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2016/10/17 15:00

これは明治時代の「進め!電波少年」!? 明治期に、無銭で世界一周自転車旅に出た男の炎上紀行

買えない本の意味ない(!?)書評
~国会図書館デジタルコレクションで見つけた素晴らしき一冊~ 第11回

 

「若者のおせち離れ」「若者の合コン離れ」「若者の2ちゃんねる離れ」……。「若者の○○離れ」は最近安易に使われすぎて、もはやギャグのようになっているが、「若者の海外旅行離れ」はどうやら深刻なようだ。観光庁の資料によると20代のパスポート取得率は、8%台だった20年前と比べて、2014年には5.9%に低下、海外渡航者数も年々減少している。

 

考えてみれば、ひと昔前は海外に行くとなったら、そりゃもう人生の一大事。お金も労力も気合いも必要だったからこそ、夢やロマンも大きかった。「若者が~」というよりも、海外旅行に行きやすくなった分、海外を見聞する価値が目減りしているのではないか。皮肉なことだが。

 

「中村春吉 自転車世界無銭旅行」 押川春浪 編

 

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さて今回は、およそ百年ほど前、まだ海外旅行が燦然と輝きを放っていた明治・大正期の旅行記を探してみた。いつものように著作権切れの本が閲覧できる国会図書館デジタルコレクションの検索窓に「海外」「旅行記」「世界一周」などのワードを入れて検索。

 

「十日間世界一周」(明治22年)、「欧山米水」(大正12年)、「海外立身案内」(明治44年)など気になる本が並ぶなか、興味をそそるタイトルがあった。「中村春吉 自転車世界無銭旅行」(明治42年)。もし今、似たような企画を動画でやっても、そこそこ再生数が稼げそうな気がする。「海外渡航及在留本邦人統計」によると、中村春吉が旅に出た明治35年の海外渡航者(非移民)はわずか1万9056人(2015年の出国者数は1690万人)。この時代にひとりで、しかも自転車で無銭旅行とは恐れ入る!

 

著者は、日本では最初期の冒険小説作家・SF作家として知られる押川春浪。彼が冒険家の中村春吉から聞き書きしたという構成になっている。

 

数年以前のことだ。我輩は一個の奇妙な男に出くわした。姓は中村、名は春吉。……この男すこぶるバンカラで、……渾身黒鉄でできている如く、長髪を振り乱し、巨眼を光らし、まるで野蛮人が洋服を着たような風体」(一部仮名遣い等を修正)

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そんな野獣のような春吉の旅の始まりは、現在の下関から。アメリカのランブラーというブランドの自転車で東海道を経て横浜で船に乗り込み、まずは上海経由で香港に向かう。荷物は米、うどん粉、梅干し、鰹節といった食料品や天幕、蚊帳、鹿皮など、約21貫(約80kg)。なかなかの重装備だ。

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無銭旅行とうたう通り、出発前は格好良く「旅費はどこでも作ってきません。この腕にあります、この脛(すね)にあります」と決心していたものの、横浜で友人からせんべつとして上海までの船の切符をもらい、心が揺らぐ。そして、早くも方針転換!?

 

その時まで僕は、どんなことがあっても他人の好意をはねつけるつもりであったが、……それは無益のやせ我慢と申すもの

 

まだ国内なのに!? はやばやと大きな援助を受ける春吉。今だったら軽く炎上案件だろう。そんな読者のツッコミを見越してか、本人は“中村春吉は山師なり、ウソつきなりと悪口を言う人もあると思うが、そんなせせこましい了見では、ともに天下の大事を語るに足らん!”と開き直っている。

 

その後、香港からシンガポールへ船で移動し、ついに海外初の自転車のおでまし。山を越えてラングーン(現ヤンゴン)へ向かう……と思いきや、「屏風を立てたような絶壁」に阻まれ1日で断念。

 

僕はこの絶壁に出くわして、ホトホト失望落胆しました。これはとても駄目だ

 

そこで僕は腹立ちまぎれに、かばんから墨汁と筆を取り出し、絶壁の白い巌石の表に、墨黒々と左の如き文句を記しました――日本人中村春吉、自転車世界一周の旅行中、ここに立ち往生して、拳骨の絶壁を砕く能わざるを怒る

 

知人の忠告を無視して山に挑み、越えられないからと岩に怒りの落書き。結局戻って船でマレー半島をパスし、ラングーンへ……。もしこれがTV番組なら、スポンサーに苦情が殺到して打ち切り間違いなしだろう。まあ、墨汁だから雨で落ちるのがせめてもの救いか。

 

自転車を諦めて船を選択したあたりは、「進め!電波少年」で猿岩石が実は飛行機を使っていたという騒動を思い出した。あれはもう20年前のこと。春吉の旅行記は114年前のことだ。

 

このあとも、行き当たりばったりながら、開き直りつつ豪快な春吉のエピソードが続く。ここからはダイジェストで。

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■ヒマラヤで狼の群れに遭遇!?
ある夜、ヒマラヤの麓でふと目を覚ますと、狼の鳴き声が聞こえた。どうやら数百匹の狼の群れに天幕を囲まれている様子。このままではまずいと、石油に浸した高野豆腐をブリキ缶に詰めた手製の爆裂弾を燃やして対抗。恐怖の一夜を過ごす。

 

■ボンベイの宮殿で大金をゲット!
ボンベイ近くの「アシミヤ国」の宮殿に呼ばれ、日本の敷物を完璧に敷いてみせた春吉。報酬として大金をもらうも、ハンパな金を持って行くのはかえってしゃくだ。高級ホテルに泊まり、この地で知り合った人々に山海の珍味をドシドシとおごる。そして気がつくと、買おうと思っていた服代もない……。バラエティの教科書のような行動。

 

■宿屋の婆さんが外からカギを……!?
イタリア北部、アルプス山脈を自転車で越えようとする春吉。夕暮れになり、お湯をもらおうと宿屋に寄るが、宿屋の婆さんが泊まっていけと放さない。導かれるまま部屋に入ると、婆さんが外から錠を下ろし扉が開かない! 窓の外も断崖絶壁の大ピンチ……。こうなったら仕方ないと腹をくくってぐっすり寝る春吉はさすがだ。

 

■ロンドンで舞踏会に招待されるが……
ロンドンに到着し、ロンドンタイムスの記事にも登場した春吉。英国貴族の舞踏会に招待され、燕尾服は一着借りたものの、中に着る服がない。仕方なく米袋をスッポリかぶり頭だけ出してシャツ代わりにし、白い風呂敷を首に巻き付けてネクタイに。「貴女紳士たちはみな奇妙な顔をしてクスクス笑うのです」。

 

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結局、明治35年2月に横浜港を出発し、世界を一周してサンフランシスコに到着。太平洋を渡る船に乗り込んで明治36年5月に帰国する。全50話のエピソードは、時に命がけのハプニングあり、時に間抜けな失敗談ありとメリハリが効いていて読み飽きない。

 

なかには、春吉が大げさに語ったのか、執筆担当の押川春浪が面白おかしく脚色したのかはわからないが、「黒豹を素手で倒して生肉を喰らう」など、にわかには信じられない話も出てくる。といっても、全体としてはリアリティがあって、旅の自由な雰囲気がよく伝わってくる。「僕は服装を笑われるくらいは平気である」「僕には天然の武器がある。この拳骨です」など名言も多い。自分の身は自分で守る、他人の目を気にしすぎない、信念はあるが臨機応変。そんな、海外で必要なスピリットに溢れている。

 

ちなみに、横田順彌「明治バンカラ快人伝」(ちくま文庫)によれば、この中村春吉という人物は、軍事探偵(いわゆるスパイ)だったと噂されたり、幽霊と話をして成仏させたという談話が残っていたり、後年には一種の精神的健康医術の開祖になったりと、かなり謎めいた人物だったようだ。

 

春吉が世界一周旅行に出たのは30歳のとき。ここまでむちゃくちゃな旅は遠慮願うが、体が動くうちに世界のあちこちの空気を吸いに行きたい、読んでいてそう思った。