【左沢線の秘密⑦】大きくカーブを描く羽前高松駅の不思議
寒河江駅を発車、北へ向かう左沢線の列車。西寒河江駅を過ぎ、羽前高松駅が近づくと大きく左にカーブする。羽前高松駅は大きくカーブしたところに設けられている。
地図を見ると分かるのだが、なぜ左沢線は寒河江駅から直接に左沢駅へ向かうルートを通らず、羽前高松駅付近をわざわざ迂回するようなルートになっているのだろう。
寒河江市の北側、旧高松村地区は街道筋としては重要なポイントとなっている。国道112号と国道287号が駅の近くで交差している。中でも国道112号は県内の村山地方と庄内地方を結ぶ重要なルート。古くは六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)と呼ばれ、月山への入り口となっていた。
羽前高松駅からは左沢線が開業した4年後には1926(大正15)年には、羽前高松駅から三山(さんざん)電気鉄道という私鉄が敷かれた。その後に山形交通三山線となり、おもに月山への登山客が利用した。1974(昭和49年)に廃止となっているが、半世紀にわたり月山への乗換駅として賑わったのである。
羽前高松駅に残る大きなカーブは、月山方面へ縁が深かった証しでもある。
【左沢線の秘密⑧】非常に複雑な飛び地が連なる柴橋駅付近
まずは上の地図を見ていただこう。羽前高松駅の次の駅、柴橋駅(しばはしえき)付近を地図にしたものだ。
駅は寒河江市内にあるのだが、駅前の道を渡ると一部が大江町になる。さらに国道287号付近は寒河江市となる。最上川の左岸はこのように寒河江市と大江町が複雑に入り組んでいる。筆者は地図を見る、そして作るのが好きで、同シリーズの地図はみな自分で作っている。そんな地図作りの最中に気付いたのだが、柴橋駅付近には大江町の飛び地が多い。なぜなのだろう?
飛地の起源は鎌倉時代にさかのぼるのだそうだ。大江町、寒河江市は当時、寒河江荘という荘園が広がっていた。そうした荘園一帯を大江氏が支配するようになる。一族が柴橋やその周辺を開発。後にそこにあった寺院や住民が左沢など他の土地に移った。移った元の土地が飛び地として残ったとされる。
また14世紀後半に高松堰(寒河江川から取水)の開削が始まった。堰を開削するにあたり、左沢の住民が資金面で協力したので、左沢の住民所有の土地ができた。それが飛び地となったという説もある。
つまり柴橋駅近くの飛び地には600年以上にわたる長い歴史が隠されていたのである。
平成期に入った以降も同地では、飛び地解消の話し合いは持たれているとも伝わる。とはいえ地方税の収入の増減に結びつく問題だけに、なかなか飛び地解消とはいかないようだ。
【左沢線の秘密⑨】景色が楽しめるバルコニー付きの最上橋
柴橋駅を過ぎると、路線ではじめてのトンネルを2本抜ける。トンネルを抜けると、左手に最上川が流れる風景が楽しめる。山形駅から約50分、列車は終点の左沢駅に到着した。
駅前にはドラッグストアがあるものの、やや寂しい印象。舟運で栄えた町ではあるものの、やはり交通機関が大きく変ったそんな時代の変化を感じさせる。駅から最上川へは400mほどなので、足を向けてみる。すると昭和初期のモダンな趣を残した「最上橋」が架かっていた。この橋、デザインがちょっとおもしろい。
駅から徒歩5分で到着する最上橋。橋の上から景色が楽しめるようにとバルコニーが設けられている。昭和の初期に造られたモダンな橋だ。この橋は大江町の景観重要建造物として指定を受け、さらに土木学会からは貴重な建造物であるとして「選奨土木遺産」に選ばれている。
今でこそ静かな左沢の街だが、舟運が盛んだったころはそれこそ、富みが集まり、また財力がこうした建造物にも、活かされたのだろう。