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2019/4/13 17:30

知多半島を走る愛知最古の路線「武豊線」で10の謎を解く

【武豊線の謎③】大府駅から分岐する線路の1本が非電化という謎

↑武豊線の起点となる大府駅。東海道本線のホームにはさまれるように武豊線の2・3番線ホームがある(右側、屋根が短めのホーム)

 

大府駅から武豊線の列車に乗ってみよう。日中は2番線ホームを利用しての折り返し運転が行われている。列車は2両編成で、運転士のみのワンマン運転だ。

 

起点の大府駅からは313系のセミクロスシートの座席をほぼ埋めるぐらいの人が乗り込んだ。ドアは半自動で、駅の停車時には中から開閉できる仕組みだ。

 

駅を発車すると坂をのぼり、東海道本線の路線を高架で越える。しばらく走ると、右手から非電化の線路が合流してくる。さて、この線路は何だろう?

↑大府駅構内には貨物列車の入れ替え用の線路が多く並んでいる。構内で良く見かける衣浦(きぬうら)臨海鉄道のディーゼル機関車。自社の専用線から武豊線の大府駅まで乗り入れている。大府駅から先はJR貨物の電気機関車が引き継ぎ貨物列車の牽引を行う

 

↑国道155号の大府跨線橋から東海道本線と武豊線の分岐点を眺める。武豊線の列車は左手の立体交差で東海道本線を跨ぐ。一方、衣浦臨海鉄道の機関車が牽く貨物列車は、右側の線路を走り武豊線へ入る。東海道本線は同ポイントから左へ大きくカーブしている

 

大府駅の先で合流した非電化の線路は、貨物列車専用に用意されたもの。衣浦臨海鉄道のディーゼル機関車が大府駅でJR貨物から貨車を引き継ぎ、この貨物列車専用の線路を利用して武豊線へ入る。機関車は武豊線の東浦駅と東成岩駅(ひがしならわえき)から衣浦臨海鉄道の路線へ乗り入れている。

 

各地に臨海鉄道が走っているが、自社路線以外にJRの路線まで機関車が乗り入れるケースは非常に少ない。武豊線ではそうした珍しい光景を見ることができる(ほかには岡山県の水島臨海鉄道がJR山陽本線へ乗り入れている)。

 

 

【武豊線の謎④】亀崎駅には明治生まれの日本最古の駅舎が残る

大府駅を発車、次の尾張森岡駅を過ぎるころから東側(進行方向の左側)に水田、西側(進行方向の右側)に住宅が続く。

↑尾張森岡駅〜緒川駅(おがわえき)間を走る313系電車。路線の東側には広々した田園風景が、西側には住宅地が広がる。東側で風景が異なるのは緒川駅前(大型ショッピングセンターが建つ)ぐらいだ。こうした傾向は、先の亀崎駅近くまで続く

 

地図を見ると、武豊線の東側には境川、逢妻川といった河川が合流して衣浦港へ注ぐ。河川の水利を利用しての米栽培と、港が近いことを活かし、工業団地化が進んだ。対して西側には知多半島を南北に結ぶ国道366号が貫く。この国道沿いに住宅地、商業地が連なり発展した。

 

鉄道路線を境にしてこうした区分けが自然と生まれているところが興味深い。

↑日本最古の現役駅舎とされる亀崎駅。シンプルな木造駅舎で、軒先が延びる姿が趣深い。入口の上部には建物資産標(右上写真)が付き、建てられた年月が刻印される。せっかくの古い駅舎だが、入口横に自動販売機を設置されているのが何とも惜しく感じられた

 

大府駅から約20分で、亀崎駅に到着した。この駅ではぜひ下車しておきたい。

 

何しろ、日本最古の現役駅舎が残っているのだから。駅舎は路線開業よりも早い明治19年1月に建てられたとされる。駅の軒下に付けられた「建物資産標」には「M19年1月」と刻印がある。

 

木造のシンプルな建物。入口を入ると小さな待合室、無人駅のため、窓口は閉じているが、駅の事務所だったスペースが駅の入口に連なって奥に延びる。

 

実は最古の駅にはさまざまな説がある。火事が起こり全焼した、いや火事は官舎のみの消失で、全焼したわけではないという諸説ある。そうした説がありつつも、明治期に生まれた古い駅舎が残ることは確かなようだ。

↑駅舎の南側にある自転車置き場。その形からして、かつては構内に引込線があり、貨車からの荷物の積み下ろしに使われていた建物だと推測される。レールを柱がわりにつかった構造が歴史を感じさせる。古くは同駅から耐火レンガの貨物輸送が行われたそうだ

 

筆者としては駅舎の前に残る、貨物を積み下ろしに使われたと推測される上屋と古いホーム跡が気になった。こちらが建った年代は不明ながら、古いレールを柱として使った、そんな建物が今は自転車置き場として使われていた。

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