【再発見の旅④】山北といえば御殿場線を彩る桜並木が名物に
松田駅へ戻り、次に山北駅を目指す。
山北駅は前述したように、東海道本線だった当時は、駅に隣接する地には広大な機関区があった。構内には転車台が2つあったとされる。鉄道の町として栄え、最盛期には650人もの鉄道関係者が働いていたそうだ。
そうした賑わいを今は偲ぶ術はないが、一年に一度、多くの観光客で賑わうのが「やまきた桜まつり」の期間だ。今年は3月16日(土曜)〜4月14日(日曜)の開催の予定だ。御殿場線沿いに130本の桜が植えられ、名物となっている。列車を包み込むように咲く桜。ぜひともこの時期に訪れたいところだ。
この山北駅。鉄道好きにとって見逃せないのが、山北鉄道公園に保存されるD52形70号機だ。御殿場線は1968年6月30日まで蒸気機関車が走り続けた。その最後まで残って活躍した中の1両がこの70号機だった。
山北駅の南側、公園内に12mの線路が敷かれ、2016年にはコンプレッサーによる圧縮空気を利用して動かせるように整備された。残念なのは、D52の整備運転が平日に行われること。中心となり活動されていた国鉄OBの方が不慮の事故で亡くなられたため、鳥取県を走る若桜鉄道(わかさてつどう)のスタッフに応援を頼み、月に1回、整備運転を行っている。
走らせる線路を延長させる計画などもあるが、SLともなると誰もが整備し、運転できる乗り物ではない。特殊な技術が必要なだけに難しい課題があるようだ。
【再発見の旅⑤】山北駅から一転してトンネルと橋が連続する
山北駅から車窓風景は一転する。山肌を縫うように酒匂川が右そして左へ蛇行し続ける。山北駅、谷峨駅(やがえき)、駿河小山駅までの8.7km区間は険阻な地形そのものだ。だが、路線は蛇行する河川を無視するかのように、直線路で越えていく。
直線的に線路を通したために、トンネルと橋梁が多い。トンネルは「箱根第1号トンネル」から「箱根第7号トンネル」まで7本が連続する。本流の酒匂川、静岡県に入ると酒匂川の源流、鮎沢川と、そのまた支流を10本の橋梁で渡る。
トンネルは単線用の2本のトンネルを平行して設けた場所が多い。そのため現在も使われているトンネルと、廃線となったもう1本のトンネルが平行して残っている箇所が多い。橋梁も複線当時に利用した橋桁が各所に残る。
山肌を縫って路線を敷くことの多いローカル線とは違い、少しでも列車をスムーズに走らせることができるようにトンネルと橋梁を数多く設け、険路を越えている。建設した明治の鉄道マンたちの“すごみ”が伝わってくるようだった。
それにしてもトンネルがなぜ「箱根第○号」という名前になっているのだろうか。ここは箱根ではないのだが。
江戸時代から東海道で最も難所と言われ続けてきた“箱根越え”。東海道に鉄道を通す時にも箱根越えは大きな課題となった。そして御殿場線が “箱根越え”ルートとして設けられた。路線は箱根山の外輪山にあたる金時山や明神ケ岳の麓を通る。厳密に言えば、金時山や明神ケ岳まで箱根山に含むというのは無理があるようにも感じるが、当時は、険阻な箱根越えルートということで「箱根」の名が付けられたのだろう。
さて写真で見ると橋梁やトンネルは険阻な場所を通っている印象が強い。ところが、周囲を見渡すと、東名高速道路が御殿場線のはるか上空を通っている。
明治期に鉄道マンを悩ませ苦難の末に造られた路線も、現代の技術ならば苦もなくトンネルで通り抜け、谷に広大な橋を造ってしまう。御殿場線は長年かかって培われた土木技術の差を大きく感じさせてしまう路線でもあった。