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2020/5/19 21:30

新型コロナウイルス・老猫・私——「足立 紳 後ろ向きで進む」

結婚18年。妻には殴られ罵られ、二人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(9/11から新宿ピカデリー他全国公開予定)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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2020年3月10日

今年は新しいことを二つやる予定で一つは演劇、もう一つが高校教師だ。(あ、そしてこの日記もだ)。演劇は6月にやる予定で、高校は4月から授業が始まる。高校教師、良い響きだ。今日はその打ち合わせで都内のとある都立高校へ妻と行った。

 

学校は休校中で当然だがひっそりとしていた。でも、先生たちは皆さん出勤されており様々な対応に追われているようだ。私が受け持つ授業は一応脚本だが、その学校は映像系や芸術系の学校ではないので、脚本家を目指している子などいないだろう。今まで脚本学校や映像系の学校で講師めいたことをしたことはあったが、ごく普通の高校で何かを教えるという機会は初めてのことだ。今後の人生で高校生と週に一度でも話をしたりする機会はほぼあり得ないだろうと思い、講師をさせていただくことにしたのだ。

 

ただし、私は一人では何もできない人間なのでこの仕事も妻と一緒にやらせていただくことにした。くれぐれも妻に付き添ってもらって来ているオッサンに見えないようにしなければならないが、もしかしたら校長先生にはすでにそう思われているかもしれない。

 

3月17日

朝、小2の息子を学童保育所に送っていく。その後、喫茶店で6月にやる演劇のプロットを書く。元女優の妻とかつて一瞬売れたが今はあまり仕事のない映画監督の夫が離婚する話だ。「マリッジ・ストーリー」にセックスレスを絡めたような話になる予定だ。

 

午後からテレビドラマの打ち合わせに行くので、プロットの残りを妻に頭を下げて書いてもらう。たまにこちらが思いもしないアイデアが出てくることがあるから妻にお願いすることはたびたびある。それが原因でケンカになることもあるのだが。

 

打ち合わせに行ったテレビドラマのプロデューサーは私の代表作と言っていいテレビドラマ(テレビはぜんぶで3本くらいしか書いてないが)をプロデュースしてくださった方だ。ようやくまたご一緒できることが個人的にとてもうれしく、でも期待を裏切ってしまったらどうしようという不安のほうが勝る後ろ向き志向はいつものことだ。

 

今回はまだ企画が決まっているわけでなく、ディレクターの方も含めて3人でどんなことをやろうかとウダウダと話し、とりあえず各々が宿題を持ち帰って後日また会うことにして食事に行った。現在放映されているテレビドラマの話などがいろいろと出たが、どれも見ておらずついていけない。映画館や配信も含めてこうも作品が多いと、もう私など溺れる前から諦めて見てもいない。それではダメだと百も承知なのだが。

 

夜、家に戻ると、妻のプロットがあがっていた。一読してあまりの酷さに頭に血がのぼる。妻は素人なのだから仕方がないと言えばないのだが、こちらはやはり期待してしまう。しかも、執筆をお願いするときは土下座せんばかりに頭を下げているのだ。叩き起こして怒りをぶつけたい衝動をグッとこらえて(そんなことをしても百倍返しがくるだけだからしないが)、風呂に入りながら「日本の闇」とかいうコンビニマンガを読んで怒りを鎮めた。

 

3月19日

息子を学童保育所に送り出し、演劇のプロットを書きに喫茶店に行く。先日、妻がケツまで書いてくれたプロットをほぼ全面的に直す。直していると、あの野郎、手を抜きやがってとまた怒りが湧いてくる。こういうとき、頼んだ俺が悪かったとは私は絶対に思わない。素人とはいえ微塵も実力を発揮できなかった妻が悪いのだ。

 

その後、ムシャクシャしながらも妻と合流して近所の児童養護施設へと行く。ここに住んでいる小学2年生で支援学級に通っているA君を学校に送るというボランティアを妻としていたのだが、A君は3年生になったら一人で登校することになっており、この春休みに入るまでがボランティア期間となっていた。のだが、このたびの休校措置で急遽終了となってしまったので、曜日ごとに送りをしていた人たちと集まってA君に会いに行ったのだ。

 

A君はスムーズに学校に行ける日もあれば、走る電車を何台も見たがったりして学校にたどり着くのに時間のかかる日もあった。私は自分の虫の居所が悪いと、思うように動いてくれないA君にイライラしてしまうこともあり、いかに自分が自分のことしか考えられない人間かということを痛感させられた。自分のそういう部分を少しでも克服したいとか、何か良いことをしていれば少しでも見返りなどあるかもしれないという邪な考えから始めたボランティアだったが、A君のことをとてもかわいいと思っていたのも本当だ。いつかまた違った形で会おうねと言って別れた。

 

3月25日

娘の小学校の縮小した卒業式に行く。3月2日から始まった休校措置で、たまの短時間登校日をのぞいてあまり友達とも会えていない彼らは友達と会えることがやはり心底うれしそうだ。卒業式は余分な挨拶がたくさんカットされていて良かったが、毎年卒業生が卒業証書を校長先生から手渡される時に一人一人述べる「決意の言葉」というのもカットされていてそれはちょっと残念だった。

 

式後、卒業式の看板のところに写真を撮るための長蛇の列が出てきており、私もそういう記念のときは分かりやすくそういった看板を背に写真を撮っておきたいタイプなのだが、妻と娘はそんな私に冷ややかで、仕方なく下校中に近所の小さな児童公園でお子さんと遊んでいたお母さんにその公園に咲いているしょぼい桜の木の下でパシャリと写真を撮ってもらった。

 

3月26日

午前中、ノラという名の17歳の老婆猫を病院に連れて行く。ノラはそれまでの飼い主さんが亡くなり、縁あって去年の6月にウチに来た新参猫だ。ノラという名も前に飼っていた方が名付けた名前だ。穏やかな性格で2匹の先住猫ともうまくやっている。婆さんだからかどうなのか、お客さんが来てもいつも寝ているか飯を食っているだけでほとんど動かない。

 

先月から食欲が落ちてはいたが、それも婆さんだしなと気にしていなかった。が、ある日の朝、ぐったりとして横になったまま息苦しそうなので病院に連れて行くと胸に大量の水がたまっていて、抜かなければ死ぬが抜いている途中に力尽きる可能性もあると言われた。その日は持ちこたえ、死んでもおかしくないと言われてからひと月以上生きている。

 

ただ、すぐに胸に水が溜まってしまうので10日に一度ほど抜きに行かねばならない。今日も200㏄ほど抜いた。一週間ほど前からは一日中ほぼずっと苦しそうなので酸素室をレンタルしてノラはその中で寝ているのだが、この酸素室の音がうるさいのと、中で排泄もしてしまうからその都度敷きつめているペットシートを妻か私が変えてやらねばならないので最近は不眠気味だ。

 

午後から先日宿題になっていたドラマの打ち合わせに行く。コロナの影響が大きく及んできたことで、来年放映予定のこのドラマをどんなふうに見せればいいのかということを念頭に起きつつ、企画の方向性は何となく決まりとりあえずプロットを書くことに。

 

帰りに映画を観に行く。劇場は満席。その満席の劇場で、心の底から映画を楽しんだかというと、普段から満席で映画を観るのは好きではないが(自分の作品は満席になっていてほしいのに)、その普段の好きではないとは違う意味で心の底からは楽しめなかった。私も皆さんも、今、映画を観ていていいのか? という気持ちや、こんなに満席だったら誰か一人はコロナの方がいらっしゃらないか? などとどうしても思ってしまう。満席を喜べない時代が来るとは思いもしなかった。

 

3月27日

毎朝、妻がBSのワールドニュースを見ているのだが、当たり前だがどこの国でもコロナ一色だ。やれあそこの国の首相の演説は素晴らしいだの、リーダーシップがあるだのと聞いたりもするし実際そうも思うが、どこの国でも同じような不満もあるのだなとも思う。

 

私は各国の女性アナウンサーの美しさにも目が行き、「この人ほんとキレイだよね」などと毎日声に出すから、妻に心底軽蔑されている(ちなみにフランスと韓国の方が好きだ)。だからというわけではないが、来月に控えていた結婚式を延期した。

 

この状況を考えて自粛したのだ。と言いたいところだが、それよりも今の重苦しい状況に結婚式をあげたいという前向きな気持ちを徐々に奪われていった感じだ。結婚式に限らずだがここ数日何となく気持ちが落ちていて、やる気も起きない。出席者は妻と私と娘と息子の4人でパパっと終わる式だからやってやれないことはなかったのだが(式場も営業しているとのことだったし)。

 

私たち夫婦は結婚式をしていない。そんな夫婦はざらにいると思うが、結婚10年目が近づいたころに10年たったら結婚式をしてみようかという話をしていた。だが、10年目のときは私の年収が3万円くらいだったのでそれどころではなく、次は15年目のときにしようかと言っていたのだが、15年目のときもなぜだか忘れたがしなかった。今年は丸18年ということで、18年という数字に何の意味もないが、3万円くらいでできる結婚式を妻が探してきたのですることにしたのだ。とりあえず今なら7月までは無料で延期できるとのことだった。盛大にあげようとしていた方々も皆さん延期や中止だろうし、式を挙げるほうも挙げる式場も大変だ。

 

4月3日

↑いつも下半身はスッパ

 

コロナ鬱なのか老猫介護の疲れなのかどうかわからないが、やはりずっと調子が出ず、書き物が進まない。そして子どもたちの学校が5月6日まで休校と決まった。

 

小2の息子は発達グレーゾーンで、今まさに発達支援センターに相談中のときにこんな騒ぎになってしまった。こいつの行動は身内からすればとてつもなくカワイイのだが(家ではいつもフルチンだったり)、座っているべき場所に座っていられないし、嫌いなことを激しく嫌がるから、この休校期間に学校から出ている宿題をさせるだけでもなかなかの戦いでこちらはクタクタに疲れる。

 

そして反抗期バリバリの中1娘の過ごし方もかなり難しい。こういう状況に置かれてしまいかわいそうだとは思うが、ほっとくと一日中ゲームかスマホしかしていない。だから口を出したくなる。私と娘、妻と娘の言い争いはこの状況になって明らかに増えている。

 

この狭すぎる家の中で、休校中の過ごし方について口うるさく言われるのはそりゃさぞかし息も詰まるだろうが、反抗してくるときの言葉遣いは妻譲り(と言うと妻の逆鱗に触れるが)でかなりのものがあり腹が立つ。子どもと正面切って向き合うとこうも疲れるものかと、今までよその忙しいお父さんたちよりも暇なぶん、俺はちゃんとお父さんだけはしているという自負はあったが、それは木っ端みじんに砕けた。

 

仕事の面でも今書いているものやこれから書こうとしているものと、現実のギャップが大きすぎてずっと手が止まったままだ。6月の芝居はできるのだろうかという不安もどんどん大きくなってくる。7月にも脚本を書いた映画がクランクイン予定だが、それもできるとは言い切れないだろう。5月6月に果たして日本はどんな状況になっているだろうか。

 

近所の公園には学校に行けない子どもたちが元気に遊んでいるし、スーパーに行けば普段通りにお客さんがいるように見える。不謹慎で自己中心的だがこの後、ヨーロッパやアメリカみたいにならなければいいなと思う。が、もっと酷くなっている可能性もあるだろう。自分は散歩の途中に立ち寄る近所の神社で祈ることくらいしかできないが、医療従事者の方はじめ全世界で多くの人がこの事態を食い止めるために動いてくれている。

 

私はそういった人たちを含め周囲の人への感謝の念をすぐに忘れてしまうので、恥ずかしながら日々強引にでも感謝して、こういうときだからこそ(いや常日頃からそうしなければならないと思うが)何事も無意識に生きないことを無理やりにでも意識して生きていかねばならんと心に誓う。

 

4月4日

2週間後には日本もヨーロッパやニューヨークみたいになるかもなんていう意見を見たり聞いたりしていると、引き続き何もする気が起きず、体調まで悪くなってきているような気もして「だったら一人でてめえを隔離してろ!」と妻に怒られる。こういう時期に「具合悪いんだけど……」と日に何度も暗く言われると怒鳴り散らしたくもなるだろうが、誰かに優しくしてほしいと心の底から思う。

 

夕方、6月にやる予定の演劇のプロデューサーと主演の俳優さんと会う。今後のことを屋外の空き地で打ち合わせる。一応、人を避けてのことだ。すでにオンラインでの打ち合わせなどに入っている人も多くいるらしいが、私は筋金入りの機械音痴だ。今以上に今後、置いてけぼりをくらう世の中になるかもしれない。

 

打ち合わせの結論は、6月の演劇は延期せざるをえないだろうということだ。早い決断のような気もするが、「できるのだろうか、どうなんだろうか……」と思いながら台本に向かうのも正直ストレスが激しいし、このコロナ蔓延時にコロナ抜きの離婚話を見てどうする? という気持ちも日に日に大きくなってきている。

 

ただ、この演劇は今年とても楽しみで力を入れていたものだったので、誰でもそうだろうが延期という話をしていると身体から力を奪われてしまうような感覚になる。それでも久しぶりに家族以外の人と会ったし、誰かと愚痴りあって傷のなめあいもしたいしで、ついつい「軽く一杯行きますか」と言いかけたが我慢して帰った。

 

4月7日

緊急事態宣言が発令されたが、効果のほどを疑う声が発令前から出ている。こういう状況で日記を書くことになったのは、日々を無為に過ごしがちな自分にとっては無意識に生きないと誓ったことを無理やり実践するという意味でも良かった。それに表現の場というとカッコ良すぎるけど、気力がなかなか出てこないなかでも、ちょろちょろと溢れてきてしまう自己顕示欲を発散する場にもなる。

 

ドラマのプロットに着手しなければならないが、打ち合わせをした10日ほど前よりもさらにコロナの影響が色濃くなってきているから、やはりこのことをなしに今のドラマを作るべきか悩んでしまい書きだすことができない。

 

東日本大震災のときも似たような感覚になったが、今回は地球上のすべての人が影響を受けているわけで、そっくりそのまま元通りの世界になるのかならないのかもよくわからない。家で映画など観ると、当然コロナ以前の世界がそこには展開されていて、誰もマスクをしていないことに早くも違和感を覚えたりもする。元来後ろ向きな性格で、その後ろ向きさにも一人では立ち向かえない私は、妻をその後ろ向きな世界に引きずり込み、「お前がすげぇ嫌いだ」と、ここ数日毎日罵られている。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が2020年9月11日から東京・新宿ピカデリーほか全国で公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。