今年の節分は2月2日です。節分というと「2月3日」のイメージが強いですが、今年は2月2日。節分は「立春」の前日にあたる日とされており、今年の立春は124年ぶりに2月3日となるためです。この珍しい日程と、コロナ禍で願掛けする人は多いこともあり、今年の節分は例年以上注目を浴びています。
さて、節分と言えば、スーパーに並ぶ福豆と合わせて配布される、お菓子メーカーでん六の「鬼の面」が有名です。『天才バカボン』『おそ松くん』で有名な赤塚不二夫さんが、1972年から病気で倒れられるまで制作や監修を担当。そして現在は、別の方が担当しています。今回は、節分恒例のでん六の鬼の面を描く漫画家さんに話を聞きました。あの鬼の面について色々なエピソードが聞けましたので、ご覧ください。
でん六の「鬼の面」を描いているのはこんな人!
まず、赤塚不二夫の版権元・フジオ・プロダクション(以下、フジオプロ)を訪ね、でん六の鬼の面を作画されている方にお会いしました。
なぜ、赤塚とフジオプロが「鬼の面」を描くようになったかは「誰も知らない」
ーー赤塚不二夫先生、吉さんがでん六の鬼の面に関わるようになった経緯をお聞かせください。
吉 勝太さん(以下、吉) 僕がフジオプロに最初に入社したのは1984年なのですが、このときに赤塚先生や、当時のチーフアシスタントだった人が描いているのを見た記憶があり、社内では毎年恒例の仕事になっているようでした。1972年からでん六さんの鬼の面を赤塚先生が描かせていただくことになったようですけど、どうして描くようになったのかは、誰も知らないんですよ。
ーーどういうことですか?
吉 50年近く前のことですからね。当時のことを知る人は今のフジオプロにはいないんです。でん六さんのほうでも経緯をはっきりと知っている人がいないそうです。
ーーそれでもいまだに赤塚不二夫とフジオプロが描き続けているのはすごいですね。
吉 ありがたい事ですね。僕はフジオプロを一度離れて7年後に出戻りしたので、フジオプロの在籍歴は30年になります。考えてみたらその間、鬼の面にほとんど関わってきたわけで、でん六さんの鬼の面の歴史の中に、僕のフジオプロの歴史もあるんですね。
当初はシンメトリックではなく、手描きの線を生かしたお面だった!
ーーでん六の鬼の面は赤塚先生が描くというより監修されて、フジオプロの作画スタッフが描かれていたのでしょうか。
吉 そうですね、僕の知る限りでは1984年以降は赤塚先生監修のもと、実際の作画はチーフアシスタントですね。赤塚先生自身が描いていたのは、どの辺までかな……。
僕が入社する前の絵なので憶測でしかないのですが、初期の鬼の面は、顔がシンメトリックでなく、赤塚先生特有のタッチが感じられます。マジックなどを使った太い線で、赤塚先生が描いていたのだと思います。
80年代に入ると、だんだんシンメトリックになっていって、定規を使って鬼の面を左右対象に描いていることがわかります。1987年から1994年までは、赤塚先生の指導のもとに僕が作画していました。その後の7年くらい僕はフジオプロを離れていたので、この間は当時のチーフアシスタントの作画だと思います。
ーー赤塚先生が脳内出血で倒れ(2002年4月)、本人が制作・監修できなくなってしまったことを機に、当時フジオプロに復帰した吉さんが描かれるようになったわけですね。
吉 その後、出戻ってから僕が再び鬼の面を作画するようになりました。フジオプロを離れている間、別の漫画制作プロダクションで働いていたのですが、この間、パソコンでの作画を習得したので、以降はパソコンを使っての作画になっています。
前年の夏には「鬼の面」が完成している!
ーー毎年変わる鬼の面ですが、どういったフローで描かれるのですか?
吉 昔のことは正直よくわからないのですが、近年はだいたい前年の5月くらいにでん六さんと打ち合わせをして「来年の鬼の面をこうしたい」というリクエストをいただきます。だいたい3パターンくらいリクエスト通りのラフ画をでん六さんに提案し、その中から栄えある一匹の鬼が選出されて清書となります。そういったやりとりをして、前年の夏にはほぼ完成してでん六さんに納品するという流れです。
ーー随分早い時期に仕込まれているのですね。
吉 そうじゃないと間に合わないそうです。テレビCMもやっていますしね。
ーーでん六からのリクエストはどんなものがあるのですか?
吉 翌年の節分時期に話題になっているであろうものを予測されたリクエストが多いですね。昨年の「スイマー鬼」は、開催されるはずだった東京オリンピックの人気競技を意識したものでしたが、鬼の面に「スイマー」を取り入れるのに苦労しました(笑)。
こだわりはベロのある口と牙。そして、「顔は赤、口の中は黄色」
ーー今年は丑年だからでしょうか、「モーモー鬼」というものですね。
吉 そうです。これもでん六さんからのリクエストですね。でん六さんが営業部、工場、事務所などの数百名の社員さんにアンケートを取るなどして決まったようです。
吉 これも大変でした。鬼に牛の要素を取り入れると言っても、鬼の顔のベースにあるものは、人の顔じゃないですか。だから合体させるために、結局、耳が4つになってしまったという(笑)。
毎年そうなんですが、いくつかのお面の案を描いていると、自分の中で「これが選ばれるんじゃないか」というものが出てくる。でも、必ずしもそれが採用されないんです。そういうギャップはすごく面白いですね。それから半年後に採用された鬼の面を見ると、「なるほど、これが一番よく出来ていたな!」と納得しますね(笑)。
ーーいずれの鬼の面でも、描かれる上で絶対に崩さないポイントはありますか?
吉 まず、口ですね。赤塚タッチのベロのある口に牙を入れる。それと色ですね。初期の鬼の面は様々な色がありましたけど、近年はやはり「顔は赤、口の中は黄色」というものです。それと、近年は「あまり顔を怖くしない」というこだわりもあります。「お子さんに好かれるようなデザインにしなくちゃ」と思って描いています。
毎年の節分、「鬼の面」のディスプレイを見て感慨深く思う
ーー今年の節分が終わると、また数ヶ月後には、次の年の鬼の面の制作が始まるわけですね。
吉 そうですね。最初にも言いましたけど、赤塚先生が1972年から始めたでん六さんの鬼の面を、50年近くなる今もこうやって自分が引き継ぎ描かせていただけているのは、本当に感慨深いものがあります。普段の漫画制作の仕事ももちろん大切ですが、でん六さんの鬼の面はちょっと特別な感じがします。
吉 スーパーに行って、僕が描いた鬼の面のディスプレイを見たら「あぁ、良い絵を描けて良かったなぁ」とも思いますし、初めて会う人に自己紹介する際「あの鬼の面を描いています」というのが結構なパワーワードで(笑)。皆さん「へぇ」って言ってくださる。それもこれもでん六さん、そして赤塚先生のおかげです。これからもずっと描かせていただければ嬉しいですね。
モーこんな災いごと、モーたくさん
続いて、でん六経営企画室・宣伝企画課の阿部芳敬さんにも話を聞きました。
ーー今年の鬼の面は「モーモー鬼」というものですが、どういった思いが込められていますか?
阿部芳敬さん(以下、阿部) 今年の干支が丑年という理由が一つ。そして、昨今、SDGsの流れがありますが、このワードの中には「サステナブル」というものが含まれています。このサステナブルの「ブル」がどうも引っかかって。「ブル」って英語で雄牛のことを指すじゃないですか。また、ニューヨークには「Charging Bull」という雄牛のモニュメントがあるそうですが、これは「何者からも制限を受けない」「景気を上昇させる」象徴として捉えられているそうです。
今のコロナ禍の大変な状況を、節分を機に少しでも良くなっていくと良いなと思い、今年はモーモー鬼にしました。「モーこんな災いごと、モーたくさん」みたいなコンセプトです(笑)。
ーーでん六の節分用豆は複数のラインナップがあります。これらの商品を購入すれば、鬼の面をもらうことができるのでしょうか。
阿部 基本的にはそうです。スーパーなどででん六の節分商品を購入してくださった方に無料で配布していただくためのものです。でも、店頭によっては、もしかしたら他社の節分商品を買われた方や、恵方巻などを買われた方にも配られることがあるかもしれません。それでもみ1年の元気・健康を願う節分ですから。でん六としては、あまりこだわらず、みんなで節分を盛り上げていければ良いなと思っています。
故・赤塚不二夫の意志を引き継ぎ、今日も弟子の吉さんが描き続ける鬼の面。そして、その鬼の面を自社の宣伝材料の一つとしながらも、他社製品の購入者への配布も暗黙に認め、節分そのものの盛り上がりを目指すでん六。いずれの話も温かくて、なんだかほっこりした気持ちになりました。外出自粛の最中の今年の節分、でん六の鬼の面をゲットして、自宅で新型コロナ収束を願って豆をまいてみてはいかがでしょうか。
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