めるようになるはずだから。
記録のためのブログが、成長させてくれる場所になった
わたしがブログを始めたきっかけは、転職だった。
大学卒業後から10年務めた国家公務員を辞め、ラーメンベンチャーに転職したのである。
省内で出世するために、家族との時間を犠牲にし、迷惑をかけながら10年間走り続けてきた。
転職を決める一年前くらいから、仕事に、出世のための試験勉強に、いつもどこか自分を偽っているような感覚で、吐き気を覚えることが増えていた。
おかしいと思うことをおかしいと言えず、上の部署の決定の根拠を後付けで揃えるような仕事ばかりに時間を、労力を使う。正しいと信じてきた出世は、「さらに大きなそういう仕事」をするようになるための道でしかないことにも気づいてしまった。
「めんおうさんはエリートで・・・」というようなことを言われると、空っぽの胸がしぼみそうで痛かった。
国家の省庁の仕事だから、そういう仕事でも絶対に必要なのはわかっていた。しかし、どうしても自分には合わなかったのである。わがままなのかな?
このような気持ちがストレスになって、転職することにした。
さらっと「転職することになった」と書いたけれど、歯を食いしばりながら涙を流したこともあった。
10年間がんばってきた自分の間違いを認めるのは、そうそう簡単なことではなかったのである。
限界は近かった。
30歳にもなる男が涙するような状態は、「普通」ではなかったのである。
妻の「ムリしなくていいよ」という言葉に助けられた。
どれだけ肩に力が入っていたのだろうか。
仕事を辞めてもいいんだ、と思った瞬間、涙は乾き、視野は広がり、肩は軽く、背中には翼が生え、足取りも軽くなったのを今でも覚えている。
わたしがブログを始めたのは、まさにその頃だった。
理由は、転職で収入が4割近く減ったからだ。(悪いことしたわけじゃないのに、4割も給料が減るってどういうことよ!?)それまで、「ブログとかいうのがある」ということくらいは聞き知っていたけれど、
「日記を晒して何が楽しいの?」
という違和感しかなかった。
むしろ、「オレの充実した生活見て、ねえ、見て」というイメージすらあって、いい印象はなかった。そんなわたしだったけれど、背に腹は代えられない。少しでも収入を増やせる可能性があるなら、挑戦してみようと思ったのである。
少し調べてみると、いろいろなことが分かった。
- ブログで稼ぐためには、広告を貼らなければならない。
- クリックされるだけで収益の発生するものと、広告から商品が買われた時に収益が発生する広告がある。
- 雑記ブログと特化ブログというものがある。
- ブログで月100万円も稼ぐ人がいる。
知らないことばかりで、こんな「ツール」があったのかと新たな可能性に胸が躍ったのをいまだに覚えている。
ITに詳しいわけでもなく、何か専門的な知識があるわけでもなかったわたしは、だれでも簡単に始められ、続けやすいと言われている「はてなブログ」で、「めんおうブログ」という雑記ブログを始めることにした。
初めてのブログ。何を投稿してもいい。白い画面に何を書いてもいい。しかし不思議なことに、自由に書いていいと言われると何を書いていいかわからなくなるのだった。
もう今では最初の記事に何を書いたのかは覚えていないけれど、仕事とか生き方のようなことを書いたはずである。家族もいるし、仕事を変えるなど考えたこともなかったわたしにとって転職は、人生が変わるくらいの大きな決断で、その分思い入れもあったからだ。(実際変わってます笑)
「少ない給料を少しでもカバーできればいい。でも、日記を晒して何が楽しいの?」
という下心と違和感の混じった後ろ向きな気持ちで始めたブログだったけれど、そんな気持ちはすぐにどこかへ消えていった。何を書いていても、書くことに夢中になれたのである。
転職する前1か月は、有給休暇の消化でとにかく時間があったし、その時間をすべてブログに費やし、転職の経験から学んだことを書きなぐった。
転職準備、転職活動のコツはもちろん、生き方、働き方、親の在り方というような哲学的なことまで。
相当たまっていたのだと思う。
転職してからは、ブログに使える自由な時間は少なくなったけれど、新しい職場で経験したことや感じたことを書きなぐっていた。ブログに書かなければ、その日経験したことや気持ちがどこかへ行ってしまうような気がして仕方なかったからだ。だから頭に残っているうちに、胸から消えていかないうちに捕まえてブログに刻もうと、とにかくキーボードを叩いた。
新しい仕事は、最高の仲間に恵まれたし、お客さんが喜ぶ姿を目の前で見ることができてとても楽しく始めることができた。前職での経験やプライドは捨て、一生懸命やった甲斐あって、バイトの子から頼られるようにもなり毎日出勤するのが楽しみになった。
しかしその一方で、悔しいこともあった。
この記事は「省時代の元同僚が、店に来て騒いで帰っていった」ことに対して、悔しさと悲しさの混ざった複雑な感情が湧きあがって、どうしようもなかったことを記録したもの。
そのときの気持ちが消えないうちに記事にしたおかげで、1年経った今でもかなり鮮明に覚えているし、記事を読めば心臓の鼓動が速まり、頭が熱くなってくる。
苦しいできごとだったけれど、記録すること自体は楽しかったし、経験や知識がとこかへ飛んで行ってしまわないようにどうしても記録しておきたかった。
だからこそ、苦しいことでも毎日記事を投稿することができたのである。
転職後の日常生活をブログに記録しているうちに、日常生活を記録するためのブログだったけれど、ブログに明るいことを書くために前向きに生きようと思うことが増えていることに気づいた。
これは最初は無意識だったけれど、次第に意識するようになった。
「暗い話ばかり書きたくない」
「日常生活で、価値のないものにも価値を見出したい」
「身の周りのものに感謝して生きていきたい」
ブログを始めるまで、このような気持ちを持ったことはなかった。
ブログは、日常生活を記録する印刷機ではなくなった。ブログの方からやってきて、わたしを成長させてくれる場所になったのである。
記録と発信にはブログ収益よりも、ずっと大きな価値がある
記録するために始めたブログ。
始めたばかりのころは、何を書いていても書くのがとにかく楽しかったし、転職したばかりで感情の波も激しく、書き残しておきたいことばかりだった。
しかしブログを始めて半年もすると、記録よりも発信するという意味合いが強くなっていった。わたしが書くものは、オピニオン系記事と言われる自己の主張を書いたものが多くなっていたし、日記を書くときも何かしら言いたいことを表現していたのである。
その一番の理由は、人に読まれる楽しさを知ったからであった。
読みに来てくれる読者さんは1000人を超えていたし、ニュースアプリ「スマートニュース」(3500万ダウンロード以上を記録しているそうです)に掲載されるようにもなっていた。
(雑記ブロガーに向けて発信した記事の一例)
元公務員、ただのラーメン店従業員の頭の中を文字にしたものを一日数千、多い日は数万の人が読みに来てくれるのである。
このような経験は、ブログを始めたばかりのころに1PVがついたときの感動と同じだった。
自分の書いたものが人に読まれる、ソワソワともワクワクとも言える不思議な感覚。
また、「めんおうさんの記事面白かったです」、「めんおうさんに勇気もらいました」というコメントをいただくことも増えた。
このように、自分が考えていることが理解してもらえたり、人の背中を押したりという体験は、人の役に立てたことを実感できるもので「自分も人に勇気を与えられる」という自信につながった。
わたしのようなどこにでもいる人間が書いた文章が、人を笑顔にしたり、共感させたり、人に勇気を与えたりすることがあるということ。
そう、これはだれにでもやれる可能性のあることだったのである。
記録で自分が成長でき、発信で人の役に立てるブログ。
ブログ収益というものはほとんど頭にはなくなってしまったけれど、それよりもずっと大きな価値のあるものがそこにあったのである。
ネットがあるからリアルでがんばれる
ここまで書いてきたように、わたしのブログとの付き合い方は1年間で記録から、発信に変化してきた。
そして記録と発信は、ブログ収益よりも、ずっと大きな価値があることに気づくこともできた。
このような中、最近また大きなできごとがあった。
それは、わたしが専業ライターを目指すようになったことだ。
気づくと、仕事中もブログやTwitterのことを考えてしまうことが多くなっていた。それほど書くこと、人に伝えることが好きになってしまったということである。
よくないのは百も承知だけれど、考えてしまうものは仕方がない。
また、今の働き方への違和感も感じるようになっていた。転職前のリサーチやイメージアップが甘かったと言わざるを得ないけれど、家族と過ごせる時間が短いことが一番大きい。
飲食業には長期休暇はもちろん、祝日の休みはなく、年70日程度しか休みがない。
仕事自体は楽しくても、これが自分と家族の幸せだとは思えなくなってしまったのである。
職場の仲間には、家族のコントロールもめんおうさんの仕事だよ、というようなことを言われる。
しかし、「どうコントロールしても家族との過ごせる時間が短い」ということ。
そして、「仕事が楽しいことが、そのまま幸せに直結しない」という根本問題はクリアできない。
今の生活の延長線上に、理想のライフスタイルがないのであれば、進む方向を変えるしかない。
どれほどがんばっても、どこまでいっても納得できない結果しかない仕事を続けるよりも、大好きな「書くこと」「伝えること」を仕事にして、理想のライフスタイルを得られるように挑戦したいと思うようになったのである。
これを確信し、行動に変えるきっかけをくれたのは、とっとこランサー(@Tottokolancer)さんのブログだった。そして専業ライターを目指すことを発信すると、ブログやTwitterでつながりのある人から応援メッセージをいただいた。
リアルでは、顔も名前も知らない人。
ネットを通して、アイコンとその人の人柄らしきものしか知らない人から。
なんだかもう、感激しかない。
こういった経験から思うのは、ネットとリアルの境目がなくなって来たなということ。
リアルで仕事をしているときにもネットのことを考えている自分がいる。
そればかりではない。
ブログがきっかけで専業ライターを目指すようになった。
ブログやTwitterの仲間から応援をいただき、くじけそうになった時も歯を食いしばってがんばっている。
リアルでおもしろいことを見つけたら、ブログに書こうとしている自分。
ブログを始める前よりも繊細な感覚や、人とは違う角度で物事を見ようとしている自分。
家族と過ごす時間を大切にしたいと思って、専業ライターを目指すようになった自分。
これは全部、ネットから出てきた「めんおう」が、リアルの自分の中に入ってきている状態。
リアルなのは、自分なのか「めんおう」なのか。「めんおう」は自分であり、自分は「めんおう」だし、ネットはリアルだし、リアルはネットである。
1年前までは、ネットもブログも「ツール」に過ぎなかった。
それがいつしか、パソコンやスマホの前では、ネットとリアルが交錯するようになった。そして今では、いつでもどこでもネットとリアルの境目がなくなり、自分と「めんおう」は一緒になったのである。
もう分ける必要すらないのかもしれない。
ネットで元気をもらい、リアルでがんばるのが自分でも「めんおう」でもいいじゃないか。
自分も「めんおう」としてネットで人に勇気を与えたり、人を笑顔にしたり。
そこに自分と「めんおう」の区別はいらない。
わたしは、「めんおう」がネットでもらってきた元気、応援メッセージ、お叱りの言葉、他の分野でがんばっている人の姿のすべてを力に変えて、前に進んでいく。
そして、いただいた分の元気と勇気を「めんおう」と一緒にネットで与えていく。
ネットがあるからリアルでがんばれる。
多くの人にとって、ネットとはこういうものであっていいと思う。
【筆者プロフィール】
めんおう
レシピ本とか出しちゃってます。ライターやったりしてます。「主婦A子のレシピ」っていうレシピサイトの運営なんかもやっちゃってます。料理研究家って言っちゃってます。
めんおうブログ
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