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2022/11/6 18:30

排泄物まで徹底的にリサイクル! 究極のサステナブル社会「江戸時代」に学ぶ現代日本で実践すべきSDGsとは?

年々加速するSDGsの目標達成に向けた取り組み。しかしその一方では、Z世代を中心に「サステナブル疲れ」という言葉が広がるなど、過度にサステナブルな行動を求める風潮にどこか違和感や疲労感を抱く人も出てきています。

 

SDGsへの向き合い方が問いただされるなか、昨今あらためて見直されているのがなんと「江戸時代」! 高度な「循環型社会」で、人々は極めてサステナブルな暮らしを送っていました。それも社会的な義務感や倫理観の下ではなかったため、誰一人 “無理” をしていなかったといいます。

 

江戸時代が循環型社会だった理由や、現代に活かすべきポイントについて、法政大学名誉教授・前総長の田中優子さんにお話を伺いました。

 

循環型社会とは?

そもそも循環型社会とは「できるだけゴミの発生をおさえ、もし出てしまったら別の形で再利用する社会」を言います。江戸時代に循環させていた物のうち、もっとも代表的なものが木材です。

 

「一度木を切ると、再び生えてくるまでに長い時間がかかります。また、木を切りすぎると、雨が降った時に雨粒が直接地面に落ちるため、洪水が起こりやすくなります。そこで江戸時代には、過剰伐採を防ぐために『川の両側の木を切ってはいけない』『この山の木は切ってはいけない』『根から掘り返さない』などのさまざまな制限令が出されていました。ただ、建築には木材が必要不可欠なため、制限令の範囲内で木材の量が足りなくなると、今度は『切ったら植えましょう』という植林政策が行われるように。

また、過剰伐採を防ぐ策としては『天守閣の再建をしない』という幕府の方針も挙げられます。江戸城天守閣は1657年に火事で焼失してしまいましたが、建築をしなければ木を切ることもないため、再建の必要はないと判断されたのです。この考えは江戸以外にも広まっていき、当時、他のいくつかの城も天守閣の再建をしませんでした。

そして、過剰伐採の防止と合わせて行われていたのが、木材の再利用です。取り壊した建物の木材は、そのまま新築の建物に使い回されていました。老朽化して建築に使用できなくなった場合は小さく切って燃料にするなど、小さな破片さえも再利用されていたんです」(田中優子さん、以下同)

 

紙や着物、わらなど、木材以外のものも形を変えて使い回され、最後には必ず肥料として土に戻っていきました。江戸時代の日本には、一つとして無駄になるものはなかったのです。

 

江戸のリサイクル文化が成功した秘訣は “経済的メリット”

手間を掛けて物を使い続けていた江戸時代。令和の感覚では「手間をかけて使い回すなんて大変だ」と感じる人もいるはずです。一体なぜ、当時の人々は循環型社会に抵抗感を抱かなかったのでしょうか?

 

「循環型社会が実現した一番の要因は、“倫理観ではなく経済の仕組みの一部としてリサイクルが行われていた”ということです。

排泄物を例に考えてみましょう。江戸には厠(かわや)という、川の上に設置されるトイレがありました。参勤交代で江戸に人が集まると厠を使う人も増え、次第に排泄物によって川が汚れていき、1649年に厠の取り壊し令が出されます。すると今度は町中に厠が設置されたのですが、溜まった排泄物を川に捨てる人が現れ、1655年には川へ排泄物・ゴミを投棄することを禁じる御触れが出されました。

町に排泄物が溜まっていくなか、自分たちの排泄物を肥料として再利用していた農民たちが『江戸にある排泄物も持って帰ってきて、肥料として使えばよいのではないか』と気が付きます。そこで江戸まで排泄物を回収にいくと、より良いものを食べている武士たちの排泄物は、肥料としての質も高いことが分かり、江戸で排泄物を買って余剰分を周りの農民に売り始めました。

するとこの商売がとても上手くいったため、本格的に排泄物の売買を生業としようと考える人が増加。江戸まで向かう船の船頭や排泄物の回収を行う汲み取り屋を雇い、江戸の排泄物を売り買いする『下肥問屋』が誕生しました。江戸時代には他にも、紙くず買い、灰買い、蝋燭の流れ買い、鋳掛屋など、さまざまな商人が生まれ、使い古したものの修理・買取が盛んに行われていました。

つまり、幕府や藩主による命令や、『もったいないから、リサイクルしましょう』といった社会倫理から再利用をしていたのではなく、禁止令を逆手に取り、町人や農民が『自分たちの生活が上手く回る』ように、能動的に再利用をしていたわけです。持続的なリサイクルは、お金の動きと連動させることで実現するのです」

 

循環型社会を実現させた4つの価値観

もちろん江戸時代の循環型社会を支えたのは、社会の仕組みだけではありません。江戸の人々に根付いていたさまざまな価値観も、循環型社会の成立に大きく影響していました。

 

・廃りをやめる

「廃り(すたり)とは『捨てる』からきた言葉で“無駄”を意味します。つまり廃りをしない=無駄をしないということ。江戸時代の人々には質素倹約の価値観が根付いていました。また、『もったいない』という言葉も、“ものの本来の存在価値(もったい)が失われる”という意味でした」

 

・経済=人を救うこと

「現代では、経済=金銭のやりくりといった意味で使われていますが、江戸時代は違います。経済とは経世済民の略で『世の中を営むことによって人々を救うこと』を言います。つまり、経済活動の目的は、儲けることではなく人々を救うことだったんです。そのため、江戸時代の豪商たちは橋を作るなど、自分たちのお金で公共事業を担っていました。

また、現代の企業は儲けて会社の規模を大きくしようとしますが、江戸時代は儲けすぎずに現状を継続することが良しとされていました。儲けすぎていない証明として、商人たちはあえて汚れた暖簾を使っていたんですよ」

 

・1年サイクルで循環する時間感覚

「現代の人の多くが、時間を未来に向かって一直線に伸びていくようなイメージで捉えていると思います。しかし江戸時代の人々は、時間は1年で一周すると考えていました。そのため、秋に何かを収穫すると同時に、来年の秋にも収穫するにはどうすればよいのかを考えていました。木を切りすぎない、漁をしすぎない、山で狩りをしたらその場で解体して動物が食べる分の肉を残していく、それらが未来の自分たちのためになることを理解していたのです」

 

・限りある資源に合わせた暮らし

「現代の価値観で捉えると、江戸時代は決して暮らしやすくはありませんでした。例えば、江戸時代の夜はとても暗く、行燈(江戸の人々が日常的に使っていた、綿花の油を用いた照明)は60w電球の1/100ほどの明るさだったと言われています。しかし江戸時代の絵には行燈の明かりで読書や裁縫をしている様子が描かれており、不思議に思った私は行燈の明るさを再現して読書ができるか実験をしてみたんです。

すると現代の本はまったく読めないのですが、和紙に墨で印刷された江戸時代の書物はハッキリと読めました。また、画集の浮世絵は部分的に光って見えなくなる一方で、江戸時代と同じ印刷技術で刷られた浮世絵は色や立体感が素晴らしく美しかったのです。つまり必要以上にエネルギーを消費するのではなく、少ないエネルギー(行燈)に暮らしを合わせていた(わずかな光で読める本や浮世絵を作っていた)ということです」

 

当時の暮らしを真似することは難しくとも、「無駄をしない」「必要以上に欲に走らない」「常に1年後のことを考える」「限りある資源に暮らしを合わせる」といった考え方は、十分今に活かせます。一度自分の生活に置き換えて、考えてみてはいかがでしょうか。

 

現代の暮らしにおける3つの問題点

最後に、江戸時代の暮らしを踏まえ、現代の暮らしにおける3つの問題点を教えていただきました。

 

問題点1.自給率の低さ

「一番の問題点は自給率の低さです。鉱物資源が少なくなり輸入を控えるようになった江戸時代は、食糧はもちろんのこと、木綿や絹織物、時計などは自分たちで作っていました。一方現代では、食料品も日用品も輸入に頼っています。中でも食料自給率が低いため、一刻も早く農村の復興をすべきではないでしょうか。島国だからこそ、いつ輸入できない状態に陥るか分かりません。自分たちの食べ物は自分たちで確保できるように、これからは生産技術の向上に注力していかねばなりません

 

問題点2.リサイクルに要するコスト・エネルギー量の増加

「江戸時代は、大抵のモノが燃やして灰にするだけで肥料となり、太陽や土の中にいる微生物によって分解されていました。しかし今は化学物質を使った製品が多いため、単に土に返すわけにはいかず、電力などを利用した処理が必要となりました。地球に優しいはずのリサイクルにも、膨大なコストとエネルギーがかかるようになったのです。よりエコにリサイクルを行うために、自然エネルギーの開発が必要なのではないでしょうか

 

問題点3.より楽な方法で済ませること

「江戸時代は手間を掛けてでも長く使うことを大切にしていました。着物がその良い例です。江戸の人々にとってはとても高価なものだったため、夏は裏地を取り、冬は裏地と表地の間に綿を入れることで一年中着ていました。また、ほつれたら自分で縫い直すなどして、長く着続けていました。

しかし高度経済成長期以降、労働時間ばかりが増え、身の回りのことに費やす時間は徐々に減っていきました。そして時短家電などが次々と誕生するなど、身の回りのことは楽できればできるほど良いという傾向に陥っています。その結果、手間をかけてモノを使い続けるという意識が薄れてきているのではないでしょうか。

今後は働く時間を減らし、身の回りのことに使える時間を増やしていくべきです。最近はこの重要性に気付き、仕事をやめて地方に移住する人も現れ始めています。江戸時代に下肥問屋が生まれたように、サステナブルな社会に則した新しい仕事を見つけていく時代に入っていると思います」

 

「しきりにSDGsが叫ばれる昨今ですが、今までと同じ働き方をしながら社会的な倫理だけで状況を変えることは困難です。繰り返しにはなりますが、江戸時代の人々も倫理観で循環型社会を実現していたわけではありません。サステナブルな行動に経済が絡み、全員にメリットをもたらしたから、実現できていたのです。これからはSDGsを意識したアクションと同時に、新しい生き方についても考えてみてください。

また、SDGsには17項目ありますが、日本だけで見るとすでに達成目前の目標もあると思います。今後、日本は一体どの項目に向き合うべきだと思いますか。意味のあるアクションを起こすためにも、日本に必要な項目を整理した『ジャパニーズSDGs』について考えてみてはいかがでしょうか」

 

【プロフィール】

法政大学名誉教授・前総長 江戸東京研究センター特任教授 / 田中優子

法政大学社会学部教授、国際日本学インスティテュート(大学院)運営委員長、社会学部長、総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。研究領域は、江戸時代の文学、美術、生活文化。『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』で芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞。その他多数の著書がある。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。2005年度紫綬褒章。現在、東京都男女平等参画審議会会長、一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会副理事長、人間文化研究機構教育研究評議会評議員、サントリー芸術財団理事、『週刊金曜日』編集委員、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターもつとめる。