おもしろローカル線の旅20 〜〜JR和田岬線(兵庫県)〜〜
兵庫県内を走るJR和田岬線と阪神武庫川線。両線ともに起点駅から乗車してほんの数分、あっという間に終点駅に着いてしまう。そんな短めのローカル線だ。
今どき珍しいレトロな電車が走る2本の路線。とても短いが、見どころは満載だ。乗って歩いて調べると、興味深い歴史や、気になる事柄も現れてきた。魅力満載の両路線に乗り、線路沿いに歩いた、そのレポートを2回にわたってお届けする。まずはJR和田岬線から紹介していこう。
〈JR和田岬線〉
【和田岬線の魅力1】貴重になってきた国鉄型103系が走る路線
まず和田岬線の概要を触れておこう。
開業 | 1890年(明治23)年7月8日 |
路線名 | 山陽本線支線(通称:和田岬線) |
路線と距離 | 兵庫駅〜和田岬駅2.7km(乗車時間3〜4分) |
駅数 | 2駅(起点・終点駅を含む) |
使用車両 | 103系(207系) |
和田岬線の正式な路線名は山陽本線支線。通称が和田岬線となる。和田岬線という名は通称ではあるが、ここでは一般的に親しまれている、和田岬線の名で紹介していこう。
路線の開業は1890年(明治23)年のこと。現在のJR山陽本線を開業させた山陽鉄道が、貨物支線として兵庫駅と和田崎町駅(後の和田岬駅)間に線路を敷いたことに始まる。1911(明治39)年11月1日には旅客営業が開始された。
路線は、兵庫港から貨物を運ぶ路線として設けられた。その後に港湾部の工場への引込線も続々と敷かれていった。
現在は通勤客の輸送が主体となっている。とくに和田岬駅に近くにある三菱重工業神戸造船所へ通う人たちの利用が多い。さらに沿線にある川崎重工業兵庫工場で新製された車両を甲種輸送する時にも欠かせない路線となっている。
使われている車両は103系で車体の色が青22号(スカイブルー)で塗られている。103系といえば、昭和の経済成長期、首都圏や京阪神の主要路線を走り続けた代表的な国鉄形通勤電車である。
3447両と大量に製造された103系だが、さすがに誕生してから半世紀を過ぎ、現役車両が走るのはJR西日本とJR九州の路線のみ。とくにここ数年は急激に車両数を減らしている。現在、JR西日本では奈良線と播但線(ばんたんせん)、加古川線、そして和田岬線と希少になっている。さらにオリジナルな姿をよく残した車両となると奈良線と和田岬線のみだ。うち奈良線の103系は編成数が激減し、消滅は時間の問題とされている。神戸市内を走る和田岬線は、103系が走る希少な路線となっているのだ。
この和田岬線、列車が走るのは朝の7時〜9時の間と19時〜22時のみと通勤客に合わせた運行になっている。週末の土曜日こそ朝晩に走るものの本数は少なめ。さらに休日ともなると7時と17時台に各1往復となる。都市部の路線なのに日中や週末は走らない“超閑散路線”となっている。
【和田岬線の魅力2】つい興味が湧いてしまう車両工場の様子
筆者は神戸を訪れるたびに和田岬線に立ち寄っている。路線を巡る場合に、片道は103系に乗車して懐かしの通勤電車の雰囲気を楽しむ。帰りは路線沿いを歩くという巡り方が多い。ここでは兵庫駅を起点に沿線の様子を見ていくことにしよう。
まずは兵庫駅の南口を出て和田岬線が伸びる南西方面へ歩いていく。駅前は「キャナルタウン」として再開発されている。ここにはかつて国鉄兵庫貨物駅があり、操車場として使われていた。5.5haにもわたる広大な敷地内には兵庫をイメージした運河(キャナル)が流れ、おしゃれな雰囲気に生まれ変わっている。
JR山陽本線とほぼ平行に走るのが国道2号。上空を阪神高速3号神戸線が通る。この幹線道路を渡った南側からは、ほぼ和田岬線の線路沿いに歩くことができる。
さて国道2号の高架橋を越えてすぐ南側。現在、和田岬線からの唯一の引込線となった線路が工場内に延びている。塀に囲まれた中に川崎重工業兵庫工場がある。
川崎重工業兵庫工場は、川崎造船所の鉄道車両工場として創設された。以来1世紀以上にわたり、鉄道車両を造り続けてきた。古くは満州鉄道向けのパシナ形蒸気機関車、小田急電鉄の初代ロマンスカー、国鉄の特急こだま、0系新幹線と名車両を数多く製造。現在でもJR東日本などの新幹線車両、クルーズトレインTRAIN SUITE四季島などを生み出してきた。
訪れた時は、ちょうどJR西日本の大阪環状線用323系が出庫直前らしく入口近くに停められていた。この塀の中に、どのような車両が停められているか、いつ通っても気になるところだ。
現在、この川崎重工業の鉄道部門が経営危機に陥っているとされる。2018年の10月に発表された2018年度の中間決算では、売上高の1割を占める鉄道車両事業が本業の足を引っ張っているとされ、88億円の営業損失を出したと報道された。米国向け地下鉄車両の不備および、東海道新幹線の台車の亀裂事故など、川崎重工業の鉄道事業の先行きを危ぶむ事象も多い。
鉄道事業からの撤退も視野に入れているという同社。この和田岬線からの引込線が今後どうなっていくのかも気になるところだ。
【和田岬線の魅力3】兵庫運河を渡る風変わりな形の橋は?
川崎重工業兵庫工場の前から、さらに和田岬線を先に進む。
和田岬駅までの途中で注目したいのは兵庫運河に架かる橋だ。中央部の橋脚が丸くなっている。鉄橋の形自体もY字形をしておもしろい。和田旋回橋と呼ばれるこの橋。その名のとおり、以前は中央の橋脚を支点にして、回すことができた。回して船を通したわけだ。
竣工したのは1899(明治32)年のことで、わが国で造られた最初の旋回橋であり、かつ最初の鉄道可動橋だった。今は動かないものの、非常に貴重な産業遺産でもあるのだ。
【和田岬線の魅力4】踏切で昭和のレトロな風景がよみがえる
全線が地上を走る和田岬線。当然のごとく道路と交差するポイントには踏切が設けられる。その数、計7か所。そこを103系が通過する。
近年、都市部では路線の高架化が進み、車やバイクが踏切待ちをする風景が少しずつ減ってきている。さらに103系という昭和を代表する鉄道車両。103系が通り過ぎるこの路線では、昭和の風景が今でも息づいているように感じた。
【和田岬線の現状】黒字路線なのに廃止論議が浮かび上がる不思議
現在、和田岬駅はJR和田岬線の和田岬駅と、2001(平成13)年に開業した神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅がある。
地下鉄海岸線の開業でJR和田岬線の利用者が3割、減った。それでも和田岬線の1日の乗車人数は約1万人とされている。朝夕のみの運行と、利用者に合わせ効率的な列車の走らせ方をしていることもあり、本数の少ないローカル線ながら立派な黒字路線となっている。
一方で、2010年に「運河の中央部をまたぐ和田岬線が船の航行を阻害し……」という理由から、神戸市議会が和田岬線の廃止を求める要望をJR西日本へ提出した。地元の神戸市では兵庫運河を利用した「ウォーターフロント計画」を進めている。その計画を立てる上で和田岬線の和田旋回橋があることで、観光船を通すことができない、と邪魔もの扱いされたのである。
黒字路線なのに廃止を、と訴えた例は国内では皆無ではないだろうか。早ければ2012年度には廃止を、という話まで浮かびあがった。その後、路線が走る地元や利用者からは廃止反対の声が巻き起こり、また市民からも多くの反対意見が寄せられた。
JR山陽本線を通勤に利用する人が和田岬駅近くの工場へ通う場合に、和田岬線を使えば圧倒的に便利だ。市営地下鉄は乗換えが不便と、敬遠する人も多い。
現在は、廃止論議が納まりつつあるものの、沿線にある川崎重工業の経営悪化という問題もあり、この先、和田岬線がどうなっていくのか注目される。