おもしろローカル線の旅38 〜〜三陸鉄道リアス線(岩手県)〜〜
岩手県の三陸沿岸を走る三陸鉄道リアス線。東日本大震災の影響で長期にわたり不通となっていた旧JR山田線の海沿い区間が復旧され、三陸鉄道に移管された。そして3月23日、南リアス線から旧山田線、北リアス線を通して走る新路線「リアス線」の運転が始まった。
南の起点・盛駅(さかりえき)から北の終点・久慈駅(くじえき)まで路線距離は163km! 通して乗ると、4時間30分前後かかる。新緑が鮮やかな春の一日、三陸の海と山を見ながらのんびり走る“長距離鈍行列車”の旅を楽しんだ。
【リアス線の概要】第三セクター鉄道の中で日本一の路線距離に!
まずは、三陸鉄道リアス線の概要を見ておこう。
路線と距離 | 三陸鉄道リアス線/盛駅〜久慈駅163.0km |
開業 | 2019年3月23日、旧山田線釜石駅〜宮古駅間が復旧、南リアス線、北リアス線を加えて「リアス線」となる ※それぞれの区間の歴史は後述 |
駅数 | 40駅(起終点を含む) |
この春まで三陸鉄道の路線は南リアス線(盛駅〜釜石駅間36.6km)と北リアス線(宮古駅〜久慈駅間71.0km)の2区間があり、列車が別々に運行されていた。南北のリアス線を結ぶように釜石駅〜宮古駅間はJR山田線が走っていた。
2011年3月11日に起こった東日本大震災の影響は甚大で、北リアス線、南リアス線は長期にわたり列車の運行がストップした。大きな被害を被ったにも関わらず、北リアス線、南リアス線は2014年4月6日までに全線が復旧した。
さらにJR山田線は被害の大きさは甚大で、復旧に向けての調整、そして工事に時間がかかり、全線復旧までに8年の歳月を要した。復旧後にJR東日本から三陸鉄道へ無償譲渡され、晴れて三陸鉄道リアス線となったのである。
2019年3月23日に記念の列車が運行され、24日から平常運転が始められた。起点の盛駅から終点の久慈駅までは路線距離は163.0km。第三セクター鉄道の路線としては日本一の長さとなった。
旧南リアス線、旧山田線、旧北リアス線のみを走る列車に加えて、全線を通して走る列車は、盛駅発→久慈駅行きが日に2本、久慈駅発→盛駅行きが日に3本ある。深夜に走る区間列車1本を除き、すべての列車が各駅停車で、全線を通して乗車すると、なんと4時間30分前後もかかる。
JRの普通列車の中には、飯田線(路線距離195.7km)を約7時間かけて走る超鈍行列車があるものの、4時間30分という乗車時間は、それに次ぐ“乗り甲斐”のある鈍行列車と言って良いだろう。
車両は主力が36-700形。一部はクウェート政府の援助により新製された車両で、クロスシートが主体。シート中央のテーブルの大きさが異なるなど、車両それぞれ、細部の造りが異なっている。
ほか従来から走る、36-100形・36-200形。また観光列車としても使われる36-Z形、36-R形といった車両が使われている。ちなみに車両形式を表す番号の頭に付く「36-」は「さんりく」と読む。
【リアス線の歴史】昭和初期にできた線区と北・南リアス線の違い
リアス線は旧南リアス線、旧山田線、旧北リアス線の3区間それぞれ、路線の趣が異なる。それは路線を敷設した時代の建設技術の差が大きく影響している。ここで路線の歴史を振り返っておこう。
◆旧山田線区間(釜石駅〜宮古駅間)
1935(昭和10)年11月17日:宮古駅〜陸中山田駅間が開業、徐々に延伸。1939(昭和14)年9月17日:大槌駅〜釜石駅間が開業、旧山田線が全通。
三陸海岸は海岸線が複雑なこともあり、路線の建設にも時間がかかった。太平洋戦争前にやっと開業にこぎつけている。余談ながら計画当初の首相は、岩手県出身の原敬。戦後も政治の世界ではたびたび問題となった“我田引水”ならぬ“我田引鉄”の気配が漂う。当時は「サルやクマを乗せるのか」と野党から批判されたようだ。
一方の南リアス線、北リアス線の歴史は新しい。
◆旧南リアス線区間(盛駅〜釜石駅間)
1970(昭和45)年3月1日:盛線として盛駅〜綾里駅(りょうりえき)間が開業。
1984(昭和59)年4月1日:盛駅〜釜石駅間が全通、三陸鉄道南リアス線となる。
◆旧北リアス線区間(宮古駅〜久慈駅間)
1972(昭和47)年2月27日:宮古線の宮古駅〜田老駅(たろうえき)間が開業、その後、久慈線が久慈駅から普代駅(ふだいえき)まで延伸される。
1984(昭和59)年4月1日:田老駅〜普代駅間が開業、宮古駅〜久慈駅間が三陸鉄道北リアス線となる。
旧山田線は昭和初期に造られた路線ということもあり、トンネルは少なめで、カーブが多く、海沿いおよび、山間をぬって列車が走る。
対して旧南リアス線と旧北リアス線は、昭和後期に造られたこともあり、より高速化を目指した造り。直線路が多く、山間部は長いトンネルで一気に抜けてしまう。立体交差箇所が多く踏切は非常に少ない。ちなみに最も長いトンネルは、田老駅〜摂待駅(せったいえき)間にある真崎トンネルで6532mある。ほか4000〜5000mといったトンネルが続く。
【リアス線おもしろ旅①】久慈駅から4時間23分の旅が始まった
筆者はリアス線の北の端、久慈駅を旅の出発点とした。せっかくだから盛駅まで通して走る列車に乗ろう。ところが、久慈駅発、盛駅行きの1本目の列車は朝の5時52分発と、かなり早いので諦める。そして2本目の朝8時5分に発車する列車を選んだ。
朝8時5分発の列車であっても、盛駅着が12時28分着とほぼ半日かかる。“乗りで”はかなりのものだ。筆者は近年、新幹線や寝台列車は除いて、4時間30分近く、列車に乗り続けることはまず無かった。長時間乗車して、果たして飽きないだろうか? 体力的に持つだろうか? と心配になる。
久慈駅のホームは跨線橋を渡った専用ホーム。ここに8時5分発の列車が停車していた。36-700形、702号車と703号車の2両編成だ。702号車は釜石市の中学校の生徒さんたちが描いたイラストが車体に入る。席は4人用のボックス席が主体、久慈駅側、先頭の左右の座席は2人席で前面が見わたせ、まるで“特等席”のような造りになっている。
JR久慈線の列車を待合せ、さらに旅行会社が企画したツアー客が乗車したこともあり、席は満杯。座り切れず立って乗車する人が少しいたほどだった。
久慈駅を発車した列車はしばらくの間、内陸を走る。2つめの陸中野田駅の先から海岸線に沿って走り始める。今回、リアス線に乗車して、やはり気になるのは東日本大震災の復興がどのぐらい進んでいるのかだった。
海沿いの標高の低い地域は、津波の被害をかなり受けている。そうした地区では家々の片づけもほぼ終わり、海沿いには高さ5mとされる巨大な防潮堤が築かれていた。その防潮堤の工事も最終的な局面を迎えている箇所が多い。
陸中野田駅の先で見られるのも、こうした巨大な防潮堤だ。場所によっては威圧感すら感じるほどせせり立っている。
【リアス線おもしろ旅②】大倉橋梁は北リアス最大の魅力ポイント
野田玉川駅を過ぎ、列車は徐々に標高を上げていく。トンネルが続くようになり、トンネルとトンネルの合間から青い海が覗く。次の堀内駅までの間にある安家川(あっかがわ)橋梁、さらに堀内駅の先に大沢橋梁がある。それぞれ橋梁から素晴らしい眺めが楽しめるように列車は橋の上でいったん停車する。
2つの橋梁のうち、大沢橋梁は旧北リアス線では、最も眺望が素晴らしいとされる。高さ30m、長さ176mの橋梁で、平行して走る国道45号から撮影した写真は、三陸鉄道のベストポイントと称されることが多い。
大沢橋梁を過ぎると、列車は内陸部へ入っていく。あとは田野畑駅、または田老駅(たろうえき)付近で海が遠くに見えるぐらい。山間を抜けるトンネル区間が長く続く。
久慈駅から乗車した団体客は普代駅(ふだいえき)で下車していった。この先、トンネルが続き、変化が少ない区間となるだけに、旅行会社は賢明なルートを選択していたと感じた。
【リアス線おもしろ旅③】変化に富んだ路線が魅力の旧山田線
乗車した列車は宮古駅に到着した。駅では15分ほどの停車時間があったので、構内の売店でお弁当や飲み物を購入するためいったん下車した。列車に戻ってびっくり。乗客がどっと乗ってきた。満員電車とはいかないものの、かなりの立ち客が出たほどだった。
筆者が訪れたのはGW期間中、さらに新線となって1か月ちょっとのため、物珍しさもあったのだろう。宮古駅からは旅行会社のツアー客も乗車してきた。新線のリアス線だけに旅としても“新鮮”なのでしょう(お粗末でした)。
筆者は始発駅からの乗車ということもあり、席に座っていたのだが、立ち続ける人たちの視線を感じつつ、やや肩身の狭い思いをしながらの旅となる。乗車した翌日に、宮古駅〜釜石駅間を再乗車。気になる駅で降りてポイントを巡ってみた。そんな沿線の風景を中心に旧山田線区間を紹介しよう。
【リアス線おもしろ旅④】津軽石駅がどう変ったか訪ねてみた
宮古駅から2つめに津軽石という駅がある。宮古湾の南側、最奥に位置する駅だが、東日本大震災では津波の影響を受け、ホーム手前まで線路とともに路盤が流されるなどした。
ちょうど2年前(2017年5月6日)に津軽石駅に訪れ、写真を撮影した。比べた写真が下記だ。線路が敷かれているため、まったく同位置に立つことはできなかったが、2年のうちにこうして復旧がされていたことが実感できた。
さらに駅のすぐそばに立派な立体交差道が出来ていたのにはびっくりさせられた。こうした公共工事は着々と進む一方で、駅周辺に空き地が目立った。被災地ではこうした寂しい現実も散見される。
【リアス線おもしろ旅⑤】豊間根駅を過ぎて峠越えの区間に入る
津軽石駅からは山間へ入っていく。2つ先の豊間根駅(とよまねえき)と、次の陸中山田駅までは駅の間の距離が11.1kmとリアス線の中で最も長い。
ちなみにJR山田線は当初、陸中山田駅を目指して路線が敷かれたこともあり、山田線と名付けられた。現在JR山田線(盛岡駅〜宮古駅間)は、山田までは走らない路線となったが、昔からの山田という名前が路線名として残されている。
豊間根駅〜陸中山田駅間には旧北リアス線や旧南リアス線では見ることが出来ない険しい峠越えがある。そのため、リアス線の列車はスピードを抑えつつ、急な坂をのぼり、また峠を越えると軽やかに坂を下って走る。
旧山田線の魅力は海景色とともに、こうした山や里の景色が場所ごとに変化していくところだろう。
【リアス線おもしろ旅⑥】海景色が楽しめる浪板海岸駅付近
旧山田線沿線は、55.4kmという距離のうち、半分近くの21.7kmが浸水、鉄橋なども6か所で破壊された。中でも陸中山田駅、大槌駅、鵜住居駅(うのすまいえき)といった標高が低く海が近い平野部が津波の大きな影響を受けた。
旧山田線の復旧に時間がかかった一つの理由として、こうした場所にあった住宅地の再生計画の行方を待たなければいけなかったこともあった。かさ上げをするなど再生計画もその土地ごとに異なっていた。
訪れた陸中山田駅や大槌駅周辺もようやく街の再生が始まりつつある。そして街の中心、そしてシンボルにリアス線の新しい駅がなりつつあった。
さて、陸中山田駅の次の駅、織笠を過ぎると、海を望みつつ列車が走るようになる。さらに列車は進み、浪板海岸駅(なみいたかいがんえき)の前後で海がさらに良く見えるようになる。とはいえ、旧山田線の海沿いの区間では線路と海の間に樹木が茂る箇所が多く、ピンポイントでしか海景色が楽しめないのがちょっと残念だった。
浪板海岸駅は大槌町の町内にある駅だ。この大槌町、町の中心である大槌駅周辺が震災の大きな影響を受けている。津波により町内の住まいが多く流された。現在は、かさ上げが行われ、新しい住まいも建ち並ぶようになっている。その一方で、工事を待つ空き地も多く残っていたのが印象的だった。
大槌駅から先、JR釜石線との接続駅、釜石駅へはあと2駅。鵜住居駅(うのすまいえき)、そして両石駅(りょういしえき)と列車は停まりつつ進む。
【リアス線おもしろ旅⑦】釜石駅ではSL銀河との出会いも楽しみ
両石駅から釜石駅へ、列車はいったん山間へ入り、釜石の町には西側から入っていく。街に入る手前でJR釜石線と合流する。花巻駅と釜石駅を結ぶJR釜石線といえば、現在は週末を中心に運転される「SL銀河」が名物となっている。路線の途中にある遠野は民話の里としても良く知られている。
乗車した盛駅行き列車は釜石駅までは“すしづめ”状態に近かった。図らずもリアス線の人気を実感することになった。釜石線では、旅行会社のツアー客が下車してしまう。そして沿線の人たちも大半が降りていった。釜石がやはり三陸沿岸では拠点となる街であることが分かる。
とはいうものの、宮古駅から釜石駅まで乗車時間1時間28分。立ちっぱなしの方々には頭が下がる思いだった。
【リアス線おもしろ旅⑧】旧南リアス線では吉浜駅近くが名所に
釜石駅からはほぼボックス席が埋まるぐらいの利用者が乗りで終点の盛駅に向かう。
旧南リアス線の沿線は、北リアス線と趣が似ている。内陸をトンネルで突っ切り、海岸エリアでは高架となった路線を走り、海景色がところどころで楽しめる。車窓から見る景色で一番のお勧めは唐丹駅(とうにえき)〜吉浜駅間だろう。とくに吉浜駅近くから眺める吉浜湾の眺めがなかなかだ。
旧南リアス線の途中駅で注目しておきたいのは恋し浜駅だろう。実はこの駅、南リアス線の開業時には小石浜駅と名付けられた。その後に地元で収穫されたホタテを「恋し浜」のブランドで売り出したことから、2009年に駅の名も「恋し浜駅」と改名された。ホームには幸せの鐘を設置されていて、恋愛成就に御利益あり人気がある。
列車はやや長めに停車するので、ホームに降りて、鐘を鳴らしてみてはいかがだろう。ちなみに「恋」という名が付く駅は日本で4か所あるのだそうだ。恋し浜駅はその中の貴重な1駅というわけである。
恋し浜駅を過ぎれば、あと残りは数駅。長かった旅も終わりに近づいた。盛川を渡り、駅の手前で旧JR大船渡線の線路跡(現在はBRT専用道として利用)と並走して、今回の旅の終着駅となる盛駅のホームに到着した。
4時間23分の変化に富む“長旅”は無事に終了したのだった。
盛駅の先は大船渡線BRT(バス高速輸送システム)に乗換える人が多かった。鉄道に比べて、輸送力に課題があるように感じたが、途中に陸前高田といった被害が大きかった街もあることから、これも致し方ない運行方法なのだろう。
【リアス線おもしろ旅⑨】全線乗車して見えてきた今後の課題
リアス線を全線乗車したことにより、楽しさ、魅力とともに取り巻く状況の難しさが感じられた。最後に、取り巻く状況を見ておこう。
リアス線を乗車して感じたことは、素朴なローカル線の旅が存分に楽しめたことだった。さらに美しい景色を車窓から楽しめ目と心の保養につながった。4時間30分近くとはいっても、決して長い時間には感じられなかった。
一方で、いくつかの問題もあるように感じた。実は筆者が体験した旅は4時間30分という時間で終わったわけではない。荷物を持たずに動きたいという思いもあり、宮古をベースにリアス線を行ったり来たり一往復したのだった。そのためまず宮古駅、朝6時3分発の久慈駅行きに乗車。久慈駅で折り返しの盛駅行きに乗車した。さらに盛駅ではBRTに乗車して陸前高田駅まで行き、すぐに盛駅に戻った。最後は盛駅15時20分発の宮古駅17時50分着というスケジュールで動いた。
結局のところ12時間近く列車やバスに乗車したことになる。かなりハードだった。こうした行程はかなり特殊な例だとは思うものの、リアス線の沿線までJRの久慈線、山田線、釜石線、大船渡線BRTを使ってアクセスする場合が多いことだろう。そうしたリアス線の乗車時間以外のプラスの時間を要することには変わりはない。
つまり、リアス線を旅しようとすると、例えば首都圏からならば遠く、日帰りではかなりの強行軍となる。最低でも2日はかけて旅しないと厳しいということが言えるだろう。
さらに、運賃がそれなりにかかるという問題もある。久慈駅から盛駅まで全線完乗すると、3710円だ。沿線以外から訪れたとなれば、沿線までの交通費がかかる。ちなみに盛〜釜石間、釜石〜宮古間、宮古〜久慈間それぞれの1日乗車券がある。また2日間有効の全線フリー乗車券も発売開始された。
ほか乗車率も心配になった。宮古駅発、久慈駅行きの列車は6時過ぎと朝早い列車、さらに休日の利用だったこともあり、宮古駅発の時点では乗客は筆者1人だった。宮古駅から7つめの駅の鳥越駅からようやく、部活に行くのだろうか、高校生が1人乗車してきた。久慈駅に到着した時の乗客は19人ほどだった。
乗車ルポで取り上げた下り列車では久慈駅から、また宮古駅からは団体客の利用があり、列車は混み合っていた。こうした利用は開業したばかりという物珍しさということもあるだろう。今後、数年たって落ち着いた時に、どのようにこうした利用者を呼び込んでいくか、課題となっていくのではないだろうか。
とりまく交通インフラの整備も大きな要素となっていきそうだ。
現状、最大のライバルとなるのは高速道路だと思えるが、釜石自動車道の花巻JCT〜釜石JCT間が3月3日に全通した。さらにリアス線と平行して延びる国道25号(三陸自動車道)の整備も続けられている。いまのところ、釜石北IC〜大槌IC間や、宮古中央IC〜田老真崎海岸IC間が工事中で、全線を通して走ることが適わないが、こちらも2020年度には開通予定となっている。
さらに宮古駅、久慈駅などの跨線橋、地下通路のある駅が、都会の駅のようにエレベータ、エスカレータの設備がないこともマイナス要素と感じられた。高齢者にとって利用するのがだいぶつらいのだ。
マイナス要素が見られたリアス線だが、走る列車に手を降る姿を沿線の多くの所で見かけた。やはり地元の人たちは長らく、路線の復旧を待ちかねていたのだろう。歓迎したい気持ちを何らかの形で表現したく、体が自然に動いてしまうのかも知れない。
わずかな期間ばかり訪れた外部の人間が、とやかく言うべきことではないのかも知れない。リアス線の開業は、それこそ岩手・三陸海岸の復興のシンボルなのだから。きっとリアス線が活かす道を地元の人たちは探し出すに違いない。
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