おもしろローカル線の旅25 〜〜西日本鉄道貝塚線(福岡県)〜〜
福岡市近郊を走るJR九州の香椎線(かしいせん)と、西日本鉄道の貝塚線。両線とも、博多湾鉄道(後の博多湾鉄道汽船)という会社が路線を開業させた。
今回はその2として太平洋戦争後に香椎線と別の道を歩むことになった貝塚線の沿線を巡ってみよう。11.0kmの短い路線ながら興味深いことがらが多く浮かび上がってきた。さらに栄枯盛衰のドラマが隠されていたのだった。
【貝塚線の歴史と概要】博多湾鉄道汽船が手がけた路線だったが
まず貝塚線の歴史を見ていこう。同線は前述したように香椎線と同じく博多湾鉄道(貝塚線開業当時は博多湾鉄道汽船と名称変更)が開業させた路線だ。
路線開業 | 博多湾鉄道汽船により1924(大正13)年5月23日に新博多駅(のちの千鳥橋電停)〜和白駅(わじろえき)間が開業翌年7月11日に宮地岳駅(みやじだけえき)まで延伸される |
現在の路線と距離 | 西鉄貝塚線・貝塚駅〜西鉄新宮駅(にしてつしんぐうえき)間11.0km |
軌間(線路幅)・電化 | 1067mm・直流1500V電化 |
香椎線と同じように1942(昭和17)年に西日本鉄道(西鉄)の路線となった。路線名は宮地岳線(みやじだけせん)と変更されている。
路線を開業させた博多湾鉄道汽船は、福岡市の中心と近郊を結ぶ通勤・通学路線として成長させたかったのだろう。1929(昭和4)年には早くも全線を直流1500Vで電化している。
太平洋戦争中の1944(昭和19)年に香椎線は国鉄に組み込まれたが、貝塚線は、西鉄の路線のまま戦後を迎えた。その後の路線の延長や廃止、一部区間の線路幅の変更などが頻繁に行われる。簡単に見ておこう。
1951(昭和26)年7月1日 | 宮地岳駅〜津屋崎駅間が開業。 |
1954(昭和29)年3月5日 | 西鉄博多(旧・新博多駅、後の千鳥橋電停)〜西鉄多々良駅(現・貝塚駅)間を標準軌に改軌、直流600Vに降圧。西鉄・福岡市内線(路面電車)の路線に組み込まれる。 |
1979(昭和54)年2月11日 | 千鳥橋〜貝塚間を廃止 ※1986(昭和61)年11月12日に福岡市地下鉄箱崎線が貝塚駅まで開業するまで、貝塚駅で他線への乗継ぎができない状態に。 |
2007(平成19)年4月1日 | 西鉄新宮駅〜津屋崎駅間を廃止、路線名を宮地岳線から貝塚線に変更。 |
路線開業当初は、上記の地図を見てわかるように、福岡市の市街地のすぐ近くまで路線が延びている。市内を路面電車にのれば、容易に市内各所へ行くことができた。
その後に市内を走っていた西鉄の軌道線が廃止され、同時に貝塚駅までつながる旧路線も廃止されてしまう。地下鉄の箱崎線が開通するまで、一時期、貝塚駅は陸の孤島と化してしまうのである。
【貝塚線を巡る旅1】貝塚駅で向かい合う西鉄と地下鉄の改札口
さて貝塚線の電車に乗車してみよう。まずは貝塚駅へ向かう。福岡市地下鉄箱崎線の終点駅、貝塚駅で電車を降りる。改札口を出ると目の前に貝塚線の改札口がある。両線とも地上駅で高さも同じだ。
こうした接続駅も珍しい。階段を上り下りする必要がなく、便利ではあるのだが、なぜ電車の相互乗り入れが行われていないのか不思議に感じる。ちなみに福岡市地下鉄空港線(箱崎線と利用車両は同じ)の電車はJR筑肥線と相互乗り入れを行っている。
工事そのものは駅のこうした構造から難しくはない。そのため、地元福岡市では何度も乗り入れが検討してきた。ところが、地下鉄箱崎線の電車は6両編成。貝塚線は2両編成と短い。車両編成を変えるとなると、駅ホームなどの改良工事が必要となる。車両編成を延ばしてまで乗り入れが必要かどうか、福岡市の財政問題も含め、今まで計画が進まなかったひとつの原因だとされる。
貝塚線に乗車して感じることだが、2両編成の電車はそれほど混雑していない。日中は適度に空いていると言って良いだろう。
鉄道には「輸送密度」という、混雑度を測るスケールがあるが、2015年度で貝塚線は8074だ。これはJR東日本の路線にあてはめると45位の東金線(大網駅〜成東駅間)の8149よりも低い数値。地方の大都市圏にある鉄道といっても、なかなか運営は厳しいことを裏付ける。
【貝塚線を巡る旅2】貨物線と平行して走る路線ならではの楽しみ
さて貝塚線に乗車してみよう。路線を走る電車はすべてが600形だ。
同車両、大牟田線(現・天神大牟田線)用に1962(昭和37)年から1972(昭和47)年に製造した電車で、冷房化、台車を変更されるなどして、貝塚線に投入されている。やや武骨なスタイルながら、屋根から側面にかけて緩やかにカーブを描くスタイルが特徴となっている。
電車は朝晩がおよそ10分間隔、日中は15分間隔で、便利だ。貝塚駅を出ると右手に貝塚線の車庫(多々良車庫)が見える。さらに多々良川を渡る手前で、左手から1本の線路が近づいてくる。多々良川橋梁では並走、次の名島駅(なじまえき)の手前で立体交差して、線路はJR鹿児島本線に合流していく。
並走、そして立体交差した線路は通称・博多臨港線と呼ばれる鹿児島本線の貨物支線だ。西鉄の名島駅のちょうど目の前にある千早操車場から分岐、福岡貨物ターミナル駅へ向かう。ちなみに千早操車場では、福岡貨物ターミナル駅から熊本、鹿児島方面へ向かう貨物列車の機関車付け替え作業も行われている。
貨物列車好きにはたまらないシーンが駅のホームから見えるというわけだ。
さて先を急ごう。名島駅付近から高架路線を走る貝塚線。次の西鉄千早駅ではJR千早駅の乗換駅となっていて、乗降客も多い。西鉄香椎駅付近まで高架が続く。ちなみに西鉄香椎駅などの高架駅は、6両化が容易な構造となっている。地下鉄箱崎線との相互乗り入れを念頭においた準備も一部の駅では行われていたわけだ。
西鉄香椎駅の次は香椎花園前駅だ。駅前に「かしいかえんシルバニアガーデン」がある。西鉄が運営する遊園地で「花の遊園地」とも呼ばれる。
1938(昭和13)年に貝塚線を開業させた博多湾鉄道汽船が「香椎チューリップ園」としてオープンさせた。四季それぞれ花が楽しめる遊園地。花好きの方は訪れてみてはいかがだろう。
地図を見ると博多湾、そして玄界灘沿いに走っている貝塚線ではあるが、車窓から海が見えるのは、和白駅近くにある、香椎線との立体交差区間ぐらいだ。このあたりもう少し見えるとリゾート路線の気分が盛り上がるのだろうに、とちょっと残念に感じた。
【貝塚線を巡る旅3】海岸にも近い貝塚線終点の西鉄新宮駅
香椎線との接続駅、和白駅の次は三苫駅(みとまえき)。この駅を過ぎると、急に景色は郊外の風景となり、車窓に田畑が広がり出す。
湊川を越えればまもなく西鉄新宮駅(にしてつしんぐうえき)だ。終点までは貝塚駅から22〜24分ほどと近い。駅前には商店も無く、路線の終着駅とは思えない。電車が到着しても降りる人影はまばら。寂しさが感じられた。ちなみに路線の先、線路跡のスペースにはバス乗り場が設置されていた。
ほぼ一世紀前に博多湾鉄道という会社により沿線開発が進められた香椎線と貝塚線。前者はJRの路線となり、後者は西鉄の路線として歩んできた。
たぶん、会社の創始者たちは、福岡市の発展とともに薔薇色の未来を思い描いたことだろう。しかし、香椎線は福岡という大都市圏の路線にも関わらず非電化のまま(追記:2019年3月16日からBEC819系DENCHAが登場することになる、ようやく香椎線も新たな時代が訪れることになった)。また貝塚線は路線短縮され、地下鉄との乗り入れもままならない。
JR鹿児島本線という強いライバルが平行して走る。さらに福岡市が西エリア、南エリアの発展が著しいのに対して、東と北エリアは、福岡市と行政区が異なり、市町が細かく分かれている。諸事情が重なり、両線の成長度合は鈍い。
松尾芭蕉は「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」と詠んだ。福岡市の東と北エリアに敷かれた香椎線、貝塚線を乗り巡ってみた思いはまさにこの句のようだった。一時代は活況を見せた両線だが、現状を見るにつけ、将来を見越すこと、さらに舵取りの難しさを教えてくれるようだった。