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2019/1/19 17:30

閑散路線「南海加太線」が人気路線に様変わりーー鯛で人を釣った「めでたいでんしゃ」

おもしろローカル線の旅28 〜〜南海加太線(和歌山県)〜〜

 

鯛で人を釣る—―この言葉は南海電気鉄道(以下「南海」と略)の南海加太線(かだせん)のPRパンフにあったもの。南海加太線には「めでたいでんしゃ」と名付けられたピンク色の「さち」と水色の「かい」の2編成の観光列車が走る。

 

加太名物の鯛をイメージした「めでたいでんしゃ」を走らせたことで、和歌山のローカル線が俄然、注目を浴びる人気路線となった。実際に鯛で人が釣れたわけだ。そんな「めでたいでんしゃ」の楽しさとともに沿線模様をお届けしたい。

 

 

【めでたい最新情報】「さち」と「かい」が新婚旅行に出る!

南海加太線の電車は和歌山市駅と和歌山県最西端の駅、加太駅を結んで走る。まずは観光列車「めでたいでんしゃ」にまつわる最新イベント情報から紹介しよう。

↑2016年4月末から走り始めたピンク色の「めでたいでんしゃ さち」。鯛をイメージした車体が目立つ。同線には「加太さかな線」という愛称も付けられるようになった

 

 2本の「めでたいでんしゃ」。ピンク色の「さち」が女の子で、水色の「かい」は男の子だそうだ。人気の車両となり、さらに擬人化されてしまった。すでに2018年11月23日には終点の加太駅で「かい」と「さち」の結婚式イベントが開かれた。

 

さらに1月26日(土曜日)に2本の電車が“初めて”連結。和歌山市駅から大阪市内の難波駅まで仲良く手をつなぎ(?)新婚旅行に出る(和歌山市駅〜難波駅を往復運転の予定)。途中の貝塚駅では一般向けの見学会も開かれる。

 

関西の鉄道会社らしい、なんとも乗りの良さが感じられるイベントとなりそうだ。

 

 

【めでたい加太線の歴史】すでに100年以上の歴史も持つ老舗路線

「めでたいでんしゃ」で華やぐ南海加太線だが、歴史は古い。路線開業と路線概要に触れておこう。

路線開業1912(明治45)年6月16日、加太軽便鉄道の和歌山口駅(初代の駅、後に北島駅に名を変更=廃駅)〜加太駅間が開業
現在の路線と距離紀ノ川駅〜加太駅間9.6km
駅数8駅(起終点を含める)
軌間と電化1067mm、1500V直流電化

 

加太線は紀ノ川駅(起点)、加太駅(終点)間を指す。だが、加太線の電車はすべてが紀ノ川駅の一つ先の和歌山市駅と加太駅との間を往復している。

 

路線誕生時は軽便鉄道だった。当初は紀の川を渡る橋がなく、加太駅と和歌山口駅(廃駅)の間に路線が敷かれた。1914(大正3)年に紀の川をわたる橋梁が完成し、現在の和歌山市駅の近くに旧加太線の駅が設けられた。

↑東松江駅の東側を流れる土入川(どにゅうがわ)を渡る「めでたいでんしゃ さち」。この橋の先から旧加太線が和歌山市駅を直接結ぶように延びていた

 

1930(昭和5)年に電化され、社名が加太軽便鉄道から加太電気鉄道と変更された。太平洋戦争当時の1942(昭和17)年に南海と合併する。太平洋戦争の終戦前後に、一時期、近畿日本鉄道と合併したが、1947(昭和22)年に再び南海の路線に戻った。

 

路線は長らく東松江駅と和歌山市駅間が直接に結ばれていたが(上記地図の点線を参照)、1944(昭和19)年に松江線(現・南海本線)が開業した。1950(昭和25)年から加太線の電車は、松江線を通り紀ノ川駅経由で運行が開始された。

 

ちょうどその直後にジェーン台風で、旧加太線の紀の川橋梁が破損したことから、和歌山市駅と東松江駅を結ぶ路線の一部が営業休止した。さらに1966(昭和41)年にはこの旧線が廃止となった。

 

2012(平成24)年には開業100周年を迎えている。そこで「ありがとう! 加太線100年まつり」が開催された。とはいえ、乗客数は低迷気味で厳しい状態が続いていた。

 

ちなみに、おなじ和歌山県内を走る南海の貴志川線(きしがわせん)は同じように苦境に陥り、2006年4月に運行が和歌山電鐵に引き継がれた。ご存知の方も多いかも知れないが、和歌山電鐵となった後は、走る電車を「いちご電車」「おもちゃ電車」といったユニークな観光列車にリメーク。さらに終点の貴志駅にネコ駅長を就任させるなどして、利用客の増加に結びつけた。

↑和歌山電鐵貴志川線を走る「いちご電車」。元南海の2270系がリメークされて使われる。こうしたユニーク電車を次々に生み出し、利用客の増加に結びつけた。至近な成功例であり、ローカル線活性化の良きお手本になっているとも言えるだろう
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