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2021/6/3 19:15

石坂産業「三富今昔村」で見た、産業廃棄物処理会社が目指すゴミをゴミにしない循環型経済

街でよく目にする、老朽化した建物の解体工事現場。みなさんはそこで発生する大量のゴミ=産業廃棄物が、どこでどのように処理されるか、想像したことはあるでしょうか?

 

環境省によると、私たちが日常生活で出す一般廃棄物は年間約4500万トンで、年々減少傾向にあるのに対し、企業がモノを生産して発生する産業廃棄物は、ここ20年ほど年間4億トン前後で推移しています。分別やリサイクルには当然、お金や技術が必要ですが、ゴミにお金はかけたくないのが人間の心理。だからまとめて海や山に埋め立てる……そんな行為が、いまだ繰り返されている現実があるのです。

 

そんななか注目したのは、埼玉県の入間郡三芳町にある、石坂産業という産業廃棄物処理会社。主に東京など都市部から運ばれる産業廃棄物の処理を専門に請け負う同社は、ゴミのリサイクル(減量化・再資源化)率98%という驚異的な技術力で、いま世界中から注目を集めている企業です。

 

しかも、工場は自社で管理する里山の森に作ったサステナブルフィールド「三富今昔村」の中にあり、世界中から年間約4万人の見学者がやってくるといいます。村内にはほかにも、農園で育てたオーガニック野菜を提供するカフェレストランがあったり、バーベキューや森の散策、各種アクティビティを楽しめるスポットも豊富。週末は家族連れやアウトドア好きの来訪者で賑わうというから驚きです。

 

豊かな里山の森に抱かれ、世間にひらかれた産廃処理工場。従来の“産廃屋”のイメージとかけ離れた石坂産業とは、一体どんな会社なのか。「ゴミを捨てる時代は終わらせる」と、同社を約半世紀前に創業した父の思いを引き継いだ代表取締役・石坂典子さんにインタビューしました。話を聞くのは、@Livingでおなじみのブックセラピスト、元木忍さんです。

 

『どんなマイナスもプラスにできる 未来教室』(PHP研究所)

産業廃棄物を処理する石坂産業の歴史と、そして本書の著者であり同社の代表取締役・石坂典子氏の仕事を紹介しながら、いまこの地球が抱えているゴミの問題や、環境問題をわかりやすく教えてくれる一冊。さらに、著者が日々廃棄物と向き合いながら蓄積してきた、よりよい明日を作るための思考や行動のヒントが読みやすい柔らかな筆致で書かれている。

 

ゴミを捨てる時代を終わらせる。
ダイオキシン騒動の渦中で決意したこと

「埼玉県所沢市の野菜から、高濃度のダイオキシンが検出された」。

 

1999年、あるニュース番組による誤報道を発端に、国民の注目を集めた騒動がありました。深刻な風評被害を受けた地元農家の怒りの矛先は当時、周辺の産廃処理業者に向けられたといいます。その矢面に立たされたのが、比較的大手だった石坂産業でした。

 

実際のところ、同社は報道の数年前から、多額の投資を行いダイオキシン恒久対策炉を導入していました。にも関わらず、“煙突の煙が環境を汚染している”とのイメージから、以後数年間にわたり壮絶なバッシングを受け、会社は大ピンチに陥ります。石坂さんが父のあとを継ぎ、弱冠30歳で取締役社長の座に就いたのは、まさにこのタイミングでした。

 

↑石坂産業の取締役社長を務める、石坂典子さん

 

石坂典子(以下、石坂):“ゴミ屋さん”って昔からもともとイメージが悪くてね。「ゴミ屋の子どもとは遊ぶな」というような職業差別も、小さいころから当たり前のように体験しながら育ちました。だから子どものころは、自分の父親の仕事を正直恥ずかしいと思っていたし、人に言わない方がいいと思っていたくらいです。

 

元木忍(以下、元木):子どものころは、お父さまの仕事の内容のことをあまり知らなかったのですか?

 

石坂:まったく興味がなかったです。さすがに父も、産廃処理工場を女性である私に継がせようとは思っていなかったでしょうし、仕事の内容について教えられたこともありませんでした。

 

元木:それが、弱冠30歳にして社長になるという一大決心に至った理由とは、何だったのでしょう?

 

石坂:もともとネイルサロンの開業費を作るために、20歳のころ手伝い感覚でこの会社に入ったんです。当時はまだ焼却施設があったので、毎日本当にいろいろな廃棄物が運ばれてきて。例えば、大型トラックいっぱいに載せられた大量の自転車とか使い捨ての傘、高級ブランドの洋服。毎年クリスマスが終われば、赤いブーツの入れ物に入った大量のお菓子が運び込まれていましたね。そうやってまだ使えるもの、食べられるものが新品のまま、大量に廃棄される光景を毎日見ていたんです。何も知らなかった私にとって、それは驚きと違和感でしかありませんでした。

 

元木:仕事を手伝ううちに、この“社会のおかしさ”に気づいたということですね。

 

石坂:そう。そしてあのダイオキシン騒動が起きたあと、私は父から初めて、石坂産業を創業した理由を聞く機会があったんです。

 

元木:それが著書でもよく語られている、「ゴミを捨てる時代は終わらせないと。これからはリサイクルの時代だ」という、お父さまの言葉ですね。会社を設立した1970年代から、その先見の明を持っていらしたことが、本当に素晴らしくて感動しました。

 

石坂:ゴミがゴミにならない社会が必要だって話を聞いたとき、私はそのあまりにも高い志に衝撃を受けました。正直、そのころの私は経営のノウハウを持っているわけでも、重機を扱えるわけでもなかったけれど、そんな父の志を何としても継ぎたいと思ったんです。だから、自分が何とかするから社長にしてくれと頼みました。もちろん「女には無理だ」と即答されたけれど、それから2週間後くらいだったかな。突然呼び出されて、「1年だけやらせてやるからやってみろ」って。これが30歳のときでした。

 

↑社長室は、そこかしこに野の花やグリーンにあふれた明るい空間

 

嫌われ者の会社だったからこそ
自分たちの仕事の価値を可視化した

石坂産業は先の騒動を受け、数億円かけた焼却炉を廃炉にする苦渋の決断を下しました。さらに、会社をこの先の未来へと繋ぐべく、廃棄物の焼却ではなくリサイクルへと事業転換。以後は、周辺の里山の森の保護活動も始め、2013年には「三富今昔村」の運営がスタートし今に至っています。

 

現在の石坂産業には、主に住宅などの解体工事で発生した産業廃棄物が日々運び込まれています。分別を行う分別・分級プラントや、廃コンクリートやプラスチック、木材、有価物の再資源化を行うプラントが配置され、ゴミの減量化・再資源化率は約98%と業界最高水準。それだけではなく、プラントはすべて建物で覆うことで騒音などに配慮し、なおかつ場内は一般の見学可能とすることで地域社会との信頼関係回復にも努めてきました。この全天候型新プラントの総工費は40億円。当時の年間売り上げの2倍近い投資だったそう。

 

元木:従来お父さまがやってきた、ゴミを焼却する産廃処理工場のあり方と、この20年で典子さんが作ってきた全天候型プラントや三富今昔村のあり方には明らかな違いがありますが、どんな思いからチャレンジされたのですか?

 

石坂:私がまず取り組んだのは、自分たちの思いや考えを可視化することでした。ゴミをゴミにしない社会を目指す私たちの仕事の価値を、世間にどう伝えていくかが大事だと思ったんです。なぜなら、私たちの会社は地域社会の嫌われ者で、そもそもがかなりマイナスからのスタート。しかも、いらないものを処理する会社だから、手に取れる商品すらない。だったらまずは、誰でも見学できる全天候型プラントを作って、私たちがやっていることをすべてお見せしようと考えました。

 

元木:それはつまり、産業廃棄物の処理に留まらず、石坂産業のブランディングから始めるっていうことだったのですね?

 

石坂:そうですね。単に廃棄物の再生化率を高めるだけが、技術革新ではないと思っていました。同業他社にはない、私たち独特のものを作るにはどうすればいいか。社長になって初めて、そういった部分に目を向けるようになったんです。ほかにも周辺の里山について勉強したり、地元の歴史資料館を見に行ったりするなかで、現在の三富今昔村の構想がだんだんと見えてきました。

 

元木:御社はこの20年の間に、里山の保護・管理といった活動をボランティアでやってきています。そうして作り上げてきた三富今昔村の中には、石坂オーガニックファームといった農園もありますが、こうした自然環境に対する意識はもともと持っていたのですか?

 

石坂:社長に就任した当初は、会社の立て直しで必死だったので、環境に対する問題意識というのは、ここ10年くらいで徐々に大きくなってきたものだと思います。産業廃棄物のことを学ぶと、結局はリサイクルできない廃棄物が自然破壊を起こしているという事実に突き当たるんですよ。それでも人は、リサイクル品ではなく、枯渇性の資源、つまり自然が作ったものをいまだに重宝し、それを使い続け、再びリサイクルできない廃棄物を生み出し続けています。今は「SDGs」といった言葉も広まっているけれど、一方でSDGsを「製品を製造する」までのことだと勘違いしている製造業者さんって、本当に多いんですよ。本当に大事なのは、自分たちが販売した商品が消費者に渡ったあとどうなるのか。モノ作りにおいては、もうそこの責任が問われている時代なんです。

 

↑外からゴミを運び込むトラックが入ってくる、ゴミの仕分け場。産廃ゴミはコンクリート、ガラス、プラスチック、木片など様々なものが入り混じっている状態で届き、ここでまず選り分けられます。1日に受け入れる最大保管量も決まっており、受け入れたゴミはその日のうちに処理を終えます

 

↑スクリーンで荒選別されたゴミは、コンベアで運ばれ、最後は熟練の社員の手で丁寧に分別・分級されます。この作業のために東急建設と共同開発されたAIピッキングロボットも2機導入されています

 

↑赤いヘルメットを被った社員は、運び込まれるゴミの内容をチェックし、量をはかって受け入れ料金を決めます。受け入れできないゴミが混ざっていないかも厳しくチェックしなければならない、責任重大の大切な仕事です

 

↑遠路ゴミを運んできて汚れたトラックは、プラントで廃棄物をおろした後、足周りを水洗いしてから外に出るようになっています。この水は雨水をためて再利用しているもの。周辺の道路にゴミや汚れを広げないための工夫でもあります

 

共通のビジョンを持てる社員と
未来に存続できる会社を作っていく

「自然と美しく生きる」をスローガンに掲げ、100年先も人と自然が共存できる社会を創ることをアイデンティティとしている、現在の石坂産業。

 

産廃処理会社というと、昔ながらの肉体労働のイメージが根強いですが、同社にはおのずとアウトドア好きや環境に対する意識の高い人材が集まってくるそう。新入社員には60時間の研修があり、この期間に会社の理念を学ぶことはもちろん、「自分が石坂産業で働く意味、やりがいを見つけて欲しい」と石坂さんはいいます。

 

元木:工場見学のときに思いましたが、社員のみなさんがすごく気持ちよく挨拶してくださるんですよね。

 

石坂:社員には、業界のお手本になってほしいと思っています。大前提として仕事や働くことに対する価値観って、人それぞれでいいと私は思っていて。でもうちに来るからには、私たちのビジョンに価値を感じて欲しいし、イヤイヤ働いて欲しくない。だから、なぜこの会社に入ったのか、自分の価値観に気づいてもらうために、60時間というちょっと長い研修時間を設けました。もちろん合わないと思うなら、早いうちに他社を選べといつも言っています。

 

元木:単純な働きやすさとか利益だけではなく、「働きがい」や「仕事への満足感」を求める……それはおそらく、お父さまの時代の産廃処理会社には生まれてこなかった価値観だと思います。でも、短期間で大きく改革をすると、現場の社員たちの意識を変えるのは難しかったのではないですか?

 

石坂:だから、ずっと同じことを言い続けました。国際規格ISOの導入などもしてきましたが、制度設計も一気には変えず、社員たちのレベルが上がるタイミングに合わせて、徐々に導入していった形です。

 

元木:でも、ある程度年齢がいっている方だと、価値観を変えるのは難しかったりしませんか?

 

石坂:もちろん当初は「ついていけない」と辞めていった社員もいたけれど、結局は慣れだと思っています。たとえばうちの会社では、コンビニ弁当やカップ麺など自分で出したゴミは持ち帰ってもらいます。その代わり、マイ箸とかマイどんぶりを持っていれば食堂のお弁当が安く買えたり、マイカップがある人はドリップコーヒーが飲めたりする。なぜならお客さまには「ゴミを持ち帰って」とお願いしているのに、自分たちがゴミ箱にどんどんゴミを入れていたらおかしいじゃない? そういった理由とセットで、繰り返し伝え続けました。特に大事なのは、なぜそうするのかという理由を「知って」納得してもらうことだと思っています。

 

↑環境保護への理解を深めてもらうために、全社員に動物学者、デヴィッド・アッテンボローのドキュメンタリー映画『地球に暮らす生命』を鑑賞するという“仕事”を与えたこともあります。提出必須のレポートには、熱い感想や意見がびっしりと書き込まれていました

 

プラントの環境を整え、人材を育成し……とさまざまな取り組みを行う上で、石坂社長が考える“未来に存続できる会社”とは? 続いて、これからの産業、そして企業のあるべき姿を伺いました。

 

未来に良し、地球に良し、作り手に良し。
これからの産業のあり方

 

元木:現在は日本企業も、少しは環境問題を考えているようにも思われますが、石坂社長から、今の日本の企業が行っている環境活動ってどんなふうに見えているのでしょうか?

 

石坂:灯台下暗しじゃないけれど、自分たちのやっていることをまず見直したらいいと思うのよ。環境活動というと、日本の会社ってなぜか外に対して寄付したり、木を植えたり海のゴミ拾いをするといった活動をやりがちなんだけど、むしろ自分たちの生産・廃棄プロセスを見直すだけでじゅうぶんだと思うのよね。

 

元木:それができないのは、なぜなんでしょうね。

 

石坂:「お客さまが欲しがるからこれを作ります」っていう言い訳のもとに、結局は自然ではなく「人のため」に仕事をする経済活動になっているからでしょう。それこそ梱包材が少し凹んでいたくらいで商品の返品・交換を求めるような価値観は、もう変えていかないといけない。

 

元木:豪華で凹みもなく綺麗な状態で、でも安くて、常に大量に消費ができることばかりを重視していて、自然とは全然向きあっていない……。すべてが経済活動の上で成り立っている気がしますね。

 

梱包資材などにも綺麗を求めるのは、世界の中でも日本人は異常なほど神経質だと思いますね。

 

石坂:私たちは、2021年4月から、消費者に対し「捨てない選択」の価値を普及することを目的とした「CHOICE ZERO AWARD」プロジェクトをスタートしています(https://choice-zero.org)。こんなふうに、企業側がそういうお客様の価値判断を変えていく活動をしたっていいと思うの。なぜならイノベーションって、結局は道のないところに道を作るわけでしょう。「うちも森林活動してます」なんて横並びのアピールで安心するんじゃなくて、自分たちの作っている商品の過剰生産とか、過剰梱包を思い切って辞める方が、環境や会社の未来にはずっといいかもしれない。近江商人の「三方良し」とは、「売り手良し、買い手良し、世間良し」。これからの産業は、それに加えて「未来に良し、地球に良し、作り手に良し」という“六方良し”という価値観に変えていくことが必要だと思います。さっきも話したように、バージン=枯渇性の資源ばかり求め、それだけが美しいとする価値観をやめない限り、自然破壊はもう止められないのだから。

 

↑石坂社長に話を聞く、ブックセラピストの元木忍さん

 

里山の森とともに生きることで
自ら循環型経済を実践する

石坂産業のリサイクル工場は、すべて同社が経営する「三富今昔村」という施設の中にあります。自分たちの手で年月をかけて管理してきた里山である通称「くぬぎの森」の中には、オーガニック野菜を育てる農園やカフェ、養鶏場やバーベキューができるスペースなど、五感で自然や環境問題を学べるサステナブルフィールドが広がっていました。

 

石坂:今後は敷地内でエネルギー事業や温浴事業をスタートすることも考えています。この活動は結局なんのためにやっているかというと、循環型経済=サーキュラーエコノミーを作っていくことが私たちのビジョンであり、その原点になるのがこの里山だと考えているからなんです。昔は、森の木から薪をとって火を起こしたり、自然にかえる材料で生活道具を作ったりして、里山の森そのものが“循環”していたわけよね。でも今は、誰も里山の森で薪なんか採らない。森の循環を守ろうと思ったら、お金なりボランティアの力なりが必要なんです。だから、三富今昔村では大人の方だけに「里山入村料」をいただいています。

 

元木:まさにサステナブルですね。里山を循環させるために我々ができることを、大人たちから「里山入村料」を貰って、一緒に守っていくのですね。

 

石坂:商品ではなく、三富今昔村という価値を生み出している背景に投資をしてもらうということ。そのサービスやモノを使うことで、未来がどんなふうに良くなるか。そういうことにお金が使われるビジネス形態を作ることが大事だと思っています。

 

元木:目の前にある“見えるもの”への投資ではなく、未来に対して投資をするってことですね。

 

石坂:その通りです。会社って経営そのものが大変だし日々が戦いだけれど、だからといって地球環境のことなんか考えていられない……というあり方でいると、これからは経営そのものが長期的に続けられない時代になっていくと思っています。対症療法に終始して、自然環境を破壊するだけのビジネスを根本から見直す。それを自分たちから実践しようということです。

 

↑1300種以上の動植物が生息するくぬぎの森を有する三富今昔村の敷地は、東京ドーム4個分の広さ。資源を生み出すリサイクル工場の見学ができる(予約制)ほか、敷地内のさまざまな施設で食農育体験や里山体験プログラムが実施されています

 

↑おいしい卵を産んでくれるニワトリ小屋や、アメンボやおたまじゃくしなど水辺の生き物たちがうごめく池もあります。ちなみに鶏糞は里山の落ち葉と混合し、農作物を育てる際のたい肥として用いられているそう

 

↑石坂オーガニックファームで育てられた地元の固有種野菜や果物が食べられる、村内の「くぬぎの森交流プラザ」のメニューです。食事には、栄養たっぷりの野菜の皮やヘタなどから作った香り高いベジブロススープ付き。これも「ゴミをゴミにしない」というメッセージの体現です

『未来教室』は、未来を幸せにするための
選択と行動のヒントが書かれた本

石坂さんはこれまで、自身の半生やビジネスを綴った3冊の本を出版しています。その中でブックセラピスト・元木さんが注目したのが、今回のインタビューのきっかけとなった『どんなマイナスもプラスにできる 未来教室』(PHP研究所)という本でした。

 

元木:この本は、石坂産業のことや社長の仕事がわかるだけではなく、お子さんから大人まで気軽に読めて、なおかつ所々に込められた環境問題に関するメッセージがシンプルに伝わる一冊だと思いました。

 

石坂:版元のPHPさんからの提案で、いっそのこと子どもでも読めるような本にしたらどうですかと提案いただいて、この形になりました。私はどちらかというと親御さんに読んで欲しいのだけれど、お子さんと一緒に読んでくれたらいいのかなって。

 

元木:『未来教室』っていうタイトルも素敵ですね。私たちはもっと未来のことを学ばなきゃいけませんからね。

 

石坂:このタイトルもPHPさんと一緒に考えました。自分でいうのもなんですけど、担当の方から言われたんですよ。「石坂さんって顔も性格も明るいし、なんか未来が明るいんですよね」って(笑)。いわれてみればたしかに私の人生、常に未来志向で生きてるところがあるかもしれないなと。

 

元木:小さい頃から未来志向だったんですか?

 

石坂:さすがにそれはなくて、自分の未来を10年スパンくらいで思い描くようになったのは20歳を過ぎてからでしたね。でも私は結局のところ、当初の目標だったネイルサロンは作らずに会社の二代目を継いだし、20代で離婚したりもしています。全部が予定通りにいったわけではないんですよ。だけど、今は仕事とプライベートの垣根がないくらいに仕事が面白いです。思い描いていた選択肢が変わってしまうことなんて人生にはよくあるし、だからといって失敗というわけじゃない。

 

元木:その通り、失敗のない成功はないですよね。この本には、自分の未来をより良くする選択のヒントがたくさん書かれていると思いますが、仕事とプライベートを重ねながら、自分とも向き合って生きていくというわけですね。石坂社長はそれができているから、目的が明確で面白い仕事ができているのでしょう。

 

石坂:大切なのは、自分なりの幸せの価値観、満足っていうのがどこにあるかを常に意識したり、都度見直したりすることじゃないかな。自分の価値観がわかった上で生きるのと、自分自身がよくわからないで生きるのでは、やっぱり幸せ度数が違うんじゃないかと思います。

 

↑石坂さんがこれまで出版してきた3冊です。中央は『五感経営 産廃会社の娘、逆転を語る』(日経BP)。右は『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える! 2代目女性社長の号泣戦記』(ダイヤモンド社)

 

↑子どもにも読んでもらうことを想定した「未来教室」の装丁は、イラストを使った温かみのあるデザイン。本文中にも随所にイラストを入れ、漢字にはルビを振るなど工夫をしています

 

【プロフィール】

石坂産業 代表取締役 / 石坂典子

1972年生まれ。アメリカに短期留学を経て20歳で石坂産業へ入社、2002年に父の志を継ぎ取締役社長に就任する。国際規格ISO経営に挑戦し、里山保護活動を通して日本生態系協会のJHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得。2016年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2016・情熱経営者賞」など、経営者としての受賞歴も数知れず。プライベートでは二児の母。趣味はガーデニングやアンティーク家具、ハーレーを駆る女性ライダーでもある。https://ishizaka-group.co.jp/