聴覚障がい者と聴者の恋愛を描いたテレビドラマ『silent』(フジテレビ)や『星降る夜に』(テレビ朝日)などの影響もあり、ここ数年で「手話」への関心がいっそう高まっています。ところが、実際に手話を学んでみたいと思っても、何から学べばいいのかわからないという人がほとんどではないでしょうか?
そこで、手話に触れてみたいという人に向けて、「手話とは何か」という基礎知識や、知っておきたい手話表現、聴覚障がい者のみなさんが抱える思いなどについて、テンダー手話教室代表の鈴木隆子さんに伺いました。手話について正しく理解し、聴覚障がい者と聴者がともに安心して暮らしていくために大切なことは何か、一緒に考えてみませんか?
使用禁止の時代もあった、日本語と同じひとつの言語「手話」
はじめに、「手話とは何か」という基本的な部分を、鈴木さんに聞いてみました。
「手話とは、聞こえない人(ろう者・中途失聴者)や難聴者の間、もしくは聴者との間で使われる、非音声で手指の動きを中心とした言語のこと。『手の動き』を中心としたという言葉からわかる通り、指や手の動きだけでなく、頭の動きや表情なども活用する、音声言語である日本語と対等なひとつの言語なのです」(手話通訳士・鈴木隆子さん、以下同)
しかし、 “言語” として認められたのは2006年と最近のこと。それまで手話は、使用を厳しく禁止されていた時代もあったのだといいます。
「1878年、京都に『京都盲唖院(きょうともうあいん)』という、耳の聞こえない子と、目の見えない子が一緒に学ぶ教育機関ができました。その初代校長であり、ろう教育の創始者と呼ばれる古河太四郎が考案したものが、資料上で確認できるもっとも古い手話単語といわれています。そこから手話を使った教育が行われてきました。
ところが、1933年に当時の文部大臣から『各ろう学校は、口語教育に奮闘努力せよ』という方針が示されます。『口話』とは、口の形を読み取って相手の言葉を理解し、自分の声が聞こえない状態で厳しい発音の訓練をして音声でコミュニケーションをとる手段のこと。つまり、それまで使われていた手話を禁止し、口話での教育が全国のろう学校で採用されることとなったのです」
そこから長い年月がすぎ、ターニングポイントとなったのが2006年12月。
「国連の『障碍者の権利に関する条約』のなかで、はじめて『手話は言語である』との定義が全会一致で採択。日本でも2011年の『障害者基本法』の改正により、手話は言語であるということがはじめて法律でも明記されました。現在関心が高まっている手話には、こうした歴史があったという事実も知ってほしいと思います」
日本で使われる2つの手話、「日本手話」と「日本語対応手話」の違い
手話は世界共通語ではなく、国によって違うもの。国際会議の場などで用いるために作られた「国際手話」もありますが、基本的には各国の文化で育まれたそれぞれの手話を使って対話をしています。さらに、「日本国内にも、『日本手話』と『日本語対応手話』の2つの手話がある」と鈴木さん。それぞれの手話について教えていただきました。
■ 日本手話
・主に、ろう者(生まれつき、または言語獲得期の3〜4歳以前に失聴した人)が使用
・母語が日本語ではない人が使う
・文法体系、語順、語彙は日本語とは異なる
・視覚的な表現も重要(表情、指差し、うなづきで表すなど)
「日本手話には、日本語の語順とは異なる独自の文法があります。『私はリンゴが好きです』と伝える際は、『私+好き+何かというと+リンゴ+私』となります。『何かというと』はなくてもよいのですが、相手の関心を引き寄せることができるので、こう表現することが多いです。また、文末の『です』がなく、主題の『私』をもう一度指をさして表します」
■ 日本語対応手話
・主に、中途失聴者(病気等の理由で失聴した人)、難聴者(片耳が聞こえない、高い音/低い音が聞こえないなど)が使用
・日本語を母語とする人が使う
・日本語に準じているので、文法体系、語順、語彙は日本語と同じ
・ろう学校などでは、助詞(て・に・を・は)を指文字で表すが、普段は省く
「一方日本語対応手話は、主に頭の中に日本語がベースとして入っている中途失聴者、難聴者の方々が使うため、日本語の語順通りに手話で表します。普段は省略されることが多いですが、ろう学校では日本語を書くときには助詞が必要であることを知ってもらうために、私『は』、リンゴ『が』という助詞を指文字で示すこともあります。日本手話と異なり、文末の『です』も手話で表現します」
テレビドラマ『silent』に出てくる手話も、登場人物のバックグラウンドによって使用している手話が違うのだそう。そうした違いに注目してみると、また新しい発見があるかもしれません。
2つの手話、どちらを学べばいい?
では、これから手話を学ぼうと考えている人はどちらの手話を学べばいいのでしょうか?
「私は、どちらの手話も大事だと思っています。しかし、日本語対応手話ができても、『日本手話しか認めない』として、日本手話ができない人が地域の手話通訳者登録試験に落ちるような地域もあるんです。でも聴覚障がい者のなかには、日本手話のみを使う人がいれば、日本語対応手話しかわからない人もいます。ですので、どちらか一方だけを認めるというのは、問題があると私は感じています。
人間に上下ないのと同じく、言語にも上下はないはず。だからこそ私の教室では、対象者に合わせてコミュニケーションできるよう、両方の手話を教えています。それぞれの手話を尊重することが何より大事だと思います」
次からは、覚えておきたい簡単な手話表現や、実際の聴覚障がい者の声を紹介します。
コロナ禍特有の困りごとも……聴覚障がい者の抱える悩みや思いとは
「耳が聞こえない」という障がいは、外見上ではわかりにくいもの。また、聞こえることが当たり前の聴者にとって、聴覚障がい者の方々がどのような思いを抱えているのか知る機会も、あまり多くはありません。そこで今回は、鈴木さんのお知り合いの方や教室に通う方に、普段感じている悩みや聴者に知ってほしいことなどを伺いました。
鈴木さんも、「ろうの方はもちろん、中途失聴者、中途難聴者の方、難聴者の方、それぞれに抱えている想いや悩みはさまざまです。ぜひ、みなさんの思いを知っていただきたいです」と語ります。みなさんの率直な思いを一部、ここに紹介します。
■ 街中での困りごと・悩み
・大阪府/ろう者/男性
「音声放送や声掛けが文字化されていないこと。例えば病院だと、名前を呼ばれてもわからないので後回しにされやすいです」
・東京都/ろう者/男性
「救急車が近づいてくるのに気付かなかったため、びっくりしたこともありました。もし、交差点や信号機についている文字掲示板に、救急車が近づいているとのメッセージが出ていたら、我々にとっても助かるし、安心して横断できるはずです」
・新潟県/ろう者/女性
「スーパーやコンビニで何かを聞かれるとき、マスク越しだとわからない。また、飲食店でメニューが手元になく口頭で注文をしないといけないときや、出された料理の説明をされるときなども困ります」
・東京都/難聴者/女性
「知らない人が突然声をかけてくれた時に、『聴覚障がい者です』と答えると、筆談ならお手伝いできるのに、尋ねた人が『結構です!』と避けるケースがあってガクッとします。また、補聴器なら音は聞こえるが会話の内容まではわからない、と以前説明したにも関わらず、声を出せば話がわかると思っている知り合いもいます。そういうケースは誤解を招くので嫌になりますし、筆談すればよいのにと思います」
■ 道に迷った時など、困っているときの対処法
・東京都/中途難聴者/女性
「私は聞こえにくいことを伝えて、筆談をお願いします。今はスマートフォンに文字を打ち込んで見せる方法もあるので、筆談ボードがなくてもスマートフォンさえあれば何とかなります」
・新潟県/ろう者/女性
「スマートフォンに打ち込んで窓口や道行く人に尋ねる、音声認識ソフトを使って話してもらう、あらかじめ事態を予測して、できるだけその場面にならないように回避する」
■ 聴者へのメッセージ
・東京都/ろう者/夫婦
「健常者の方には、手話を覚えて街中で手話による会話ができるようにしてほしい」
・東京都/中途難聴者/女性
「私も大人になるまで聴者だったので、聞こえる方の気持ちもわかります。ですが、もし『silent』や『星降る夜に』を見て何か感じていただけたのであれば、これは決してドラマの中だけの話ではなく、実は聞こえに困っている人が身近なところにいるのだと想像してほしいです。(中略)そして、難聴者は『補聴器を付けているから大丈夫だよね?』という誤解も多いです。聴覚障がいといっても、人によって聞こえがちがうこと、補聴器は聴者に戻れる魔法の道具ではないことを知ってほしいです。難聴者はその場の環境、相手の声質によっても聞こえ方が左右されることなどを、頭の片隅にいれておいてほしいと思います」
・新潟県/ろう者/女性
「手話を覚えると、聴者にとってもメリットがあると思います(風邪をひいて声を出せなくなった時や、何かあった時に音声以外のコミュニケーションツールがあるといい)。また、『相手も私も、周りの情報がわかる環境』をお互いにつくり上げる意識を持ってほしいと思います」
・大阪府・ろう者・男性
「今はスマートフォンやパソコンの普及により便利になりましたが、まだ不便な部分もあります。それは『コミュニケーション』です。職場で聴覚障がい者と接し、慣れてきたとしてもうまくいかないこともよくあります。手話が必要なのに、筆談が必要なのに、仕事中だと聴者は戸惑い、うっとうしく感じることもあるでしょう。しかし、自分と違う人間だから相手にしなかったり、逆に利用したりいじめたり。そうやって孤立してしまい、生きる気力がなくなってしまう人もいます。もし、あなたが逆の立場ならどうしますか?」
ふとした場面で役立つ、覚えておきたい手話
最後に、街中で聴覚障がい者の方に話しかける際に役立つ手話を、日本手話と日本語対応手話の違いも含めて2つ教えていただきました。手話を覚えることで、きっとコミュニケーションの輪も広がるはずです。※左右どちらの手で表現してもOKです。
■ 大丈夫ですか?
1.右手の親指以外の指先をそろえて軽く曲げ、胸の左側に当てる。
2.そこから手を移動し、胸の右側に当てる。
「ここまでの動作で『大丈夫』という意味になります」
★日本語対応手話 「ですか」と手を差し伸べるような動作を入れる。
「日本語対応手話は、『大丈夫』に『ですか』という動作を入れます」
★日本手話 手を右に移動させるのと同時に首をかしげて「疑問形」にする。
「日本手話を使うろう者は、疑問文の種類によって顎の位置を変えて表現します。『はい / いいえ』で答えるYES / NO疑問文の場合は、文の最後に相手を指差し、顎を引く動作をするのですが、聞こえる人、特に初心者の方にとってこの首の動きはかなり難しいものです。
そのため、手を右側に移動させるのと同時に首をかしげて表現します。顎の位置を変える代わりに、最後に首をかしげるだけでも疑問文として通じると思います」
■ 筆談でお願いします
1.片方の手を広げて紙、もう片方でペンを持つような形をつくる。
2.そのまま、手を前後にスライドさせるように動かす。
「これで、『筆談』という単語になります」
3.右手を顔の前に立て、 頭を軽く下げながら斜め下に移動させる。
「最後に、『お願いします』という手話を行います。これは、日本手話も日本語対応手話も同じです。手話で話しかけると、手話での会話が始まると思います。でも、手話でいっぱい話されても、そこまでわからなくて困るという場合は『筆談でお願いします』と伝えてみてくださいね」
「外国の方に日本語で話しかけてもらえた時にうれしいのと同じように、聴覚障がい者の方も、手話で話しかけてくれると、自分たちに近づいてくれたという思いがしてうれしいのだそうです。間違っていても大丈夫。手話の正しい知識に触れて、ぜひ手話でのコミュニケーションに挑戦してみてくださいね」
プロフィール
テンダー手話&日本語教室 代表 / 鈴木隆子
手話通訳士。日本語教師(日本語教育能力検定試験合格)。手話通訳士として政見放送や各種イベントの手話通訳を担当する傍ら、テンダー手話&日本語教室の代表として活躍。また、日本語教師としての知識を活かし、2008年より日本で唯一の「聴覚障がい者のための手話でおこなう日本語講座」を開講。独自の教授法で、日本語の文法や敬語の使い方、ビジネス文書の書き方などを教授している。「ろう者と聴者の懸け橋に」という想いを胸に、活動を続けている。
テンダー手話&日本語教室 HP
関連書籍
『ろう者と聴者の懸け橋に』鈴木隆子(大月書店)
『ろう者の祈り』中島隆(朝日新聞出版)