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2024/7/21 10:30

小学校教諭からグラビアアイドルに転身。現在は心理士ランナーとして新しい一歩を踏み出したぱつこのユニークな半生に迫る!

元小学校教諭という異色の経歴で2019年にグラビアデビューを果たしたぱつこさん。その後は心理士として働きながらグラビア活動を続ける一方、ランニング界隈でも頭角を現し、「グラドル最速ランナー」という独自の地位を確立。今年4月30日でグラビアを卒業して、「心理士ランナー」として新たな一歩を踏み出した彼女に、これまでの道のりを語ってもらった。

 

ぱつこ…11月21日生まれ。大学卒業後、小学校教諭を経て、大学院で学びながら、2019年にグラビアアイドルとして芸能界デビュー。同年11月、2代目サンスポGoGoクイーン準グランプリを受賞。大学院卒業後、心理士として働きながらグラビア活動を継続。「グラドル最速ランナー」として、ランナーとしても様々な大会やイベントに参加。今年4月30日でグラビアを卒業、現在は「心理士ランナー」として新たな一歩を踏み出している。XInstagramTikTokYouTube

 

【ぱつこさん撮り下ろし写真】

 

グラビアアイドルを目指したきっかけは、おばあちゃんの水着写真

──本日は取材開始が21時と遅めの時間ですが、今日も心理士としてのお仕事があったんですか?

 

ぱつこ そうなんです。もうちょっと早く来られる予定だったんですが、最後の患者さんが長引いて。

 

──心理士として、会社に属しているんですか?

 

ぱつこ 正社員として週5で働いているんですが、副業も認められているんです。

 

──これまで芸能一本で活動したことはあるんですか。

 

ぱつこ 一度もないです。欲張りな性格だから、いろんなことをやりたくて。芸能デビューした2019年も大学院生で、心理士になりたい夢とグラビアアイドルになりたい夢があって、どちらも叶えるために同時並行で進めていったんです。それで大学院卒業後、副業OKの会社に就職してぱつことしてグラビア活動も継続していました。

 

──グラビアアイドルを目指したきっかけは、おばあちゃんの水着写真だったそうですね。

 

ぱつこ 大学院の受験をするにあたって、勉強に集中するために、おばあちゃんの家に半年ぐらい住ませてもらっていた時期があって。二人暮らしをしていたときに、いきなり晩御飯の後に水着の写真を見せられたんです。おじいちゃんが撮影したもので、当時25歳だったおばあちゃんの水着写真。それがあまりにもかわいくてきれいで衝撃を受けたんです。私もおばあちゃんみたいに、いつか若かりし頃の水着写真を孫に見せたいと思って、グラビアアイドルになろうと決心しました。

 

──それまで芸能に興味はあったんですか。

 

ぱつこ 地下アイドルは大好きでしたが、まさか自分が出る側になるとは思わなかったです。

 

──地下アイドルが好きなんですか!

 

ぱつこ 小さい頃からアイドルが好きで、AKB48やハロプロのファンで、モーニング娘。のライブなどに行ってました。私は神奈川出身なんですが、大学生になって東京に出てくる機会も増えて、地下アイドルの現場に行くようになったんです。当時大好きだったのがCY8ER(サイバー)で、解散ライブの武道館公演は大泣きしました。最近だとiLiFE! (アイライフ)というアイドルグループが好きですね。そうやって応援するのは好きだったんですが、自分が応援される側になりたいとは思ったことがなくて。

 

──大学に進学するとき、将来の夢は何だったんですか。

 

ぱつこ その時点で小学校の先生でした。高校2年生で進路を決めなきゃいけないときに信頼できる先生に相談したら、「ぱつこは小学校の先生に向いているよ」と言われたんですよね。それを信じて大学に進学して、小学生の頃からの幼馴染に久しぶりに会ったんです。「小学校の先生になろうと思うんだよね」と話したら、幼馴染が「ぱつこは小学生のときにも『小学校の先生になりたい』と言ってたよ」と驚いていて。すっかり私は忘れていたんですが、運命的なものを感じました。

 

──どんな大学時代を送っていましたか。

 

ぱつこ 自分で言うのも何ですが、かなり破天荒でした(笑)。その年によって全然違うんですが、1年生のときは大学で一人暮らしをしている友達ができて、その子の家に入り浸って、ずーっと『スマブラ』(大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ)をやっていました。2年生になると、「どこまで自分一人で生きていけるか試してみたい」と急に思い立って留学したんです。

 

──どこの国ですか?

 

ぱつこ 「カントリー・ロード」という曲の舞台にもなったアメリカのウェスト・バージニア州です。のどかな地域で、そこに10か月ぐらい滞在したんですが、ドミトリーに住んで、いろんな国の友達ができて。みんなで英語を勉強しながら日々を過ごすうちに、「一人でも生きていけるじゃん!」と確信しました(笑)。現地で通っていた大学には日本語専攻の学部があって、日本好きなアメリカ人たちと交流する機会もあったんです。そのときに「ぱつこはオタクにウケそうだし、メイド服も似合いそう」と言われたので、帰国後、試しにメイド喫茶でバイトを始めたんです。某有名店のメイド喫茶で萌えパワーを注入しまくっていました(笑)。

 

──でんぱ組.incをはじめ、ディアステージが盛り上がっていた時期ですよね。

 

ぱつこ まさにそうです! メイド喫茶の仕事終わりに古川未鈴ちゃんに会いに行って、チェキを撮っていました。

 

──メイド喫茶時代に地下アイドルを好きになったんですね。

 

ぱつこ そうです。メイド喫茶のバイトを始めてから、地下アイドルに触れる機会がたくさんあって。なぜ地下アイドルに惹かれたかというと、メジャーのアイドルと違って一般的な人気はないのに、一生懸命汗をかいてキラキラ頑張っている姿に、「私も頑張ろう、夢をありがとう」みたいな感じで励まされたんです。

 

──大学3年生はどっぷりとオタク文化に浸かっていたと。

 

ぱつこ ところが4年生になって、ある講義がきっかけで、机上で勉強するだけでは満足できず、体を動かして対人関係を養っていく教育プログラムに興味を持ったんです。それで教育インターン生としてプログラムのファシリテーターやリーダーを務めて、大学卒業後は目標通り小学校の先生になりました。

 

──大学在学中の教育実習はいかがでしたか。

 

ぱつこ 教育実習には当たり外れがあるらしくて、私は当たりだったんです。担当したクラスの子たちも良い子ばかりだったし、先生も優しい方ばかり。ちょうど運動会の時期だったので、生徒と一緒に一か月間、ソーラン節を練習して。運動会は一緒に踊れないので、外から応援していたんですが、「一緒に頑張った子たちが、あんなに立派になって……」みたいな(笑)。短い期間でしたけど、すごく楽しかったから、改めて小学校の先生になりたいと思いました。

 

修士論文と並行して芸能活動を行った大学院時代

──夢だった小学校の先生になっていかがでしたか。

 

ぱつこ 思っていた以上に残業が多かったです。一般企業でも同じだと思いますが、いろいろ教えてくれる先生だと教師として、人間として、自分自身の学びにすごく繋がりました。ただ一貫して、教師時代はこの子たちの担任で良かった、やっぱり子どもはかわいいなと感じていました。

 

──1年目から担任だったんですか。

 

ぱつこ そうです。3年間勤めたんですが、1年目は2年生、2年目は4年生、最後の年も2年生の担任をしました。

 

──低学年が多かったんですね。いわゆるモンスターペアレントに直面したことは?

 

ぱつこ まあそれは・・ノーコメントでお願いします(笑)。基本的には応援してくださるお母さんとお父さんが大多数でした。そういえば私の授業参観は、いつもお父さんが多いと職員室で話題になりました(笑)。

 

──そんなあからさまな(笑)。どうして3年で小学校を辞めることにしたんですか。

 

ぱつこ 子どもが好きで、子どもの成長を見届けたくて、小学校の先生になったんですが、2年目の後半ぐらいから、子どもを支援するためには、小学校の先生だと限界があるなと。子どもだけではなく親も一緒に見ることが必要だなと思い始めたんです。そういう仕事はないかと、いろいろ調べていくうちに臨床心理士という資格にたどり着いて。もともと心理学にも興味があったので、大学院に通おうと決断しました。

 

──小学校の先生は人員不足ですから、相当引き留められたのではないでしょうか。

 

ぱつこ 私は欲張りな人間なので、学生時代からいろんなことを並行してやってきて、先生だけで終わるのは物足りない気持ちもあったんですよね。ありがたいことに「先生に向いているのにもったいない」と言われたんですが、自分の決めたことなので心変わりはなかったです。

 

──家族の反応はいかがでしたか。

 

ぱつこ 絶対引き留められると思ったんですが賛成してくれました。私の性格も理解してくれていますしね。

 

──臨床心理学を学んだのは大学院が初めてですか?

 

ぱつこ そうです。学んでみると「深い」の一言に尽きるというか。いろんな心理療法があって、いろんな分析の仕方によって、自分の見方が変わるんです。自分という人間がいるけど、どういった過去の経験や、思考パターンから「自己」というアイデンティティが形成されているのかを勉強しながら自己分析して。生育歴から、こういう経験があって、こういう思いがあったから、今の自分がいるみたいな。自分自身が明るみになるので、ちょっと哲学っぽい感じもあります。

 

グラビアをやっていたことで心理士界隈から叩かれた時期もあった

──芸能活動はどのようなスタートだったんですか。

 

ぱつこ サンケイスポーツさんが主催する「サンスポGoGoクイーン」というオーディションがあって、事務所から「ここでタイトルを獲れば箔がつくから」と言われて受けたんです。審査の一つにライブ配信があって、毎日やる必要はないんですけど、毎日やらないと勝つことが難しくて。だから大学院のお昼休みに食堂でご飯を食べながら配信したり、研究しながら、こっそり配信したりしていました。それで準グランプリを受賞しました。

 

──ご自身がアイドルオタクだから、視聴者の気持ちも分かるのでは。

 

ぱつこ そうなんです! こういうふうに配信してくれたらうれしいだろうなとか、こういうことを言われたら応援したくなるなとか、ファン目線に立ちながらも、変にキャラを作らず、素で話していました。

 

──おばあちゃんに触発されたとはいえ、水着に抵抗はなかったんですか。

 

ぱつこ 最初は恥ずかしかったんですけど、いつの間にか慣れました。今ではどこでも脱げますから。ランニングのお仕事でも、私にとってスポブラは布面積が広いから洋服と一緒なので、その場で着替えます。逆にスタッフの方が慌てて「更衣室があるよ」と言ってくださるんですが、グラビアを始めてからの5年間で感覚がバグりました(笑)。

 

──ランニングを始めたのは、どういうきっかけだったんですか。

 

ぱつこ グラビアを始めてから痩せるためにランニングはしていたんですが、お仕事にしようとは全然思っていなくて。そもそも学生時代はマラソン大会も嫌でしたし、足の速さも上の下ぐらいでした。ただサンスポさん主催のマラソン大会があって、グラビアアイドル枠みたいな感じで呼ばれて、ハーフを走ってみたら、あと一人抜いたら入賞だったんです。そのときに、「頑張ればマラソンのお仕事がもらえるよ」と言われて、そこから本格的に始めました。サンスポの方も応援してくださって、練習会やジムを紹介してくれて、ちゃんと練習するようになったんです。

 

──まさに「サンスポGoGoクイーン」準グランプリの称号がプラスになったんですね。

 

ぱつこ ところが直後にコロナ禍になって、次々とマラソン大会が中止になってしまったんです。でも走ることは続けて、いつか再開するマラソン大会のために力を蓄えていました。そうこうしているうちにランニング界隈の間で、「グラビアアイドルで足の速い子がいるらしい」みたいな噂が広がって、いろいろ声をかけていただいて。YouTubeのコラボをさせていただいたり、ゲストランナーとして招待してくださったりと、ランニング界隈でどんどん人脈が広がっていきました。一生グラビアをやりたい訳ではなかったですし、そもそも第一の目的は孫に見せる水着素材を集めるためですから(笑)。水着素材は十分集まったので、徐々にランニングのほうに比重を置いていきました。

 

──いろいろな雑誌のグラビアを飾ったり、イメージDVDやデジタル写真集を出したりと、グラビアでも十分活躍していましたよね。

 

ぱつこ でも長くグラビアアイドルとして活躍できる自信がなかったんですよね。私は一応Dカップあるんですけど、一般で言ったら適乳じゃないですか。ところがグラビア界隈だと貧乳なんです(笑)。皆さん、爆発しそうなメロンを抱えている方たちばかりなので、これでは勝てないなと。私にグラビアアイドルとしての存在意義があるのかって悩み始めて、大きな壁にぶつかったんです。

 

──どのように、その壁を乗り越えたんですか。

 

ぱつこ 自分にはランニングと心理士という武器があるから、そこを繋げていったら、オンリーワンになれると思ったんです。ところが一時期、「グラビアをやっている心理士がいる」と心理士周辺でめっちゃ叩かれたんですよ。当時は資格を取り立てだったから、剥奪されたらどうしようと不安になっちゃって、それで心理士というのは公に言うのをやめようと。ただランニングとグラビアは、心理士に比べたら相性が良かったので、そのときに「グラドル最速ランナー」という肩書きを自分で付けたんです。

 

──ちなみにランニングに打ち込むと、胸は落ちないんですか。

 

ぱつこ おっぱいは脂肪なので最初に落ちます。でもカリカリになると、それ以上は減らないんです(笑)。ランニングを始めてから、明らかに胸がちっちゃくなっているなと思って、何度も下着屋さんで計測してもらったんですが、そのたびに変わらずDカップありますと。カップ数はトップとアンダーの差なので、全体的に痩せると高低差は変わらないんです。だから下着屋さんに行くたびに安心しました(笑)。

 

──今年4月30日でグラビアを卒業したのは、どういう経緯があったのでしょうか。

 

ぱつこ 2年ぐらい前から、心理士としてのキャリアを積んだら、グラビアを卒業して、次は「心理士ランナー」として活動していきたいと考えていました。それで今年4月でグラビア活動を始めて5年が経つので、良い節目だなと思って卒業しました。

 

──大学院卒業後、心理士としてはどんなキャリアを積んできたのでしょうか。

 

ぱつこ 大学院卒業後、すぐに就職して、最初は子どもたちの心理検査を取る仕事をしていました。次第に子どもたちと関わりたい気持ちが芽生えてきたので2年で転職。障害のある子どもたちが通う学童で働き、子どもと関わりながら、心理の支援をしたり、カウンセリングを行ったりしていました。

 

──今後どういう活動を考えているのでしょうか。

 

ぱつこ 心理士ランナーとしては、ランナーさんに向けたメンタルトレーニングというか、走っている最中につらくなったらどうするかなど、ポジティブに考える方法を今まで学んできた理論を交えて伝えていきたいです。ランナーとしては、自分自身のベストタイムを更新したいですね。心理士としては、子どもを支援するには親への支援も必要だということで、最近流行り出しているのが「ペアレントトレーニング」という分野で。お母さんお父さんに、子どもとの関わり方を教えてあげることで、子どの自己肯定感や学力が上がるという研究がアメリカを中心に進んでいるので、それを日本でも取り入れる活動をしていきたいです。あとは、もっともっと知識や経験を積んで、多くの人たちに心理学の知識を分かりやすく伝えられるような活動ができたらいいなと思っています。それで、いつか『サンデージャポン』に文化人枠で出演したいですね(笑)。

 

<ぱつこさんインタビューは後編に続く>

7/22(月)午前10時30分公開
仕事の悩み、体調の悩み、心の悩み……心理士ランナー・ぱつこが社会人の抱えるお悩みにお答えします!

 

 

撮影/河野優太 取材・文/猪口貴裕