【久留里線で発見③】かつて久留里線を走った気動車はどこへ?
久留里線に乗車する前に、かつて久留里線を走った車両を振り返っておこう。2012年12月1日までは久留里線は国鉄時代に造られた気動車の宝庫だった。それこそ首都圏最後の“聖地”だった。乗車する人の少ないローカル線だからこその車両のやりくりでもあったのだが。
この当時、すでに貴重となっていた国鉄型気動車に乗ろうと訪れたという人も多いのではないだろうか。
上記の3タイプの国鉄型気動車が消えてすでに7年がたった。久留里線の車両は、キハE130系にすべてが置き換えられた。
古い車両はさてどこへ? 3タイプとも岡山県を走る水島臨海鉄道へ移っていた。中でも希少車だったキハ37形は久留里線を走った3両すべてが譲渡され、現在も朝夕を中心に走り続けている。久留里線で乗れなくなったのは残念ながら、国内で生き続けていることに少しほっとさせられた。
【久留里線で発見④】終点まで走る直通列車は日に5本のみだった
余談が長くなった。千葉駅から内房線に乗車、久留里線の起点、木更津駅へ向かおう。千葉駅から木更津駅へは40分ほどだ。
内房線の下り列車は木更津駅の3番線ホームに着く。ちょうど向かい側の4番線ホームが久留里線の発着ホームで便利だ。ここに2両編成のキハE130系が停車していた。
久留里線を走るキハE130系は100番台とされ、正面が白地に黄色と緑色、側面の乗降扉は黄色、窓部分は明るい青と緑と、房総を走る列車らしく明るい車体カラーとなっている。
乗降ドアを「開ける」スイッチを押して乗り込む。この日はやや肌寒い日だったこともあり、車内にあるボタンを押してドアを閉めた。停車中の2両編成の列車に乗る人は約20人。だが、この列車を寒さよけの待合室に使っていた人もいて、内房線の列車の到着時間が近づくと、ばらばらと降りていった。このあたり、久留里線らしいのんびりさが感じられた。
ところで、木更津駅発の列車だが、終点の上総亀山駅まで通して走る列車は非常に少ない。日に5本しかない。それに対して久留里駅止まりの列車が計12本と多い。全線を通して走る列車を含めると久留里駅まではほぼ1時間おきに列車が走っている。
なぜ、久留里駅止まりの列車が多いのだろう。その理由は久留里線に乗車すれば良く分かる(詳細後述)。
全線を通して走る列車は少なめながら、久留里線の旅では下りか上りかどちらか全線を通して乗車したい。ちなみに久留里駅の先、久留里駅〜上総亀山駅間を走る列車は夕方のみ3往復が走っている。
【久留里線で発見⑤】路線はほぼ小櫃川に沿って走っていく
木更津駅を発車した列車は間もなく内房線の線路と分かれ右に大きくカーブしていく。2つめの上総清川駅の手前で進行方向の左側に川が見えてくる。この川が小櫃川(おびつがわ)だ。
小櫃川は二級河川ながら、千葉県内では利根川に次ぐ2番目の長さを持つ。久留里線は、この小櫃川にほぼ沿って走っている。小櫃川は全流域でくねくねと蛇行しながら流れている。特に中流域にあたる久留里駅付近から上流の蛇行ぶりが際立っている。
この蛇行こそ房総半島の内陸部の険しさ、さらに複雑な地形を物語っているものと言えるだろう。しかし、久留里線は途中駅の小櫃駅、俵田駅(たわらだえき)付近までは、その険しさを感じさせることなく、周囲に田畑が広がる平野部をひたすら走る。
小櫃駅を過ぎると周囲に小さな山が見え始め、列車もカーブを描きつつ、やや勾配を登り始める。千葉県立君津青葉高のグラウンドが見えたら、間もなく久留里駅に到着する。
朝に走る下り列車に乗っていると、途中駅から徐々に通学に利用する学生たちが増えていき、久留里駅に到着すると、ほとんどが下車していく。つまり久留里線の平日は、通学客が大半というわけだ。そのため、朝夕の列車は2〜3両編成に増結される。一方で日中の列車は1両単独で走る列車も現れる。